滅びの国の魔女紀行 -灰と灯りのふたり旅-
浅里絋太
結晶からのめざめ
結晶からのめざめ 1
月の光が照らす夜の森に、地面に根差す大きな結晶の塊があった。
うっすらと輝く青い結晶の中央には、少女の姿があった。銀髪をまっすぐ肩まで垂らしたその少女――リティは、黒い上下の服に、黒いマントを身につけている。
リティの体はまるで生物の標本のように結晶に封じられ、長い眠りの中にいた。
それに、少し離れたところにもうひとつの結晶があった。そこには、たわわな赤髪の少女がおさまっていた。そちらの少女――メイナは、リティよりもやや大柄だが、やはり顔にあどけなさを残している。また、その体はゆったりとしたクリーム色のローブに包まれていた。
彼女らは同じ師に学び、同じ師に護られていた。この結晶が、ふたりを厄災から護ったのだ。
銀髪の少女――リティの封じ込まれた結晶には、亀裂が入っていた。小さな亀裂だったが、それはまるで、必要な時がきたことを知ったかのように、ひと息に広がった。
最後に結晶は甲高い音をたてて砕けた。――リティは地面に落ちた。
リティは長い夢を見すぎていて、現実に戻ってきたことが理解できなかった。
体の重さと頭痛が、妙な違和感として主張してきた。
こめかみに釘を刺すような痛み。
ため息を漏らし、頭をおさえる。
控えめだが、鼓膜をふるわせる虫の声。
鮮烈なほどの、土と木々のにおい。
ぬるい、肌にからむ風の生々しさ。
そこでリティは気がついた。
――目が醒めたのだ。
『これから、長い、長い冬がくる。この森すら氷につつまれ、あらかたの生命は死に絶えるだろう。だから私は、きみたちを……』
そう言って、師匠のアズナイは、ふたりを結晶に閉じ込めた。
――そうか、ふたり。
リティは顔を上げて周囲を見まわした。
空には欠けた月が輝き、星々がさざめき、その下には暗い森が続く。
周囲には、ふくろうや獣の声はしない。なにかの偶然なのか。または、師匠が言ったとおり、生き物は死に絶えたのか。――確かに聞こえるのは虫の声だけ。
リティはぐるりと振り返る。すると、もうひとつの結晶と、その中にいる赤髪の少女を見つけた。
「メイナ……」
思わずその名を呼んで、立ち上がろうとするが、体に力が入らなかった。引きつるような痛みが体じゅうに走った。
筋肉や関節が言うことを聞かない。
リティはメイナの閉じ込められた結晶を睨み上げながら、体をさすった。
一度くしゃみが出て、身体中が再び痛んだ。季節は、おそらく秋くらいだろうか。
寒くはないが、暗いのは嫌だった。月明かりだけを頼りにするのは、あまりに心許ない。師匠のアズナイならば、まずこう言うだろう。
『メイナ、灯りを』
そうか、メイナに頼もう。リティはそう思って、懸命に足や腰を揉みほぐした。
(こんな状態で、灰の魔法を、使えるだろうか)
リティは体をほぐしながら、そう考える。
誰しもが、偉大なる女神ミュートより、才能や特技を与えられて産まれてくる。
足が早かったり、頭がよかったり、歌がうまかったり。
その中で、一部の人間が魔法の才能をさずかった。
それはミュートからの祝福なのか、はたまたなんらかの懲罰なのか、リティにはわからなかった。
自分の呪われた才能にくらべて、メイナのそれは、どれほどすばらしいか。
リティは淡く光る結晶の前に立った。結晶は頑健な岩のように地面に根差し、結晶にはひびひとつない。ほうっておいても、いつ割れるのかわからない。
結晶の中のメイナのまぶたは、やわらかい蕾のように閉ざされていた。声をかけると、ふと目覚めそうだ。
「メイナ……」
そうリティは呼ぶが、やはり反応はない。
師匠であるアズナイの結晶が、そんなに軟弱なはずはないのだから。
リティは結晶に向かって右手をのばした。
そして、呼吸をととのえる。腹式呼吸だ。大きく息を吸って、力のイメージを身体中に行き渡らせる。
『そうだ。それでいい。リティ。ゆっくりでいいんだよ』
どこからか、アズナイの声が聞こえてくるようだ。遥かな天国か、冥土の底かわからないが。
リティは右手に、力を集中させるイメージをした。そのイメージは、いつも黒い波として現れる。世界を覆う黒い波が体に集まり、手に集まり、対象をゆらす。
すると、結晶の一部――右手が触れている箇所が、白濁色になった。頭の中にも波の反動が返ってきて、目まいがする。
結晶の触れている箇所から、さらさらと白い灰が落ちてゆく。灰は地面に積もってゆく。
リティは吐き気を覚えながら、できるだけそれらの灰を見ないようにして、結晶を壊していった。時間をかけて、休みながらゆっくりと。
やがて、メイナの周囲を残して、結晶があらかた削りとられた。
しばらくすると、メイナのまぶたがぴくりと動いた気がした。リティは言った。
「起きて、メイナ。朝よ」
あたりは真っ暗だった。月が雲に隠れていた。
暗闇の中で、メイナを囲む残った結晶だけが光りだっていた。その結晶に、いく筋もの白い線が走った。
硬質で耳障りな音をたてて、ひびが広がっていくと、ついに結晶は光とともに粉々に砕けた。
そのまま地面に落ちるメイナを、リティは結晶のかけらもろともに、両手でささえた。
ほのかに甘いにおいがした。――メイナが好む、ミラナクの花のにおいだ。
「メイナ、起きて」
と、リティは腕の中へ呼びかける。やがて、メイナのうめき声がした。
「あ、んん。ええと……。え? 暗い……」
リティは安堵の中、静かに言った。
「メイナ、光を……。光を出してくれない?」
すると、メイナはぼんやりとした目つきのまま、右手のこぶしを持ち上げた。
そして、穏やかな深呼吸をしたかと思うと、そのこぶしを開いた。
手のひらから光があふれ、暗い森や、メイナの赤髪を照らした。
光を映すメイナの瞳は、いまだに半分夢を見ているようだった。
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