18 『サーモグラフィ』『義理チョコ』『カメレオン』

 私はカメレオン。学校で浮かないように、変に目立たないように、常に保護色を意識して過ごしている。

 小学生の頃、仲良しの男友達がいて。その子がまた女子にすんごい人気の子で。ただの友達なのに、女子達は私に嫌がらせをしてきた。口下手で口数の少ない私に勝ち目はなく、言い返せなくてつらかった。

 その後女子達は私への行いが見つかって謝罪に来たけれど、同じ中学に進むのが嫌で県外のおばあちゃんの家にお世話になることにした。お母さんも一緒に来てくれた。

 そして私は決意した。中学生になったらカメレオンになることを。

 中学の三年間で保護色をまとうのも板に付いた。トラブルもなく、つつがない友人関係を築いた。

 おばあちゃんの足腰が悪くなってきたから、卒業したら一緒に実家に帰って暮らすことになった。三年ぶりに家族が揃って、お父さんは大喜びだった。

 高校は地元から少しだけ離れたところを選んだ。小学校のあの女子達は論外だけど、友人もいない高校。その方がカメレオンしやすい。


 高校生最初の年越しを経験し、二月に突入した。周りはバレンタインデーの話で持ち切りで。ただ、うちの学校のうちらの世代の場合は、話題の種類が違うらしい。

 二年生の生徒会長は見目麗しい上にとてもお菓子作りの上手な女の子だということ。バレンタインデーの放課後には会長がいっぱいお菓子を作ってくれて、誰でももらっていいということ。もらえるのは包装された一つだけということ。

 目を輝かせてその話をする友人が次に言うことは一つだ。

「私達も行こう!」

 みんなは即答で声を揃えて賛成して、私はワンテンポ遅れて賛成した。

 入学式で生徒会長が挨拶をしているのを見て、あんなにきらきらして目立つ存在とは絶対に関わりたくないと思った。

 でも、口数の少ない私でも居心地のいいと思える友人達が行くと言うなら、行く。カメレオンだし。あとお菓子食べたいし。


 そしてやって来たバレンタインデーの放課後。スーパーでいつでも買えるチョコを持参して、友人達と共にいざ会長の教室へ。

 話には聞いていたけれど、実際教室に入って驚いた。人はたくさんいるのにみんなギャーギャー騒がず、机に置かれたお菓子を選んでいる。会長の人徳のなせる業かもしれない。

 会長本人はというと、お菓子に関する質問に答えていたり、お菓子を受け取ったり忙しそうだった。バレないように本命チョコを渡す人もいそう。

 机の上には紙の箱があって、その中に包装されたお菓子が並べられている。近くの机には同じお菓子。きっとクラスメイトは会長のお菓子の恩恵を受けているのだろう。少し離れると、同じ形式で違うお菓子が並べられている。

 ざっと見た感じ、全部で二百人分はありそうだった。

 友人達はそれぞれ興味を引かれたお菓子の元へ向かう。私は一番近いところへ。机に置かれた紙には『紅茶クッキー』と書かれている。透明な袋には三枚の丸いクッキーが入っていて、お店のものよりおいしそうに見えた。

