第33話 死なせてくれ

――トントン


 ドアがノックされた。


「どうぞ」


 ぎぎぎーっと音を立てながら扉が開いた。


 コハクが「失礼いたします」と頭を下げてから入ってきた。


「……起きていらっしゃったのですね」


「うん……。色々と迷惑かけたね」


「とんでもございません」


 コハクが首を横に振った。


 彼女が何を考えているのか、表情からは読み取れない。


 ゴブリンキングに襲われたときでさえ、彼女は無表情だった。


「コハクは無事だったみたいだね。良かったよ」


「はい、おかげさまで」


 コハクは一泊置いてから深々と頭を下げてきた。


「この度は誠に申し訳ございませんでした」


「え……と?」


 困惑する。


 頭を下げられる理由がわからない。


「御主人様は危険な目に遭わせてしまいました。どうか私に罰を」


「いや……ごめん、ちょっと意味わかんないんだけど」


 なんでコハクのせいなの?


 あれは僕の決断だし、コハクに責任は何もないはずだ。


 コハクが顔を上げる。


 彼女は口を開いては止め、なにか言うのに躊躇しているようだった。


 相変わらず無表情だけど……。


 表情筋死んじゃったのかな?


 心配になる。


 僕は彼女が言葉を発するのを待った。


「私は御主人様と一緒にいる資格はございません」


 ん?


 どういうことだろう?


「資格ってなに?」


「私と一緒にいると御主人様まで不幸になります。

 これまで、私とともにいたばかりに多くの人たちが不運に見舞われました」


「……それってさ、コハクが原因なの?」


「……はい」


 コハクが頷く。


 未だに僕は彼女が言ってることがわからない。


 一緒にいるだけで不幸になる?


 それはまるで呪いじゃないか。


 これがもし生前なら、そんなの迷信だって笑い飛ばせたけど、この世界ではあり得る話だ。


 実際、呪いは存在する。


 生まれながら呪いを持っているか、誰かにかけられた呪いがある。


「呪いってこと?」


「わかりません」


 コハクが首を横にふる。


「多くの人を不幸にしたって言うけど、たとえば僕の父親もそうなの?」


 コハクを買ったのはヤマルだ。


 ヤマルもコハクと一緒にいたばかりに死んだ可能性がある。


「確証はございませんが……おそらくそうでしょう。きっと私は不幸を呼ぶ呪いを持って生まれたのです」


 なるほど……。


 そりゃ、確証は持てないよね。


 そもそも、不幸を降り注ぐ呪いなんて存在するのか?


 呪いの効果があまりにも漠然としすぎている。


 不幸って一言で言ったって色んなベクトルがあるはずだ。


 正直、僕にはピンとこない。


「御主人様をこれ以上不幸にする前に、どうか私を売ってください。

 私はエルフです。多少呪われていようと買い手はいるはず。それなりの金額にはなるでしょう」


 これ以上不幸って言われてもさ……。


 まるで今が不幸みたいな言い方だよね、それ。


 僕は今の生活を気に入ってるんだけど。


 死にかけたけど、前世の死んだような人生よりは断然良い。


「ごめんね。僕はコハクを手放すつもりはないんだ」


 あるかどうかもわからない呪いが理由で、彼女を手放すつもりはない。


「君の権利は今、僕にある」


 こういう言い方はあんまり好きじゃない。


 相手を縛り付けるような言い方だ。


 生前、僕が両親から縛られていたせいで、余計嫌だなと感じてしまう。


 それでも、今はこの言葉が適切な気がした。


「君が勝手に僕のもとを離れることは許さないし、もちろん僕も許可しない」


 彼女が自分で自分を買うその日まで僕は彼女を手放さない。


 いまコハクを手放したら僕が困る。


 僕には彼女が必要だ。


 これはエゴだ。


「わかった? コハク」


 コハクは無表情だ。


 何を考えているかわからない。


 内心でどんびいてるのかもしれない。


 今まで僕はなるべく良い人になろうと思っていた。


 嫌われないようにしたいと思っていた。


 でもさ、せっかくこの世界に転生したんだ。


 それだけじゃつまらない。


 好きなように、自由に生きたって良いと思う。


「……わか、りました」


 コハクはいつもの無表情で頷いた。


◇ ◇ ◇


――コハク視点――


 私の御主人様は不思議な方だ。


 最初お会いしたときは、甘やかされて育った少年という印象だった。


 私と同い年というけれど、ずっと子どもで……良く言えば無邪気、悪く言えば世間知らず。


 私を見る目が下品で下心満載だったけど、別にそういう目で見られることには慣れていた。


 多くの人族がエルフを欲望の対象として見ていることを知っていた。


 加えて、人族はエルフを従えることに優越感を覚えるらしい。


 つまりそれは、エルフが人族よりも優れているということではないか?


