第16話 優しさ
「ダースの一番の望みを叶えてあげることはできない」
エソラが意味のわからないことを言ってきた。
「は?」
「僕は君の人殺しを手伝えない」
「だろうな、同胞だもんな」
何を言い出すかと思えば、そんなことか。
別に人族を殺すのを手伝えだなんて思っちゃいない。
「でも――」
そういってエソラが言葉を区切った。
エソラがまっすぐな瞳であたしを見てきた。
不覚にも、ドキッとした。
異性としてとか、そういうのじゃない。
その目がすごく真剣だったからだ。
芯の通った目だった。
「ダースの力になりたいんだ」
力強い言葉だった。
嘘偽りのない目だ。
「君は奴隷で僕は主人だけど、ここが居心地の良い場所だって思ってもらいたい。
僕は人族で信用ならないかもしれないけど、君の敵じゃないから。
それだけはわかってほしい」
「あぅ……」
あたしの口から、掠れた吐息が漏れた。
「大丈夫、僕はダースの味方だ」
「――――」
言葉にならない。
ずっと、虐げられてきた。
人族の世界に来てから、ずっとだ。
弟を殺され、あたしは奴隷となり、尊厳を踏みにじられボロ雑巾のように扱われた。
ここに自分の居場所なんてないと思っていた。
希望なんて持っちゃダメだと思っていた。
あたしはここで死ぬんだと思っていた。
みんな敵だ。
人族は憎む相手だ。
心を許すなんてあり得ない。
全員死ねば良い。
殺してやる。
喉を食い破って殺してやる。
あたしを舐めんな。
舐めたやつら、全員殺してやる。
皆殺しだ。
そうやって自分を守ってきた。
ここは里じゃない。
守ってくれる人なんていなかったから、あたしがあたしを守るしかなかった。
居場所なんてないと思っていた。
味方なんていないと思っていた。
現れるはずがないと思っていた。
奇跡なんて信じない。
だってもし奇跡なんてあるなら弟は死ななかったはずだ。
「――――」
ああ……。
奇跡なんてないと思っていたのに。
これは紛れもない奇跡だ。
エソラがあたしの前に現れたのは、奇跡以外の何者でもない。
こんな奇跡、あって良いのだろうか?
夢ではないのだろうか?
「うぁ……」
辛かった。
苦しかった。
誰かに助けてほしかった。
大丈夫だよっていってほしかった。
味方が欲しかった。
生きたかった。
生きてもいいと思いたかった。
「――――」
やはり、言葉は出てこない。
目の前が霞む。
涙でエソラの顔が霞む。
エソラは間違っている。
あたしの一番の望みは人族を殺すことじゃない。
今でも殺したいのは変わらない。
弟を殺した連中をなぶり殺しにしたい。
でも、あたしが本当に望んでいたのは居場所だ。
安らげる場所が欲しかった。
もう限界だった。
エソラがあたしの味方だと言ってくれた。
きっとその言葉は嘘じゃない。
この少年が嘘を吐くとはどうしても思えなかった。
「え? あっ……」
エソラが慌てふためいている。
「ははっ、泣いてる子を目の前にして何してんだよ。情けないやつ」
「え……あっ、ごめん」
あたしはエソラが持っていた服を奪い取る。
そして目をゴシゴシと拭く。
エソラの顔がよく見えるようになった。
やっぱり弟と似てる。
弟もこういうとき慌てふためくんだろうな。
そう思うと、ちょっと笑えてくる。
あたしは人族が嫌いだ。
大嫌いだ。
殺したいと思っている。
殺したいほど憎んでいる。
でも、エソラは他の人族とは違う。
「なあ」
「なに?」
「この鎖、外してくれよ」
あたしはこんこんと鎖を叩く。
「いや、それは……」
エソラが目を泳がせた。
未だにあたしを恐れているのがわかる。
はっ、馬鹿なやつだ。
もう何もしねーっての。
「もうお前を襲わねぇよ」
「……ほんと?」
不安そうな目でエソラがあたしを見てきた。
「今だって襲ってないだろ?」
「え、まあ……そうだけど」
「じゃあ外してくれても良いよな?」
「う、うん……」
エソラはそう頷いてから鍵を探しに出ていった。
奴隷に言いくるめられる主人ってなんなんだ?
そんなんじゃ悪いやつに騙されるだろう。
人族は薄汚い連中が多いんだ。
「あたしが守ってやらないとな……」
エソラは優しい。
でも、この世界は優しくない。
それはあたしが身にしみてわかってることだ。
しばらくすると、エソラが戻ってきた。
そして恐る恐るあたしの首輪を外した。
手が震えていたのをあたしは見逃さなかった。
怖がられてるんだろうな。
まあ、それも仕方ないか。
だけど、もうエソラを襲うことは二度とない。
――カキンッ
鎖が外される音がした。
自由になれた気がした。
まだ奴隷であることに変わりはないんだけど。
「じゃあ、ボス。改めてよろしくな」
「え? ボス?」
「そうだろ? お前がこの群れのリーダーだ。ならボスと呼ばせてもらおう」
「いや……そういうのはなんか恥ずかしいんだけど」
そういって頬を掻くエソラの手を握る。
「え?」
エソラがぎょっとした目で見てきた。
あたしの知っている群れのリーダー像とエソラはまったく結びつかない。
群れのリーダーは強く凛々しく常に自信に満ち溢れている。
それがあたしの知っているリーダーだ。
実際、里の長は誰よりも強い男だった。
そうでないと犬人族を率いてなどいられない。
エソラに強さはない。
エソラにあるのは、優しさだ。
でも、優しさがあれば十分だ。
こんな腐った世界で、優しさがどれだけ身にしみることか。
だってあたしは、エソラのその優しさに救われたのだから。
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