12 『エコバッグ』『コンビニスイーツ』『立ちっぱなし』

 一週間前に情報が出てから楽しみにしていたコンビニスイーツの新作発売日。学校が終わって脇目も振らず電車に乗って。明るい店内で、私は棚に並ぶ秋季限定スイーツとにらめっこしていた。高校生のお小遣いはそれほど多くない。かぼちゃ、栗、ぶどう。どれもおいしそう。

「そんなに悩むんだったら全部買ってあげようか?」

 落ち着いた、でも少し呆れを含んだ声がする。見ると、咲奈さなちゃんが――年上の恋人が財布をちらつかせた。社会人の余裕を漂わせてくる。

「これは私が欲しいものだから施しは受けない!」

 私が毅然とした態度を示すと、咲奈ちゃんは朗らかに笑いながら「じゃあ私の食べたいやつだけ」と言って定番商品のエクレアを自身のカゴに入れ、そのまま他の商品棚へ移動してしまった。短い髪と対照的な白いフレアスカートが優雅に揺れて消える。

 最初からおごってくれるつもりはなかったと思う。六つ年上の恋人はデートの時は食事から何からお金を出してくれるから、私は自分でできる範囲のことは自分でやりたい。咲奈ちゃんはそれを尊重してくれている。

 二人でいる時くらいは、年の差なんて関係なく恋人として対等でいたい。高校生の身分ではまだ『なるべく』と付け加えなければいけないけど。

「モンブランにしようかな」

 とはいえ、モンブランも二種類あって。大きな渋皮煮が一つ乗ったケーキのモンブランと、栗の甘露煮がいくつも乗ったモンブランのパフェがある。パフェの容器は通常のものより大きく、他の秋季限定と比べても少しお高い。

 財布の中身を思い出す。自然と渋皮煮のモンブランに手を伸ばし、ふと止まる。今日という日を考える。別に何かの記念日ということじゃない。

 咲奈ちゃんの代休と発売日がたまたま重なって、いつもなら会えない平日に駅で待ち合わせておうちデートができる。しかも今日は金曜日だから三連休になるし、一緒に過ごせる時間も多い。先週の休日出勤のせいで奪われた時間を取り戻さないと。そして、幸せな時間に甘いものは欠かせない。

 自分を納得させてモンブランパフェを手に取る。ずっしり重い。私に選ばれた甘露煮達が喜んでいるように見えた。

「やっと決まった?」

 耳元でふわりと声がして体が跳ねる。咲奈ちゃんは私の反応を見て口元を手で隠しながら笑った。思春期の女子高生をからかわないでほしい。

「早く買って帰ろう?」

 エコバッグを掲げて見せられた。いつの間にかお会計まで済ませていたらしい。ちょっと決めるのに時間をかけすぎたか。確かに、教科書の入った鞄をかけている左肩が少し痛い。

「立ちっぱなしで足が痛くなるところだった。女子高生みたいに無限の体力と気力があるわけじゃないんだからね?」

 お茶目な感じで口角を上げる。私はグロスで輝く唇に目を奪われた。仕事終わりに会う時とは違う、品のある少し濃いめの赤。私のためだけの色。家だったらためらいなく味わっていたところだ。コンビニの無機質な照明でこんなに魅惑的になってしまうのだから恐ろしい。

「じゃあ、家に着いたら労わってあげる」

 からかわれた仕返しに含みを持たせてささやくと、今度は咲奈ちゃんの体が固まった。

「もう……。大人をからかわないの」

「からかってない。本気」

 私は恋人の鎖骨の少し下に指先を添え、深緑のブラウスに隠された硬い感触を確かめて指を離す。咲奈ちゃんは生唾を飲み、数回小さくうなずいた。

 押しに弱いことは知っている。だから好きだと言い続けてきた。恋愛感情だと信じてもらえるまで。そして、恋人になってからも。

「買ってくるね」

 真っ赤になった耳に満足してレジに向かう。お会計をしてパフェとスプーンを持つと、咲奈ちゃんが横でエコバッグの口を広げて待っていた。お礼を言って入れさせてもらう。中にはエクレア以外にジュースとお菓子が入っていて、たぶんこれは私のために買ってくれている。対等とは程遠い。