 優れているものを従えているから優越感を覚えるのではないか?


 人族の卑屈さが滲み出ているように感じられた。


 エルフは違う。


 エルフは己に誇りを持っている。


 魔法を研鑽し、その技術によって自尊心を高めている。


 そこに他者が介在することはない。


 常に己と向き合っている。


 ある意味、個で完結している種族と言えるだろう。


 それがエルフという生き物。


 それに対し、人族というのは愚かな生き物だ。


 一人では何もできない。


 他者と比較し、他者の上に立つことで優越感を覚える。


 私を買った奴隷商人は、私を好き勝手連れ回した挙げ句、勝手に死んだ。


 突如襲ってきた魔物によって馬車が吹き飛ばされ、その拍子にあっけなく死んだ。


 その後、たまたま通りかかった冒険者たちが魔物を退治してくれた。


 生き残ったのは私と今の御主人様。


 目を覚ました御主人様は、以前とは少し変わっていた。


 世間知らずというのは変わっていなかったが、私を見る目が変わっていた。


 下心を感じさせない目だった。


 その後の御主人様の行動は、理解不能なことが多かった。


 利息をなくすとか言ってわざわざ自分の不利益になるようなことを言い出したり、唐突に冒険者になるといい出したり。


 意味がわからなかった。


 理解できなかった。


 別に理解する必要はない。


 私は言われたとおりに動くだけ。


 御主人様に魔法を教えた。


 初めて魔法を覚えたときの、御主人様の目は輝いていた。


 嬉しそうだった。


 少しだけ昔の自分を思い出した。


 故郷で過ごしていたときの記憶。


 初めて魔法を覚えたとき、私も彼と同じように嬉しそうな目をしていたと思う。


 風をちょっと吹かしただけの魔法で嬉しくなった。


 親に自慢した。


 しかし、その楽しかった記憶はすぐに血塗られたものに変えられた。


 私が壊した。


 私は周りの者たちを不幸にしていく。


 里が魔物に襲われ、みんな死んでいった。


 私が一番幼かったから、みんな私を逃がすために死んでいった。


 たまにこっそり木の実をくれたお婆さんが殺された。


 いつも一緒にいた、姉のように慕う人が殺された。


 私を大切に育ててくれた父と母が殺された。


 みんながみんな、私に生きてと言った。


 逃げて逃げて――。


 たどり着いた先は人族の住む小さな村。


 優しい人族の老夫婦に拾われた。


 人族のことを色々と教えてくれた。


 何もない私に愛情を注いでくれた。


 私に優しくしてくれていた二人は、人族に殺された。


 私を守ろうとして殺された。


 その瞬間、私は笑うことがなくなった。


 表情が動かなくなった。


 私は人族に捕まり、奴隷として売り飛ばされた。


 貴族のもとに売られた。


 貴族の男は私を所有してることに優越感を覚え、至るところに連れ回した。


 そして男は魔物によって殺された。


 次は奴隷商人に買い取られた。


 ヤマルという商人だ。


 そのヤマルにも不幸が訪れた。


 ヤマルも魔物に襲われ、命を落とした。


 私は不幸をばらまく。


 私と関わった人たちはみな死んでいく。


 すべて私のせいだ。


 これ以上、不幸をばらまきたくない。


 御主人様はお人好しだ。


 私たち奴隷を尊重し、食事を与えてくれた。


 服を与え、自由を与えようとしてくれた。


 そんな御主人様を死なせたくない。


 御主人様が軽蔑できる人間ならどれだけ良かっただろう。


 たとえ彼が死んだとしても、心が傷まずにいられた。


 でも、御主人様はあまりにも優しすぎた。


 ずっと私よりも弱いはずなのに、果敢にゴブリンキングに立ち向かった。


 その姿がひどく眩しく、この人を死なせたくないと思った。


 私のせいで不幸にさせたくはない。


 そのためにも私は御主人様から離れる必要があった。


 でもあの人は私を手放したくないと言った。


 その言葉は嬉しく、同時に悲しかった。


――ああ、私はまた大切な人を傷つけてしまう。


 もう嫌だった。


 傷つけたくなかった。


 傷つきたくなかった。


 いっそのこと死んでしまいたい。


 私が先に死ねばすべて解決する。


 でも、私は自分の意思で死ぬことができない。


 あのとき、ゴブリンキングに殺されるのが一番良かった。


 なぜ私は死ななかったの?


 なぜ私を死なせてくれなかったのか。


 なんでもいい。


 はやく私を――。






 死なせてくれ。

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