16 『ヘアアイロン』『無秩序』『絶滅危惧種』

 部屋の主が出て行った後に客室にした部屋から持ってきたヘアアイロン。鏡台のコンセントに繋げたけれど、電源がどこか分からない。探しているうちに、はたと気付く。

 これから美容室に行くのにヘアセットをする必要はない。浮足立っていることを自覚させられる。

 先日家に訪ねてきたのは、溌溂とした若い女性だった。近所に新しくできる美容室の店主で、開店の宣伝だという。念願の自分のお店だとうれしそうに語ってくれた。

 活気に満ち溢れた表情に当てられそうになる。別に自分がつまらない日常を送っているわけではないけれど、素直に素敵な女性だなと思った。

 それでも、普段千円カットで髪を切っている私は、彼女のお店に行こうとまでは思わなかった。

 彼女が私の頭を見て言った。

「とてもきれいですね」

 勧誘の常套句であろうことは分かっているけれど、お世辞でもうれしかった。まるで初めて恋をした少女のように心が弾んだ。

 そしてその時初めて、自分の髪がぼさぼさであることに気付く。元々あまり見た目に気を遣う方ではない。だけれど、さすがに美容師にこの無秩序な髪の毛を見られるのは。しかも化粧もしていないので余計に恥ずかしい。こういう日に限って。

 私は思わず、その場でヘアカットの予約をしてしまったのだった。

 ヘアアイロンをコンセントから外し、コードを束ねて鏡台に置いた。

 化粧はすでに終えている。改めて鏡に映る自分と目を合わせると、いつもより輝いて見えた。いつもの化粧と同じなのに。

 理由は簡単。表情が明るいから。『女は愛嬌』とはよく言ったもの。今は色々問題がありそうな言葉だけれど。

 ブラシを手に取ってボブの長さの髪を梳かす。最低限整えておけば、施術の時も迷惑をかけないだろう。

「あ……」

 鏡を見て手を止めた。他とは違う髪の毛を発見したから。

「もうないと思ってた。あなた、絶滅危惧種ね」

 一本の黒髪に語りかける自分に笑ってしまう。映画のプリンセスだったら動物に話しかけるところだろうに。

 こんな些細なことでもうれしく思えるのは本当に久しぶりで。この後彼女に会ったら、日常にときめきを与えてくれたことを感謝しよう。

 ヘアアイロンを戻しに立ち上がる。客室と化した娘の部屋に向かう前に、鏡に映る自分を確認する。

 きれいだと言ってくれたこの白髪がどう形を変えるのか楽しみだ。今度、遠方から三年ぶりに遊びに来る娘と孫も喜んでくれるかもしれない。

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