 秋の日は釣瓶落としとはよく言ったもので、コンビニを出ると辺りは薄暗くなっていた。手をつなぐか腕を組むかどちらにしようか考えていたら――

「あれ? 伊藤いとうさん?」

 男の人の声がした。明らかにこちらへ向けられた声に、私達は振り返った。

「あ、やっぱり伊藤さんだ。お疲れ様です。今日はお休みなんですか?」

 ネイビーのスーツを着た背の高い男の人が不躾に近付いてくる。

「お疲れ様です。今日は代休で」

 咲奈ちゃんの声が輪郭を持った。仕事モードだ。

「そうなんですね。いやあ、こんなところで会えるなんて思いませんでした」

 エリート然とした男の人は、年齢的には咲奈ちゃんより少し上に見えた。顔も悪くないし、スタイルもいい。職場では女性社員に人気がありそう。私には分からないけど。

 スーツ男はにこやかに咲奈ちゃんに話しかける。この表情。ああ、これは。

 咲奈ちゃんに惚れている。私の恋人に。

「そちらは?」

 スーツは私を見やる。咲奈ちゃんは慌てて私を紹介して、私にはスーツの紹介をした。咲奈ちゃんの会社の取引先らしいけど、覚える義理はない。

 お店を出てすぐに手をつながなかったことを後悔した。もう強引に引っ張って帰れない。咲奈ちゃんの体裁を保つため、私は行儀良く挨拶した。スーツも物腰柔らかに名乗って敬語を使う。子供ではなく、きちんと一人の女性として接していますよって感じで。私に媚びを売っても意味ないのに。

「僕はこれから戻るところだったんですけど、ちょっと小腹が空いちゃって。ここのシュークリームが大好きなんですよ」

「そうなんですね。私はエクレアが好きで」

 話したくなさそうなのに、どうして会話を続けようとするの? でも取引先だから、会話をぶった切るのは同僚より面倒なのかもしれない。これだから大人は。

「エクレアのおいしいお店知ってますよ。今度持っていきますね」

 私はスーツの食いつき具合に少し引いてしまった。自分が他より優位に立てそうな新情報を手にし、咲奈ちゃんをも手に入れられると思っている顔。

「それにしても、いつもと感じが違いますね。メイクが違うんですかね?」

 メイクが違うのは恋人と逢うからだよ。

「僕はメイクとかよく分からないんですけど、とても素敵です。あ、もちろんいつも素敵ですよ?」

 悦に入ったスーツは咲奈ちゃんを褒め続け、忘れていませんよという感じで私のことも褒めてくる。

 お礼を言う咲奈ちゃんは、私にそっと目配せして助けを求めてきた。モテるくせに断ったり逃げたりすることができない。押しに弱い。昔から。

 スーツは褒めるのに夢中で、意中の相手を困らせている自覚はないらしい。制服姿の私を目の前にして口説こうとする根性だけはすごいけど。

 私が隣にいたところで何の抑止力にもならないのが腹立たしい。わがままな子供を演じて咲奈ちゃんに帰りを促すのが一番簡単だ。

 でも、それだとただ逃げただけ。今後このスーツが仕事と称して近付いて来ないとも限らない。

 私は鞄から財布を取り出した。

「ごめん、買い忘れあった。すぐ戻る。これ持ってて」

 咲奈ちゃんに鞄を渡す。私が離れている間に連れ去られないように。咲奈ちゃんは留守番を言い渡された子犬のように不安そうな顔をしたけど、私がうなずくと仕事モードの顔に戻った。

 スーツの方は不思議そうに微笑んでいた。私が自分達に気を利かせてくれたんだと愚かな勘違いをしていたかもしれない。

 コンビニに入って目当てのものを引っ掴む。ガラスの向こうの恋人がその場からいなくならないか気が気じゃなくて、店員さんのお会計の声もろくに聞こえなかった。千円札を出してお釣りとレシートをもらう。財布に詰め込んで、買ったものを持って外に出る。

