第7話 奴隷に希望なんてない

――ダース視点――


 あたしは森の中にある里で暮らしていた。


 閉鎖的な里だ。


 外から人がやってくることはほとんどない。


 昔、一度だけ冒険者が里に訪れたことがあった。


 めったにない機会だった。


 あたしは外のことをたくさん知りたくて、冒険者からいろんな話を聞いた。


 南の砂漠で死にかけたこと。


 北の迷宮に潜ったこと。


 たくさんの国に行ったこと。


 文化の違いで衝突し、牢屋に入れられたこと。


 大切な仲間を亡くしたこと。


 この世界は広いということ。


 あたしは自分の世界がものすごく狭いことを知った。


 狭い世界がイヤで里を飛び出した。


 自由に生きてみたかった。


 冒険者として世界中を回ってみたいと思った。


 人族の街は輝いて見えた。


 初めて見る里以外の街。


 正直、感動した。


 すべてのモノが目新しく、キラキラして見えた。


 冒険者が語ってくれたように、今から楽しいことがいっぱいあるんだと思った。


 だけど現実は違った。


 あたしは人族に捕まった。


 それはもうあっさりと。


 バカだった。


 何も知らない獣人族の少女が一人で街を歩いていて、危険がないわけがない。


 あとで知ったことだが、亜人狩りというのが流行っていたらしい。


 十年ほど前に起きた戦争によって亜人は大量に奴隷にされた。


 亜人戦争のことは世間知らずなあたしでも知っていた。


 でも、自分に関係ないと思っていた。


 亜人は丈夫で壊れにくく、奴隷として質が良いらしい。


 それに味をしめた人族が次々と亜人を狩り、奴隷にしていった。


 あたしも奴隷にされた。


 奴隷契約を結ばされた。


 しかし、どうやらあたしには契約があまり効かないらしい。


 理由はよくわからなかった。


 そんなことどうでもよかった。


 契約が結べなければ無理矢理にでも従わせられる。


 反抗したら罰が下った。


 鞭で打たれた。


 食事を限界まで抜かれた。


 裸で拘束され、見せしめにされた。


 独房に監禁され、暗闇と孤独の中で放置された。


 それでもあたしは彼らに従おうとは思わなかった。


 人族に逆らってはならない。 


 そう思わされるのがイヤで抵抗し続けた。


 痛いのは嫌だ。


 空腹はもっと嫌だ。


 裸にされるのは屈辱でしかない。


 暗闇は発狂しそうになった。


 でも、あたしは自分が奴隷じゃないと思いたかった。


 他のやつらが奴隷として従順になるのを見て「ああはなりたくない」と思った。


 なってはいけないと思った。


 心まで奴隷にされてしまったら、あたしがあたしでなくなってしまう。


 あたしは自由に生きると誓った。


 抵抗を続けていれば、いずれ処分される。


 むしろ、未だに処分されていないのが奇跡だった。


 死の恐怖がなかったわけじゃない。


 怖い。


 死にたくはない。


 でも心まで奴隷に身を落としちゃいけない。


 あたしは自由に生きなきゃいけなかった。


 あたしは、でっぷりとした奴隷商人に買われた。


 そいつも他の奴らと一緒だった。


 あたしを手懐けようと、しつけようと、調教しようとして、痛い目を合わせ言葉で暴力であたしを屈服させようとしてきた。


 それでもあたしは誇示を守り続けた。


 体を痛めつけられ、クソまみれなところで放置された。


 食事は出てこない。


 餓死を待つだけの状態。


 ここで死ぬんだな……。


 イヤだな……。


 生きたいな。


 これなら少しは従順にして、他の奴隷たちと一緒で己を殺し生きていくべきだったんじゃないか。


 そう思えてきた。


 そう思ってしまう自分が嫌だった。


 あたしはここで野垂れ死ぬのか?


 こんな狭いクソまみれな牢で?


 クソみたいな人生だな、そりゃ。


 そんなことを思っていたとき、あいつが現れた。


 新しいあたしの主人となった少年だ。


 呑気な顔をしたやつだ。


 でもどことなく他の連中とは雰囲気が違った。


 あたしを見る目が違った。


 他の連中はあたしを家畜かなにかにように見ていた。


 それと比べると、こいつはあたしを人間扱いしているように見えた。


 少年はなぜか牢屋を掃除し始めた。


 くそまむれの臭い部屋が少しずつきれいになっていく。


 意味がわからなかった。


 目の前の少年はなんなのだろう?


