11 『置物』『色仕掛け』『グラビアアイドル』

 映画のエンドロールが流れ始めて、私は口を開いた。

「どうだった? 評判良かったみたいだから借りてきたんだけど」

「んー。おもしろかったかな。ヒロインが主人公を好きになるのが急だったけど。でも、おもしろかったよ」

 テレビの光で横顔が淡く照らされている。映画鑑賞のために少し暗くした部屋でも、その端正な顔立ちは隠せない。細いフレームのメガネをかけていて、ロングの黒髪はさらさらで。温かみのない笑顔がとても絵になる、私の恋人。

 大学内でも有名なザ・クールビューティーが今まで誰とも付き合ったことがないのも不思議だけど、どうして私と交際するに至ったのかも未だに不思議。いやあ、ダメ元で告白してみるもんだな。

「寒くない?」

 彼女が毛布を引き上げてくれる。寒くない。ソファーに座って、体を寄せて、二人で一つの毛布をかけている。寒いわけがない。

「ありがと」

 心遣いがうれしくて軽くキスをしたら、同じように返してくれる。私が普段使っているシャンプーの香りがして、でも私と全く同じ香りというわけじゃないのがこそばゆい。

 好きな子と一緒にいられるなんて幸せすぎ。幸せだけど、ひとつだけ不満というか悩みがある。

 半年経っても彼女が全然手を出してくれない。

 奥手ということも考慮して、私から手をつないだり、キスをしたり、舌を入れるキスもした。恥ずかしがらずに応えてくれるし、彼女からしてくることもある。でもそれ以上はしてこない。

 付き合いたての薄着の季節だった頃、首とかお腹とか背中に触れてみたけど特別何の反応もなくて。くすぐってみたりしても笑うこともない。そしていつもの笑顔で「どうしたの?」と言いながら私の頭をなでてくる。飼い犬か何かだと勘違いしてるんじゃないか? もしや告白した時、間違えて「ペットにしてください」って言っちゃったとか?

 いや、落ち着け。そんなことあるはずない。舌を絡めるキスをしているんだから、ちゃんと恋人だ。下を絡めるような続きに発展しないだけで。

 お酒の力を借りようとしたこともあった。酔って彼女の理性が吹っ飛んでくれれば万々歳だったけどザルだった。顔色一つ変えやしない。見ている私の方が目が回りそうだったので、以降お酒の登場はない。彼女も特別好きなわけではないようだし。

 じゃあいっそ私が手を出せばいいのかと考えたこともある。でも、彼女とのそういうことを想像するとなんていうかその……私はしてほしい側みたいだから。せめて最初くらいは問答無用で押し倒してもらいたい願望がある。

 だから今日も今日とて――いや、今日は特に雰囲気作りに力を入れた。百均で買ったクリスマスの小物を部屋に飾ったり、小さなキャンドルをテーブルに置いたり。映画を観る時に火がちらちら揺れるのが目障りで消しちゃったけど。一緒にロマンチックの火種も消えた気がする。

「映画、他にも借りてきたの?」

 彼女がレンタルショップの袋を指差した。

 全部で二本借りてきた。どちらも濃厚なラブシーンがあると聞いた恋愛映画で、そのシーンであわよくば発情してくれることを期待したけど何もなかった。眉一つ動かさなかった。男女の恋愛だったからあんまり効果がなかったのかも。初歩的なミスだ。

「もう一本あるけど、今日はもういいかな」

 効果がないものを見せても仕方がない。

「エンドロール最後まで観る?」

「んー。止めちゃっていいよ」

 彼女の了解を得てリモコンの停止ボタンを押す。ついでにテレビの電源も切る。美しい横顔から光の輪郭が消えた。私はソファーから立ち上がって部屋の明かりをつける。少し眩しそうに目を細める彼女は私を見て微笑む。私の大好きな温かみのない笑顔。吸い寄せられるようにソファーに戻って体をくっつけると、そっとおでこにキスをしてくれて毛布もかけてくれた。

