メンヘル・ラララ・ランナー

刈葉えくす

リストカットはもうやらない

 目が覚めるとまず込み上げてくるのが、強烈な世界への嫌悪である。ああ、今日もこの腐敗した世界で一日過ごすのか。いや、腐敗してるのは世界じゃなくて、あたしの方だな。別に腐女子ってワケじゃないけど、あたしノマカプ派だし、なんというか、人間として?腐ってるというか。そんな感じ。自己嫌悪だった。


 腐女子は別に腐っている訳じゃあ無いと思う。だってアイツら、お仲間同士で受け攻め論争に情熱を燃やしたり、グッズ買ったり結構人間的じゃん?


 本当の意味で腐っている人間というのは、要するにあたしのことを指すのだ。友達も居ないし、好きなアニメとか小説とかはあるけど『推し』を作るほどの情熱もない。経済も回さない。恋人も居ない。


 停滞して、鬱屈して、何も成さない。そんな人間。それがあたし。


  こんなこと言うとまるでイタい人間というかラノベの高飛車ヒロインみたいで恥ずかしいんだけど、あたしって本当に他人に興味がないんだよね。


 だって、誰もあたしに同情してくれないんだもん。自慢じゃないけどあたしって結構可哀想な人間だと思うよ?生まれたときから勉強勉強でさ。いや、別に学歴厨の毒親って言う程じゃあないんだけど、お母さんは昔っから、あたしが何か娯楽を消費する度に


『またそんな事して、本当に大丈夫なの?』


 とか、


『時間は大切にしなよ』


 みたいな感じでグチグチネチネチと小言を吐く。中学受験の頃には娯楽そのものがやっちゃいけないことみたいな認識になっちゃってさ。この通り、無趣味かつ無教養なつまんねー空っぽ人間になっちゃいましたよ。


 しかも自室で勉強してると決まって『勉強せずに遊んでる判定』だし。嫌だよリビング。あそこ妹居るもん。妹はあたしに似てかまちょだから、暇になるとリコーダーをピー!って吹いてあたしの気を引こうとしてくるんだもん。集中できるわけ無いじゃん。


 あーあたし、かわいそ。可哀想、カアイソウ。たしか今日模試の結果(多分最悪。なんせ英語の長文の途中で寝たからね)戻って来るんだよなー。アレ親に郵送されるから隠蔽も出来ないし、また小言言われるのかなぁ。嫌だぁ。嫌だよぉ。


 こんな憂鬱な日はアレだな『自傷行為』に限るな。うん。


──


 Q:なんで、世のメンヘラは自傷行為に走るんだと思う?


 A:かまって欲しいから!

 

 ↑そういう人も居る。でもあたし的には↓


 A:『確信』が欲しいから


 あたしは今、苦しいのだ。あたしは今、世界で一番可哀想な女の子なんだ。そういう確信を得るコトにあたしの自傷行為の本質が在る。


 心が痛いっていうのは厄介だ。出血とか骨折みたいな一目瞭然のダメージと違って心のダメージは証明するのが難しい。場合によっては涙が出たりするけど、それは心が傷ついたときの十分条件であって必要条件じゃあない(この言い回しを使ってみたかった)


 自傷はメンタルな痛みをフィジカルな痛みにコンバートする作業とも言える。ホラ見なさい。あたしは今『痛い』んだよ。と、そういう確信を容易に得ることが出来るわけだ。


 だけどもう、リストカットはやめた。なんせ、もっと苦しくって『しっくり来る』自傷を見つけたから。


 ──


 と、言うわけで、あたしは今、珍しくも朝早くから学校にいます。しかもグラウンド。お外です。


 そして、今から校庭10周します。


 自傷行為『に』走るんじゃなくて、自傷行為『で』走る。これこそが、あたしの見つけた最適解。言うならばシン・自傷行為だッ!


 最近、どうもリストカットがしっくり来なくなっていた。なんというか、初めてリストカットしたときに感じていた『ドキドキ感』というか高揚感を感じられないのだ。


 どうやら昔のあたしは『リストカットしちゃった自分』に酔っていた節があり、中学生のクリスマス、しんしんと降る雪を腕の鮮血で紅く染めた日なんかは、詩の1つや2つでも詠んでしまおうかなと思ってしまったくらいのドラマチックを感じられたのだが、もはや今は『じんわりと痛ぇ』くらいの感想しか出ない。そもそも、あたしの『苦しさ』を表現するのに、腕を斬りつけるだけのリスカは的外れではないか。自我が発達するにつれてそう思うようになって来たワケ。


 きっかけは偶然だった。数少ない外出イベントである憎き模試を受けに駅前の塾に行くべく、自転車に乗り込もうとしたときのことだ。


 自転車が、無かった。その瞬間フラッシュバックする前日のやり取り。


『おねーちゃん、明日たっくんの家行くから自転車貸してー』


『ん、いいよー』

 

 そうだ。最近、妹はあたしの自転車を使っているのだ。妹が小学生の頃に使っていた自転車が彼女の成長により相対的に小さくなって来た為である。そしてあたしは普段から外出しないので、いつものクセで貸してしまった!


 お母さーん!と叫ぼうにもアレは地域のミニテニス交流会に行っていて不在。最寄り駅は歩いて45分くらいかかる。


 かくして、あたしは塾まで徒歩で行くハメになった。くっそー、休日の午前中から男の家とは。なんとはしたない我が妹!