 店内からの明かりに照らされた二人の距離は、一歩分縮まっていた。スーツの一歩分。いい気になるなよ? でも――

 店先のカップルって言われたら、みんなこの二人だと思うんだろうな。私は、選択肢にすら入れてもらえないんだろうな。

 涙が出そうになるのを堪えて、二人の間に割って入った。

「お待たせ。これ、この前頼まれてたでしょ?」

 買ってきた雑誌を咲奈ちゃんに見せ、スーツに対してはこれ見よがしにしてエコバッグに入れた。表紙には花束を持って幸せそうな女性とピンク色の文字。

「……ご結婚されるんですか?」

 スーツの声は嗄れ、不躾な視線が咲奈ちゃんの左手の薬指辺りをさまよっている。そこには何もない。私達のお揃いの指輪はネックレスにしていて、今も身に着けている。

「具体的にはまだ……。でも、色々調べるのもいいかなという段階で。あの、誰にも言わないでくださいね?」

 輪郭のはっきりした声で告げる。意図に気付いてくれて良かった。

 スーツの笑顔が歪む。そして気丈に振舞って「もちろんです」と言った後、時間がどうのとかまた御社でどうのとか早口に言ってコンビニの中へ逃げ去っていった。一人でシュークリームでも食ってろ。

 鞄を受け取って財布を仕舞い、咲奈ちゃんの手を掴んだ。

「走れる?」

 うなずいたのを合図に二人で駆け出す。

 大通りから外れて住宅街を走った。住所を特定されるのが怖いとかそういうことじゃない。早くあの場所から離れたかった。恋人をあの場所から離したかった。

 辺りが急速に暗くなって、知らない場所まで来てしまったような気がする。少し後ろから苦しそうな息遣いが聞こえてスピードを緩めた。目が慣れてくると、咲奈ちゃんの家の近くだと分かる。

 一旦足を止め、呼吸を整えながら聞いてみる。

「さっきの人、仕事で会った時もあんな感じなの?」

 空いている方の手を膝に置くと、白いフレアスカートが重そうに揺れる。咲奈ちゃんは肩で息をしながら頭を左右に振った。

「好意を持たれてるなとは薄々感じてたんだけど、あんなに来られたのは初めて。でも、さっきは助かっちゃった。あれならもう言い寄られないで済むもんね」

 咲奈ちゃんは大きく息を吐いて姿勢を正した。

「ありがとう。守ってくれてうれしかった」

 ふわりとした声が、今は二人きりだと思い出させてくれる。

「恋人を守るのは当たり前でしょ?」

 私は目を逸らした。恥ずかしいからじゃない。恋人になる前、私の見えない範囲で起こったことから守れなかったことを思い出したから。彼氏ができたという報告をされた時の心臓の痛み。六歳の年の差は大きすぎる。

「でも自分で断る努力もしてね」

 さすがに恋人がいるのにお持ち帰りされるほど無防備ではないけど。そもそも、飲み会とか集まりがあっても『私』を理由にしてあまり参加させていない。

「あんまり心配させないで」

 私はつないでいる手に力を入れた。恋人の温もりを感じたかった。私だけのものだって。

「うん。がんばる。心配させてごめんね。さっきは隣にいてくれて心強かったよ」

 咲奈ちゃんの唇が私の頬にそっと触れた。心臓の痛みが霧のように消えていく。

「歩こうか」

 優しく手を引かれる。暗い道を二人で歩き出した。

「あ、パフェ大丈夫かな? 結構走ったから」

 言いながら、咲奈ちゃんが肩にかけていたエコバッグの口を開いて覗く。

「どう?」

「あー……。こんな感じ」

 片手で器用に取り出す。容器のおかげで、まだ一応パフェと主張できそうではある。フタにべったりとマロンクリームが押しつけられていて、糸の形状も目立たない。おまけに割れている甘露煮もある。これはモンブランとは言えないかもしれない。あんなに悩んで選んだのに……。

「まあ、お腹に入れば一緒だし。上から下まで混ざってるわけじゃないし」

「明日同じの買ってあげる。崩れてるのと崩れてないの、どっちがおいしいか食べ比べしたらいいよ」

 エコバッグにパフェを戻すと、優しく頭をなでてくれた。ここは社会人のお財布にお世話になることにしよう。

 明日のこととか、三連休についてとか、女子高生の体力とか、二人で他愛もない話をして歩いていたら、いつの間にか咲奈ちゃんの部屋の前に到着した。

 鍵を開けて入った咲奈ちゃんに続く。咲奈ちゃんは廊下を進んでリビングに向かう。私はドアを閉め、鍵をかける。うちのと違うガシャンという重厚な音が、セキュリティーのしっかりしたマンションの証のような感じがした。一人暮らしを心配しながら送り出した両親もさぞかし安心していることだろう。中で私達が何をしているのかも知らずに。