 理解できなかった。


 掃除をする理由もわからないし、掃除をするにしても少年がやる理由がわからなかった。


 他の奴隷にやらせればいい。


 わざわざ少年が手を汚す必要なんてない。


 これはきっと罠だ。


 そうでなきゃおかしい。


「よし、キレイになった」


 そういって少年があたしに近づいてきた。


「――――」


 過去の記憶がフラッシュバックした。


 人族たちがあたしに暴行を加えてきたときの記憶――。


 大切な・・が人族に殺されたときの記憶―。


 次の瞬間、


「――――」


 あたしは無意識に少年の首を食い破ろうとした。


『御主人様――!』


 エルフが少年を後ろに引っ張ったことで、あたしの牙は空を切った。


 そして直後、


「がああああぁぁぁ!」


 焼けるような痛みが体の奥底から全身に広がった。


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――。


 全身から血が吹き出る。


 死ぬ。


「ああああああああぁぁぁあぁ!」


 何度経験しても慣れるもんじゃない。


 死なないだけで、死ぬほど痛い。


 痛みに悶えている間に、少年はいなくなっていた。


 代わりにエルフの少女がいた。


 そいつは、あたしを見下ろしていた。


「……っ」


 処分されると思った。


 あの少年、自分で手を汚したくないからエルフを向かわせてきたんだ。


 そう思った。


 殺されるとわかっていても、今のあたしには何もできない。


 動こうにも体力が残っていなかった。


 死神がこのような少女ならまだマシなのかもしれない。


「天の恵みよ、我が力となりて傷を癒せ――ヒール」


 みるみると傷が塞がっていった。


 エルフの少女によって治癒魔法をかけられた。


「な……んで……」


 理解できなかった。


 なぜ奴隷であるあたしに治癒魔法をかけたのか?


 まさかこのエルフ、あたしを哀れに思ったのか?


 同情されたんだと思った。


「御主人様のご命令です」


「な……っ」


 それこそ理解不能だった。


 あたしは少年を殺そうとした。


 処分されてもおかしくないことをした。


 殺されると思っていた。


「はっ、あたしを……手懐けようってか?」


「わかりません。私はただ御主人様の命を受けただけですので」


 エルフに聞いても真意はわからなそうだった。


「じゃああいつに伝えとけ。あたしを手懐けようたって無駄だ。てめぇの喉かききってやるってな」


「……」


 エルフは応えない。


 こいつが何を考えてるかまったくわからない。


 同様にあの少年の考えも読めなかった。


「こちらも御主人様からです」


 エルフがパンを2つ取り出し、床に置いた。


 多分、あたしは間抜けな顔をさらしていたと思う。


 唖然とした顔でパンを見た。


 意味も意図もわからない。


「それでは失礼いたします」


 そういってエルフが去っていった。


 理解ができない。


 ぐぅっと腹が鳴る。


 あたしの本能がパンを無視することができない。


 床に置かれたパンを見る。

 

 奴隷になってからというもの、まともな食事をした記憶がなかった。


 食べたものといえば、カビの生えたパンと味のしないスープ。


 そもそも何かを食べられるだけでマシだった。


 罠……なのか?


 あたしに希望を見せてあとでどん底に落とそうって魂胆か?


 わからない。


 耐え難い空腹に、あたしはパンにかぶり付いた。


 食うことは食らうこと。


 命をいただくことで自然の秩序は保たれる。


 そうして自然界は回っており、人間もその中の一つに組み込まれている。


 自然に敵も味方もない。


 ただそこにあるモノ。


 自然とは気まぐれのモノ。


 人間の意思とは関係なく存在する。


 だからこそ、食物には感謝をせよ。


 そう教わってきた。


 あたしも狩りの過程でその教えをわかったつもりでいた。


 でも、本当の意味であたしはわかっていなかった。


 恵まれていたんだと思う。


 里では餓死しそうになったことはなかった。


 自然の恵みを享受していた。


 そのことに気づいていなかった。


 なくしてから初めて気づく。


 ……いいや、違う。


 自然の摂理も循環もこの際どうでもいい。


 腹が減ったから食う。


 それだけだ。


 それが全てだ。


 脳が本能が訴えるままにパンを食い散らかす。


 食べることが生き物の本能。


「ぁ……」


 気がつけばパンが床から消えていた。


 いや、あたしが食べたんだ。


 味は覚えていない。


 まずかったわけじゃない。


 きっと、美味しかったんだと思う。


 美味しさを感じるよりも前に食べきってしまっていた。


 もうないのか……。


 パン一つで空腹がなくなるわけがない。


 むしろ今まで以上に欲しくなる。


 もっと欲しい。


 もっともっと欲しい。


 ただ食べるという行為がこんなにも幸福だとは知らなかった。


 こんなにも欲深いものだとは知らなかった。


「ははっ。なに考えてんだ、あたしは……」


 乾いた笑みがこぼれる。


 殺すならはやく殺せと思っていた。


 それなのにいざ死にそうになると生にしがみつく自分がいる。


 結局のところ、あたしは死にたくないんだ。


 生きていたい。


 生きることに希望を見出そうとしてしまう。


 あの少年が実は良いやつなんじゃないか……そんな希望を抱いてしまいそうになる。


 そうあって欲しいと願ってしまう。


 そんなはずはないとわかっている。


 希望を見出してはいけない。


 奴隷に希望なんてないのだから――。

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