 こんなにかわいいのにな。

 フラれた野郎共が大学内で彼女のことを『観賞用の置物』とか『雪女』とか陰口をたたいていたことを思い出す。バカめ。置物は自分からキスしてこないぞ。

「これからどうする?」

 メガネを指で押し上げながら問いかけてくる。その奥の目に眠気は感じない。大丈夫。まだチャンスはある。

「とりあえずくっついてようかな」

「そう」

 彼女は自然な動きで私の肩を抱く。下心で満たされている私にどきりともさせないくらい美しい所作だった。

 体を密着させているだけでは進展しない。睡魔が来る前になんとかしないと。考えろ。

 大学は明日から冬休み。彼女はうちに泊まる。明日も一緒にいる。寝坊しても問題なし。今日はクリスマスイブ。聖夜。性夜として乗り越えてみせる。せっかく下着だって新調したんだから。セクシー寄りのやつ。

「何か考えごと?」

 どうやったら今すぐ襲ってもらえるか考えてるんだよ!

「ううん。明日のケーキ楽しみだなって」

「ああ、予約して買ってきてくれたんだもんね。どんなのか気になるな。見てもいい?」

「ダメ。明日のお楽しみだから。冷蔵庫覗いちゃダメだよ?」

「分かった。楽しみにしてる」

 頭をぽんぽんされる。私の体よりもケーキの方が魅力的なのかも。

 もうなりふり構っていられない。問答無用で押し倒されるために色仕掛けするしかない。露骨に。大胆に。きっと今日を逃したら次はない。

 でも色仕掛けなんてしたことがないからどうやれば……。とりあえず肌の露出を増やして、胸を寄せればいいんじゃないか? 実家のお兄ちゃんの部屋にあった漫画雑誌のグラビアアイドルがそんな感じのポーズをしていた気がする。

 深呼吸して気合を入れる。

「なんか暑いかも」

 ちょっとわざとらしい言い方になってしまった。

「エアコンの温度下げる?」

「大丈夫」

 私は毛布を剥いでシャツのボタンを全て外して床に脱ぎ捨てる。実際に部屋が暑くて脱いだわけじゃないから、ブラだけになった上半身は若干寒い。彼女の様子は――

「コップに氷足そうか?」

 実に紳士的で参っちゃうね!

 目のやり場に困ったり恥ずかしそうにしたりという態度が一切ない。純粋に私の心配をしてくれる。

「氷入れてくるよ」

「待って」

 ソファーから立ち上がりそうになるのを、彼女の太ももに手を置いて止める。そのまま身を乗り出して谷間を作るように胸を寄せた。

「大丈夫?」

 よろけただけだと思ったのか顔を覗きこまれた。胸なんて見ない。私が狙った神経に全然響いてなさそう。プロの方のような大きさがないのがいけないのか?

 次の一手を出さないと。ちょうど目の前に顔があるのでキスをする。唇を離して表情をうかがう。日常と何ら変わらない。試しに首と鎖骨にキスをしてみるけど、顔を見なくても分かる。体は緊張していないし、私に触ろうともしない。我慢している様子もない。もうお手上げだ。

 ゆっくり体を離してソファーに座り直す。

「私ってそんなに魅力ない?」

「え?」

 声に覇気がないのが情けない。彼女は突然の質問に戸惑っている。

「押し倒したくならない? 結構露骨に色仕掛けしたんだよ? グラビアっぽく」

 彼女はメガネを指で押し上げて、顎に手を当てて少し考えた。

「でもそれって男の人が喜ぶやつだよね?」

「え? 好きな人にされたら女の私も喜ぶけど?」

 大喜びだけど。狂喜乱舞だけど。

「もしかして、喜ばせようとしてくれたの?」

 彼女は合点がいったように眉を少し上げた。

「う、うん……」

 素直にうなずけない。喜ばせた先にある行動につなげたかった私のエゴだから。

 結局、色仕掛けでも欲情させられなかったわけだ。もう白状するしかない。ここまでして反応が薄いとなると、彼女が性欲を持たない可能性も否定できなくなってきた。

「喜んでほしかったというかね。その、触ってほしかった。キス以上のこと、してほしいって。色仕掛けすれば押し倒してもらえるかなって。問答無用でしてほしかったの。ごめんね。嫌だったらもうしない」

