04 『栄養価』『ナーバス』『トレーニング』
帰宅し玄関に鍵をかけ、リビングの電気がついていることを確認してチェーンもかけてしまう。運動靴の横に自分のハイヒールを揃えた。
「あ、おかえりなさい。お仕事お疲れ様」
「ただいま」
リビングに入ると、先に帰っていた同居人もとい恋人がにこやかに迎えてくれた。私はコートとジャケットを脱いで椅子の背もたれにかけ、鞄とエコバッグを座面に置く。いつもなら買ったものを冷蔵庫に仕舞うところだが、夕食前であるにもかかわらず寝間着姿になっている彼女が気になった。
「もう寝るの?」
「違うよ! 今からジョギングするの! トレーニング!」
彼女は誇らしげに胸を張る。無地の白いTシャツに布がペラペラの短パン。よく見たら靴下は履いている。走るのには悪くなさそうだが、外も暖房が効いていると思っているのだろうか。
「なにも今日じゃなくても。うら若き乙女をこんな時間に外に出せない。危ないったら」
「だってお腹のお肉が増えてるのに気付いちゃったんだもん……」
私はそのお腹を隠すTシャツをがばっとめくる。
「ちょっと!」
彼女は私の手を叩き落として服を直し、恥ずかしそうに身じろぐ。
「そんなナーバスにならなくても。どんな体型でもあなたは素敵だし、私は大好きよ」
「ありがとう。ところでナーバスって何?」
「神経質ってこと」
大好きだけど、ちょっとバカなのよね。
「ちゃんと栄養価の高いもの食べてるのになあ」
私はちらりとテーブルの上を見る。大学帰りに買ったであろうカフェのプラカップ。半円形のフタとカップの壁面にはわずかにクリームの跡があり、がんばってストローを使ったことがうかがえる。走る前の腹ごしらえとして食べたであろうカップラーメンはスープまで飲み干してある。食べ終わった容器がきれいなのはある種の才能だ。だから食事の作り甲斐があるのだが。
「あれはカロリーの高い食べものって言うのよ。いつでも残さないのは偉いけど」
私はため息をついてソファーに腰かけ、彼女に隣に座るように促すと素直に従ってくれる。
「あなたの心身が健康であることが私には一番大切なの」
「だから健康的な体型になろうと」
「今のままでいいの。だから、今日は心を健康にしましょう。脳から幸せホルモンを出して幸福感を得るのよ」
「焼肉のホルモンと一緒? 言ってることよく分かんない! 私理系じゃないもん」
「文系だって大して分からないでしょうが! その薄着で外に行こうとしたくせに!」
思わず強い言い方になってしまった。彼女が泣きそうな顔になる。
「怒ってる?」
「……そうみたいね。ごめんなさい」
私はゆっくりと鼻から息を吸い、心臓が落ち着くように努めた。
「かわいい恋人の寝間着姿、しかも薄着の。誰にも見せたくない」
「私もごめんなさい。考えてもみなかった。だって、外じゃ誰も私に興味な――」
「あなたは誰よりもかわいいわ」
私は先ほどとは違う力強さで伝えなければいけなかった。周りの勝手な評価で彼女の自己肯定感を下げさせてなるものか。
「ありがとう」
彼女の表情に明るさが戻る。
「えっと……さっき言ってた幸せホルモンってどうやったら出せるの? 今の私達に必要だと思う」
たまに本質を突くので驚かされる。純粋な目に見つめられ、難しそうな理由を付けて年上らしくスマートに誘導しようとしていた自分が情けなくなった。本当は彼女に触れて独占したかっただけ。
「簡単よ。オキシトシンっていうんだけど」
また何か言われる前に唇を塞ぎ、そのまま押し倒す。彼女の丸くて柔らかな頬をなでると、くすぐったそうに身じろぎする。これがどれだけ私を煽るか未だに理解していない。
「恋人とスキンシップすると出る幸せホルモンなのよ」
唇を離したせいで不安になったのか、潤んだ瞳がもの欲しそうに見上げてくる。
「大丈夫。最後までしてあげるから」
耳元でささやいてからTシャツに手を滑り込ませ、その愛おしいお腹に手を沈めた。
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