17 『焼きそばパン』『ワンフレーズ』『カクテル』
「あのさ、朝食はご飯派? パン派?」
一杯目のカクテルをもうすぐ作り終わる時だった。お客様としてたまに来ている女子大時代の友人からされた脈絡のない質問に戸惑う。
「ご飯派です。私の場合、朝食は仕事から帰ってからになりますが」
表には出さないように私が答えると、彼女は気まずそうに笑った。
「そ、そうだよね。朝方まで仕事だもんね」
およそこの場に似つかわしくない質問の意図が分かりかねる。自分の勤めているバーは高級店ではないし、高尚な会話をしなければいけないわけでもないけれど。ただ、友人の私に今しなければならない質問とも思えない。
店内をちらりと確認する。カウンター席の中央には彼女。他はいずれも常連様で。カウンターの端に女性のお客様がお一人。テーブル席には四人の男性のお客様。同僚もそれぞれ仕事中。
彼女の声が小さめということもあり、迷惑をかけている様子はない。それならいい。
「ちなみに私はパン派」
知るか! 日頃の鍛錬のおかげか、友人相手でも就業中に強く言い返すことはない。自分に一杯ごちそうしたい気分だ。
彼女の視線はあちらこちらに飛び、手はもじもじさせている。どうも様子がおかしい。本当に言いたいこと、聞きたいことがうまく言葉にできないのだろう。
私は注文の仕上げにピックに刺したオリーブをカクテルグラスに入れて差し出した。
「マティーニです」
彼女はグラスに口を付ける。
「おいしい」
「ありがとうございます。それで、本日は何かあったんですか?」
私の助け舟に気付いたらしい彼女は、カウンターに静かにグラスを置いた。飛び散っていた視線がカクテルという名の呼び水に落ち着くと、おもむろに口を開く。
「実はこの前、高校の同窓会があったんだけど。八年ぶりに再会したクラスメイトのこと好きになっちゃったかも……」
「これは驚きましたね」
彼女は女子高出身だから、好きな相手は必然的に女性ということになる。でも、私が驚いたのは性別についてではない。
大学で出会った時から、彼女は女性が好きだと自覚していて、私と友人になったのもそれが理由の一つだった。ただ、彼女は恋愛に興味のないタイプだったから、こんな感じで恋バナというやつをしていることに私は驚愕している。
「何かきっかけがあったんですか?」
前のめりなのを気付かれないようにする。常連客の多くがおじ様でみんな素敵な方々ではあるが、新鮮な恋の話をする人はいないに等しい。
これが仕事じゃなくて居酒屋ならなあ! 恋愛に興味のなかった人間の恋バナほどいいつまみはない。
「高校の時はただのクラスメイトでね。話したことはなかったの。仲良くなるグループが違うっていうか。その子は超活発で、正直苦手なタイプではあった。だって、声は大きいし、休み時間は廊下駆け回ってるし。小学生の男の子みたいだった」
彼女は大人しい性格だ。騒がしい人は好まない。
「それがこの前の同窓会で再会したら、なんていうかすごく、清楚な感じで。最初はその子だって気付かなかったくらい。少し会話して、それでなんか……好きって思っちゃった。変な言い方だけど、一目惚れみたいな」
今すぐ退勤して居酒屋に連れて行きたい! 接客じゃなく友人として根掘り葉掘り聞きたい!