 模試の開始まであと30分弱。走らないと遅刻することは明瞭だった。あたしは体育の時間は決まって仮病で見学しているので『走る』という行為は本当に久しぶりだった。案の定、10歩でバテた。10分じゃなくて、10歩でバテた。


 あー可哀想。ほんと可哀想。なんでこんなことやってんのあたし。あほくさ。でも遅刻したら受けられないし……そしたらお母さん絶対ブチギレるし。あー……


 ずきん。ずきん。ずきんと心臓が悲鳴を挙げる。


 苦しい。苦しい。苦しい……


 って、あれ?


 このとき、あたしの脳裏に一つの疑問が浮かんだ。


 Q:今の苦しいは、の『苦しい』だ?


 このとき、あたしは心の苦しさの全てが肉体の苦しさに変換されているような、そんな感覚を覚えた。将来への不安とか、ウザい親と妹とか、現政権に対する不満とか、そういうものが全てどうでも良くなって、身体の苦痛に還元されているような、そんな感覚を覚えた。


 これだ。あたしが求めていた『苦しさ』は!


 かくして、今の習慣に至った。あたしは誰も居ない早朝のグラウンドに立って、ムワッと来る熱風を感じる。曇りの朝なのにこの蒸し暑さ。もうすっかり夏だ。グウィーンという芝刈り機の音。刈られた雑草が発する青臭いエキスと機械の発する石油っぽい匂いが混ざった空気を吸い込む。


 右足を出し、着地する前に左足を出す。昔それを繰り返せば空を飛べると主張していた同級生の男子が居たが、それが走るという行為であると、バカみたいに空気を蹴り続けていた当時の彼に教えてあげたい。


 ムシムシした風をさっきよりも強く感じる。これを始めた当初は数メートル先の大きな木がある辺りで大分『仕上がって』いたが今はトラックを半周くらいしなければ、あの領域に至るのは難しくなっていた。


 キタキタキタキタ。弧度法にして3/2πくらい(楕円だからこの表現は不適当かもしれない)走ったあたりで、脇腹にチクチクとした痛み。怯まずに走り続けると、それはどんどん強く、深く広がっていく。殺人鬼にお腹をナイフでブッシュブッシュと刺されているような激痛。そう、これだよこれ。ちゃちいカッターナイフじゃあ、この痛みは作り出せない。


 腕、足、尻の筋肉まで痙攣し始めて、頭もクラクラ。常に限界と隣り合わせなこの感覚がたまらない。


 やがてスピードも落ちて来て、最終的におばあちゃんの競歩みたいにトボトボ走る。それでも動くことをやめない。ヴァクヴァクと震える心臓のメトロノームに合わせて、前に、前に進む。


 というか汗やばいな。このまま学校言ったらみんなドン引きかな。まあ、引いてくれる人も居ないだろうな。どうでも良いや。


 不意に膝がカクっとなり、およそ7周くらいであたしは砂の上に転がった。心臓がちょっとした音ゲーの曲くらい早くなっている。走ってるときに放出されていたドーパミンで抑制されていた分の痛みが、一気にあたしに降り注ぐ。


「うあー」 


 全身が引きちぎれるレベルの激痛だが、悲鳴を上げる体力も残っていなかってもんで、情けない声が出るだけだった。


「だ、大丈夫?」


 不意に何かが走り寄ってくる音、そして天からの声。


「ふぇ?」


 ズキズキ疼く身体を起こすと、そこには同学年の女の子。名前はたしか……なんだっけ。事務的な作業以外で同級生に声をかけられるのは久しぶりすぎて、あたしは寝転んだまま素っ頓狂な声を出した。


「すごい汗。ずっと走ってたの?」


「え、う、うん……」


 キュッと引き締まった身体、短く切り揃えられた髪の毛、ぱっちりとした目。一目で『陽の者』であることがわかる。


「ねえ、走るの、好き?」


「え……」


 急な問いかけに困惑。


「いや、最近よく走ってるでしょ?だからさ」


 見てる人が居た。その事実になんとなく居心地の悪さを感じてしまうから、あたしは世界に馴染めないんだろうな。


「……好きっていうか」


「いうか?」


「必要不可欠な行為って感じ。です」


「なるほどね」


 何が解ったんだろう。


「あなた確か無所属だったよね」


「え、あ、はい」


背後に居た彼女が目の前にぬるっと現れる。


「陸上部入らない?」


「え……?」


 ええええ!!


「今ちょっと人足りなくて。ガッツある人探してるんだけど」


「あたしなんかで、良いんですか……」


「さっきの走りと今の問答で確信したね。この人、絶対強い選手になるって」


「はぁ……」


「大丈夫大丈夫。ウチ、結構ユルいから」


 陸上部かぁ、考えたこともなかったな。別に推薦で受験受けようとも思ってなかったし、部活、特に運動部なんて時間の無駄だとしか思ってなかった。


 けど、けれども、


「考えて、おきます……」


 あたしは『にぇへ』としか表現しようのない不気味な笑顔で、彼女に笑いかけていた。もう一度寝転がって空を見ると、暗い雲から覗く青い空が、いつもより青く見えた。

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メンヘル・ラララ・ランナー 刈葉えくす @morohei

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