 他の机も回ってみる。マドレーヌ、ラスク、ハートのチョコ。見たところ、チョコが一番減っている感じ。バレンタインだからか、ハートだからか。

 全部おいしそうで、正直どれも食べたい。でももらえるのはひとつだけ。

 友人達はもう決めたらしく小袋を手にしている。そして会長に自分の持ってきたお菓子を渡そうと近寄り始めた。

 まずい。出遅れると会長と一対一で会話しなければならない。保護色になるため、近くにあったラスクを掴んで合流する。

「会長、ありがとうございます。全部おいしそうで迷っちゃいました」

「これ、もらってください」

「お返しなんていいのに。私が好きでやってるんだから」

「お返しじゃないですよ。バレンタインデーなんですから。義理チョコ……友チョコ? 何チョコだろ」

「あら、本命じゃないの?」

「会長って冗談言うんですね」

 みんなが笑う。私も笑って、会話に参加しているように見せた。みんな会長と話したことないのにしゃべるの上手いな。

「じゃあ、ありがたくいただくわ」

 私達からお菓子を受け取って、周りの人を魅了するとびっきりの笑顔を見せてくれた。きらきらがすごかった。

 教室に帰る道すがら大いに盛り上がったのは、お菓子ではなく会長についてだった。

「お肌めっちゃきれいじゃなかった?」

「黒髪つやっつやだった」

「あんなに近くで見たの初めてだけど、意味分からんかわいさだった」

 口々に会長の見目麗しさを語っていた。それに関しては完全に同意見。

「ねえ、あの笑顔見た?」

「なんか周りの空気変わったよね。サーモングラタンで見たら一気に赤くなったんじゃない?」

「わかるー」

「サーモグラフィね」

 私の小さな訂正が聞こえたかどうかは分からないけれど、友人達は声を揃えた。

「推せる」


 家に帰ってラスクを食べる。カリカリサクサクで甘すぎず、口の中で砂糖が雪のように溶ける感覚が癖になる。好きな味。

 おいしいからおばあちゃんにも一枚あげる。お母さんにも一枚。お父さんはまだ帰ってきてないから……まあ、いいか。

 ご飯の準備をしているお母さんの手伝いをしていると、家のチャイムが鳴った。テレビを楽しんでいるおばあちゃんに行かせるわけにもいかない。必然的に私が動く。

 玄関を開けると、マフラーをぐるぐる巻きにした人物が現れた。

「学校では関わらないでほしいって言ったの、そっちじゃなかった?」

「だって、カメレオンだし……」

 私は言って、寒さで震える会長――近所に住む幼なじみを玄関に招き入れた。

「お友達に誘われたの?」

「うん」

「話すのは初めてだったけれど、みんないい子そうだったわね」

「うん!」

 それは断言できた。彼女は目を細める。

「もうカメレオンやめてもいいんじゃない? ちゃんとしたお友達もいるんだし。学校で私と話しても大丈夫だと思うけど」

「でも、目立つの怖い……」

 このきらきらした人間の近くにいると自分も照らされてしまうから。きらきらの保護色は持っていない。

「ごめん。嫌なこと思い出させちゃった」

 私はかぶりを振る。

「とにかく、もし嫌なことされたら今度はすぐ言うのよ? 前みたいに私が成敗するから」

 力強くてありがたいお言葉だけれど、そのきらきらじゃない笑顔はちょっと怖い。

「ありがとう」

「うん。あ、こちらこそチョコありがとね。まさかもらえるとは思ってなかったから」

「みんなお菓子持ってくって言うから。その辺で買えるやつだけど」

「くれただけでうれしい。お菓子作れないの知ってるし。ねえ、今日ラスク持ってったでしょう? 他も食べたいかと思って」

 渡してくれたビニール袋を覗くと、机に置かれていたお菓子全種類が数セット入っていた。良かった。お父さんにもあげられる。

「そしてそして! ここに取り出だしたるはお待ちかね。バレンタインのチョコレートケーキでございます」

 仰々しく言って、紙袋に入った箱を取り出して渡してくる。ホールケーキの重みを感じたので、両手で抱えるようにして持った。

 お菓子作りが上手な幼なじみによって、私は毎年ホワイトデーのお返しに頭を悩ませないといけない立場だった。中学の三年間も、わざわざおばあちゃんの家までケーキを持ってきてくれた。

 いやしかし今年のは重い。去年は一人で食べられる大きさだったのに。今年は家族の分も考えて作ってくれたのかも。

「バレンタインデーの生菓子はこれだけ。本命だから」

 なんだろうな。毎年同じことを言われているけれど、今回はちょっと引っかかる。

「でもこれホールでしょ? 家族みんなで食べるんだよ? うちの家族全員が本命なの?」

 お礼の前に口からこぼれてしまった。彼女の眉がハの字になったのを見て我に返る。

「ご、ごめん。ありがとうって言いたかったのに……。な、泣かないで」

 わざわざケーキを作って持ってきてくれた人に対して、私は何を言っているのだろう。

「確かに、言い得て妙ね。そこまで考えてなかった」

 そう言うと彼女は、ぐるぐる巻きにしていたマフラーを下げた。

「大丈夫。これが泣きそうな顔に見える? よく見て?」

 潤んでいるわけではないのにきらきらした目。鼻の頭は赤いけれど、きっと寒さのせい。口元は優しく――

「ん……」

 優しく、私の唇に当てられる。

「本命、誰か分かった?」

「いじわる」

 私は確かに、友人のいない高校を選んだ。いたのは私の恋人。

「あ、その顔。保護色に変わった? 私も同じ色?」

 彼女がからかうように頬をつついてくる。私と違って余裕があるから、顔色は来た時と変わっていない。

「これは保護色じゃないよ」

 カメレオンが色を変えるのは心理状態の方が大きく影響している。

「あの、寒いし少し上がってけば?」

 彼女から見て私の変化が激しいなら、そういうことだ。

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