 リビングに行くと、後ろ姿の咲奈ちゃんがエコバッグの中身をテーブルに出しているところだった。形の崩れていないエクレアが横に並ぶと、パフェの悲壮感がより際立った。

 ふと、パフェを買うことに決めた時のことを思い出す。近寄ってきた咲奈ちゃんの、グロスで輝く唇。そうだ。帰ったら労わると宣言したんだった。

 予定外に走らせてしまったし、これはもう絶対に労わってあげないといけない。その場に鞄を置き、後ろから抱きしめようと手を伸ばす。

「あ、これ……」

 咲奈ちゃんが振り返った。その手には、華やかな表紙の雑誌。

 私は動けなかった。何か、咲奈ちゃんの周りを囲む何かが、私を近付けないようにさせていた。たぶん、この雑誌が発している。

 いや、私が何かを感じ取ってしまっている。

「せっかくだし、ちょっと見てみようか」

 何気ない言葉が牙を剥く。咲奈ちゃんに他意はない。昔から。でも、私の気持ちを何も理解していないということにも気付かない。

 鼻の奥がツンとする。

「どうしたの?」

 不安の滲んだ声がする。

 恋人を守るために結婚雑誌を選んだのは、咲奈ちゃんには付き合っている人がいるのだとスーツに思い知らせるためだ。付き合っているがいるから諦めろと。でも――

 自分で考えたこの方法は、私と咲奈ちゃんが絶対に結婚できないことを認識させてしまった。

 本当は『守る』なんて大層な言葉を使ってはいけない。私は、咲奈ちゃんに近付く男達を『排除』してきただけなんだから。

 私はずっと咲奈ちゃんのことだけが好きだったけど、咲奈ちゃんはそうじゃない。昔から押しに弱くて、告白されたら好きになっちゃって。

 私だってさすがに、男性が『悪』だなんて思わない。今まで付き合った人が悪い男だなんて思ったことはない。そんなことは分かっている。彼氏を紹介されたことだってある。みんな誠実でいい人だった。

 分かっていても、咲奈ちゃんの首筋にキスマークを発見した時、私は全身の血が沸騰して気が狂いそうだった。

 咲奈ちゃんが眉尻を下げて見てくる。私の名前を読んでいるような気がするけど、音がぼやけてよく聞こえない。

 テーブルに並べられたスイーツが目に入り、ついに自分の体を支えられなくなった。足から力が抜けて床に座り込む。咲奈ちゃんがスカートを翻して駆け寄ってくる。

 床に落ちた結婚雑誌。知らなかった。私が選んだパフェより安いなんて。男女の結婚の方がお手軽と言われているような気がする。

 定番商品のエクレア。期間限定の、崩れたパフェ。

 涙が一気に溢れ出る。息ができない。前が見えない。

「大丈夫。大丈夫だよ」

 咲奈ちゃんが私の体を包むように抱きしめてくれる。

「ごめんね。大人の男の人が相手で怖かったよね。家に着いて安心しちゃったかな?」

 昔から何も気付いてくれない。好きな人を男に取られる恐怖を。奪われた怒りを。

「咲奈ちゃんには分からないよ……」

 押しに弱いくせに、私がいくら好きだと伝えても信じてくれなくて。選択肢にすら入ってなくて。その間に彼氏ができて私がどれだけ苦しかったか。結婚雑誌を見てみようかなんて軽く口にできる咲奈ちゃんに分かるはずがない。

 どんなにお互い愛していても、口が裂けても恋人だなんて言えないんだから。誰にも。

 結婚なんてもってのほか。夢見ることさえ許されない。

 しゃくりあげながら咲奈ちゃんのブラウスの裾を掴む。この恋人を、絶対に離したくない。一生離さない。違う――

 どうやったって一生離れられない。

「大丈夫だよ。ほら、私がついてるからね。大丈夫。大丈夫」

 咲奈ちゃんがいつも以上にふわりとした声を出す。

 私は背筋が凍った。この後に続く言葉が予想できたから。二人でいる時に聞きたくもない、何よりも純粋で無神経な言葉。

「お姉ちゃんがついてるからね」

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