19 『ヤンキー』『筆記用具』『強制収容所』

「じゃあよろしくな!」

 担任の先生がそう言って教室のドアを素早く閉めた。追うなという意思を感じる。職務放棄もいいところだ。

 強制収容所、もとい教室に残されたのは二人。学級委員長である私と、眉間にしわを寄せた茶髪の少女。

「ど、どうぞ。座ってください」

 席に座るよう促すと睨まれた。恐ろしく目つきが悪い。さすがは学校一のヤンキーと言われるだけはある。

 登校してもクラスに現れることはほぼない。たまに校内にいるところを見たことがあるけど、いつも周りを睨みつけていて、いつも一人だった。

 君子危うきに近寄らずで過ごしてきた身としては、彼女の視界に入らないようにしてきたけど。ちゃんと睨まれると、胃がきゅっと縮こまるのを感じた。

 舌打ちが聞こえたから身構えたけど、彼女はミディアムストレートの髪を揺らして着席した。私は身構えたのを誤魔化すためにメガネを押し上げた。

「で? 何すんの?」

 セーラー服の上に着たスカジャンのポケットに手を入れて聞いてくる。絵に描いたようなヤンキーだな。学校にはちゃんと制服を着てくるのはなんか不思議。

「先生が、進路希望書いて提出してほしいって」

「ああん?」

 おかしいじゃん。どうして私が威嚇されなきゃいけないの。

 うちは公立だから、義務教育のうちは地元の人間が学力とか関係なく在籍する。同じ学校になるのも同じクラスになるのも仕方がないことだ。でも正直、こういう人と関わらずに卒業したかったのが本音。

「めんどー」

 私もだよ。

 彼女は教室の壁掛け時計を睨んで机に突っ伏した。背中の龍の刺繍はかっこいい。

「これに書いてください」

 彼女の体と逆鱗に触れないよう、進路希望調査票をそっと置く。

 覗いたわけではないけど、首にかかる髪が左右に分かれて彼女の襟足が見えた。黒い。地毛だろう。その他の場所も色ムラが多い。おしゃれでやっているとは思えない感じ。大雑把なんだろうな。

「書くものは……」

 言ってから、身一つのヤンキーを見る。持っているわけがない。私が自分のペンケースからシャーペンを出して机に置くと、筆記用具に恨みでもあるのかと思うくらいに睨みつける。

 ポケットから手を出してシャーペンを掴む。芯を出すためにペンの頭をゆっくり押し込む様子が映画の殺し屋みたいだった。

 これが凶器にならないことを祈ろう。

「あ、シャーペンか。ボールペンかと思った」

 そう言って素直に名前を書いてくれた。だらしなく机にもたれたままだったけど。

「進路……。別にない。委員長は? どうすんの?」

 意外。私が学級委員長って覚えてたんだ。いや、さっき先生に説明されたんだろうな。

「私は高校進学……」

 ねえ、何でそんな睨むの!?

「あの、もし今思いつかないなら持って帰って大丈夫ですよ」

 そしてこのまま帰ってもらって構わない。いや、帰ってくれ。こんな目つきの悪いヤンキーと教室に二人きりなんて胃が痛くてしょうがない。

 これで彼女が提出しなくても私のせいじゃないし。私に任せた先生のせいだ。職務放棄のツケを回してやる。

 そもそもこれ、保護者のサインをもらわないといけないんだから。今日書いてもらって今日提出なんて無理なんだから。

「これ、いつまでに出すんだよ?」

 ちゃんと書いてあるのに。

「明後日です」

 私は調査票の下の方を指差す。彼女の目と鼻の先だったから、噛みつかれないか少し心配だった。というか提出する気あるの?

 彼女は提出期限を見ると、また眉間にしわを寄せた。

 あれ?

 私はここに来てからの彼女の仕草を思い出し、君子危うきに近寄らず精神を忘れて話しかけてしまった。

「もしかして、視力あんまり良くない?」

「え……」

 ずっと睨んでいた目元が大きく見開かれる。

「何で?」

「だって、時計睨んでたし。シャーペンとボールペン間違えるし。机に体預けたままだったの、調査票の字がよく見えるようにかなって」

 あと、よく見えないせいで髪染めにムラが多いんじゃないかな。

「お前すごいな」

 褒められた。褒められるほどのことかな。

 でもとりあえず、逆鱗に触れたわけではないらしい。

「良ければ、かけてみます?」

 私はメガネを外して差し出した。彼女は上体を起こすと何も言わずに受け取って、ゆっくりとメガネをかけた。

「うわ! 見える! すげえ! 時計見える!」

 私のメガネの度数は結構強いから、それでよく見えているなら相当目が悪いはずだ。メガネやコンタクトなしで過ごすなんて考えられない。心配になるレベルだ。

 彼女の顔はぼやけてよく見えないけど、たぶん睨まれてはいないと思う。でもこのまま持ち逃げされると困るから。

「あの、返してね?」

「ああ、わりぃ」

 彼女は丁寧にテンプルを摘まんでメガネを外すと返してくれた。私はメガネをかける。

「えっと、どうしました?」

 果たして。メガネを貸す前と今と、目の前にいる人物は同じだろうか。

 茶髪の女の子が満面の笑みを浮かべている。

「メガネ買うの付き合ってくれよ!」

 私のプライベートな時間をどうしてヤンキーのために使わなくちゃいけないんだ。確かに、視力的にはメガネがないと心配になるレベルではあるけども。私のメガネを丁寧に扱ってくれるくらいには常識がありそうだけども。

「なあ、委員長!」

「う、うん……」

 ヤンキーのごり押しにうなずいてしまったけど、なぜか胃の痛みは感じなかった。

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