「その方とお付き合いしたいとお考えですか?」
しかしここは平静を装って。日頃の鍛錬の成果を今見せないでどうする。
彼女は一瞬私と目を合わせ、ぎこちなくうなずいた。恋する自分に困惑しているような顔で。
「恋人はいないって言ってた。同性と付き合えるかまでは聞けなかったけど。私、カムアしてないから」
そういえば、私に最初に打ち明けたと言っていた。友人という関係値がない状態で昔の知り合いに突然聞くのは勇気がいることだ。
「連絡先は交換したんですか?」
「した」
偉いじゃん。偉すぎるじゃん。
彼女は一口飲む。
「不思議だよね。高校生の時は絶対に交わらないだろうなって人も、大人になると何で苦手だったんだろうって思うこと結構あるよね」
私は首肯した。社会に出ると、色々な種類の人間がいると理解するようになる。だから鍛錬が必要になってくるわけだけれど。
「何かやりとりはしたんですか?」
「メッセージを少し。何聞けばいいか分からなくて、朝食はご飯派かパン派か聞いた」
恋愛偏差値低すぎでしょ。だからさっき同じこと聞いてきたのか。
「パン派って返事来た。同じでうれしい」
彼女が頬を染める。
「それは良かったですね」
返事してくれて良かったなって意味だぞ。
「あ、今思い出した。その子、昼休みになると忍者みたいに教室からいなくなってね。しばらくしたら帰ってくるんだけど。いつも焼きそばパン持ってたな。購買に行ってたんだ。前からパンが好きだったのかな。今度聞いてみよ」
もっと別に聞くことあるんじゃないですかね? 恋は盲目の方向性がちょっと違う。
ここは私が軌道修正しなければ。
「その方のお住まいは遠いんですか?」
「どちらかと言えば近いかな。電車に乗れば」
現実的に会える距離ということだろう。
「なるほど。では……」
彼女はその同級生と交際したいと思っている。でも恋に不慣れなせいで、どうしたらいいのか分からない。あるいは、分かっていても行動に移せない。
後押しが欲しくて来店するお客様も少なくない。彼女には私からワンフレーズを。おそらくそれで充分だ。
「お食事に誘ってみてはいかがでしょう?」
ちゃんと連絡先は交換できている。勇気は必要だけれど、食事に誘うことだってできるはず。大丈夫。あなたならできる。
しかし彼女は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「確かに」
その一言にずっこけそうになる。
「女同士だから、食事に誘っても特別変じゃないもんね。そうだ。私、女だったわ。とりあえず友達から始めればいいのか」
後押しを待っているのだと思っていたのに、本当に気付いていなかったらしい。
ツッコミを入れたいところだけれど、無粋なことで恋する乙女の表情を壊したくはない。
「でも、どこに行けばいいんだろう。今までデートとして人と食事に行ったことないからさ」
「ご友人とのお食事と同じように考えればいいと思いますよ。まずは、お互いを知ることからではないでしょうか」
大きく数回うなずく彼女。視線を上にやり、何かを思い描いている。
「なんか想像するとさ。おしゃれなバーのカクテルより、コンビニの焼きそばパンの方が喜びそう」
まあ、清楚になったのは見た目だけかもしれないから、その可能性は否定できない。私は実際に会ったことがないから何とも言えないけれど。
「どこにしよっかな。ねえ、前に一緒に行ったあのスペイン料理のお店とかどうかな?」
私がそのお店の雰囲気を思い出す前に、彼女は続けた。
「いや。これは自分で決める」
その判断に拍手を送りたくなった。子供の成長を見た気分。
「ごめん。一杯だけど、もう帰るね」
彼女は早口に言ってピンに刺さったオリーブをしっかり食べ、残りのマティーニを飲み干した。
「酔った勢いでメッセージしたって言いたくない」
ピンとグラスを置き、誰にともなくつぶやく。
大丈夫だよ。度数の高いショートカクテルを短時間で飲んでも平気なくらいお酒に強いでしょ。なんて茶化さない。
今まで見たことのない真剣な目が、本気で恋をしていることを物語っているから。
「良い結果になりましたら、是非ご一緒にお越しください。焼きそばパンで乾杯はできませんが」
「ありがとう」
すっきりとした顔でお会計をすると、足取り軽く店を出ていった。
がんばれ!
カウンター内で見送った後、晴れやかな気持ちで店内を確認する。
カウンターの端にいた常連客の女性が小さく手を挙げているのでそちらに向かった。
「チェックお願いできるかしら?」
「かしこまりました」
「恋する女性ってかわいいわよね」
彼女は私というより、自分の空間に対して話しているようだった。支払金額を書いた紙を渡し、私は頭を下げる。
「申し訳ございません。うるさかったでしょうか?」
「全然。私が聞き耳を立ててたの」
彼女は金額を確認し、財布を開く。
「初々しさに心が温かくなったわ。今日はよく眠れそう。余韻を大切にしたいから、買いものしないで帰ることにするわ」
妖艶な微笑みを浮かべながらトレーにお金を乗せる。
「もし次にあの方がいらしたらお礼を伝えておいて」
「かしこまりました」
私はトレーを持ちバックヤードへ。そして、お釣りを持って彼女のもとへ戻る。彼女はお釣りを財布に仕舞ってバッグに入れた。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
彼女は椅子から優雅に立ち上がる。
「あ、そうだ」
そうつぶやくと、出入り口に向けていた体をこちらへ向けた。声を潜めて言う。
「帰りに牛乳買ってきて」
「かしこまりました」
朝食はシリアル派の彼女は颯爽と店を出ていった。
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