 最後の方は声が震えてしまった。露出した肌が急に下品に見えて寒気がしてくる。変態とか思われないかな。いや、変態なのは事実か。気持ち悪いとか思われないかな。嫌われないかな。嫌われたらどうしよう。視界が滲む。

「ああ、泣かないで。嫌じゃないよ」

 彼女の指が目尻を拭う。毛布を肩にかけてくれる。温かい。

「嫌じゃない? じゃあ、その気になってもらえるまで色々してもいい?」

「しなくて大丈夫だよ。いつでも抱きたいと思ってるから」

 ……ん? 聞き間違いか? 清涼飲料水の宣伝みたいな爽やかさで言ったけど。

「えっと、私のこと抱きたいの? 今も?」

「うん」

 聞き間違いじゃなかった。どうしてそんな平然としていられるのか分からない。

「ごめんね、ちょっと待って。一旦整理させて?」

 涙が引っ込んでいく。

「どういう時にムラッとしてたの?」

「付き合うようになってから常に」

 顔も赤らめずにすごいことを言う。

「二人でいる時も?」

「うん」

「大学にいる時も?」

「うん。授業中も」

 めちゃくちゃむっつりじゃん。

「あのさ、もしかして性欲強いの?」

「そういうわけじゃないと思う。付き合う前はこんなことなかったから」

 それは光栄というかなんというか。

「よく今まで我慢できてたね?」

「まあ、後で一人ですればいいかなと」

 それでも恋人の前で我慢している素振そぶりすら見せなかったのはすごすぎる。ザ・クールビューティーの異名は伊達じゃない。

「そんな風に思ってたんなら抱いていいのに。だって恋人だよ?」

「え? いいの?」

「逆に何でダメだと思ったの……」

 あ、私を大切にしたいとかそういう?

「告白した人がやるのかなって」

「ど、どういうこと?」

 彼女は神妙な面持ちになった。授業で不確定要素が多い中で意見を求められている時みたいな顔。

「男女だと男の人がする方でしょ? でも女性同士はどっちか分からないから。最初キスもそっちからだったし、舌入れたのもそっちだし。私、お付き合いするの初めてだからよく分からなくて。最初はそういう作法なのかと」

「作法って、何それ」

 思わず吹き出してしまった。

 つまり、私にされるのを待っていたと。まさか同じようなことを考えていたなんて。

「もっと素直に考えていいんだよ。私が言えた立場じゃないけど」

 彼女の頭をなでて、さらさらの黒髪を指で梳く。滑らかな指通り。同じシャンプーなのに私とは大違い。

「ありがとう」

 そう言って軽くキスをしてくれた。

「告白してくれた時からずっと抱きたかった」

「その頃から?」

「うん。というか、抱きたいって思ったから付き合うことにしたの」

 初耳。まあ、作法を気にしていたわけだから言えなくても無理はないか。

 彼女がメガネを外してテーブルに置いた。久しぶりに裸眼の彼女と目が合う。これからたくさん見られるのかな。

 頬に手を添えられてキスされる。舌が侵入してきて、私の口の中を調べるみたいになぞっていく。感じたことのない痺れが腰の辺りに広がって理解する。今までのキスは手加減してくれていたらしい。

 優しく取り払われた毛布が床に落ちる音がした。肌に空気を感じる。そういえば今ブラだけなんだった。

「え、ええ?」

 感触に驚いて顔を離す。彼女の手によってブラが上にずらされている。

「ちょ、ちょっと待って。電気とか――」

がいいんだよね?」

「あ、はい」

 我ながら間抜けな声だった。

 だって、私の大好きな温かみのない笑顔で迫られてるんだから。もしかしたらこれが彼女の興奮している顔なのかも。ってことは、ずっとこの表情でしてくれるってこと?

 うわ……最高じゃん。

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