お母さんに伝えたくて……

 「お、お母さ」

 「カルム、大丈夫よ。もう泣いていいのよ。時間が無いのでしょ、だったら、最後に二人で話さない?」


 二人共、我慢をしている。しかし、母親の大嵐のときのダムのような目とは対象的に、カルムの目は、霧雨の水たまりだった。


 

 

 「お母さん…… さっきは、あんなひどいこと言っちゃってごめんね。僕、あのと――

 「ううん、私が悪いの。たった一人のカルムの先を導く役目があるのに、私、情けないな…… カルム今は、言いたいことたくさん言っていいのよ」


 母の抱擁力が、カルムの弱りきった体をそっと包む。

 そして、煌めく大粒の真珠がカルムの服を濃く染める。

 

 それにつられ、カルムは今までの記憶が氾濫する。


 「お母さん……、 いつも…… ありがとう…… 言いたいことが…… 五つあるんだ……」

 

 感謝の歯車は、今、廻り始めた。


 「お母さん…… 女手一つで、僕をここまで大きく育ててくれて…… ありがとう……。 僕が困らないように…… 朝早くから、夜遅くまで…… 僕、なにも出来なくてごめんね……」


 カルムはそう言うと、親指を折った。


 母親は、そんなことない、そんなことない、とただ同じことをオウムの様に返しながら、泣いていた。


 「僕が…… 熱を出したとき…… 死んじゃうんじゃないかって大泣きしながら看病してたよね……。 あの時、とっても嬉しかったんだ…… 今も、あの時みたいに看病してもらっているけど、なんだか…… 寂しいな……」


 今度は、人差し指を折った。


 泣き声は次第に、声を認識できるようになった。


 「お母さんの作ったカレー…… もっと食べたかったな……。 前まで大好きだったのに…… 病気になって初めて残したときのお母さんの顔…… ごめんね、大好きなものも食べれなくなっちゃって……」


 

 中指を折るのは、少し遅かった。


 「いいのよ、カルムはそんなに自分のせいにしないで」

 涙を流しても、普通ではいられなくても、母親の愛情は、変わらない。

 

 少し間が空き、薬指を折って、こう話した。

 





 「今日…… あんなひどいこと言ってごめんね。もう、会えなくなるって思うと…… 心がおかしくなっちゃったんだ……。 でも、今は大丈夫だよ…… お母さんがずっと見守ってくれてるから……」


 母親は、この話に耐えられずついに、嗚咽混じりの大粒の真珠を、床へボットボトと溢し始めた。 



 そんなお母さんに、残った小指をつきだし、 

 「お母さん、最後に約束してくれる? もし、僕がいなくなっても…… ずっと泣かないで…… 僕も悲しくなるし…… お母さんは笑っていたほうが素敵だよ……。 お母さん、今の今まで、ありがとう。そして…… 愛してる……。 じゃあ、指切りしようか」

 

 「「指切りげんまん、うそついたら針千本飲ます、指切った」」

 消え入りそうな声と、嗚咽混じりの涙声が、ただ、白い無機質な部屋に響く。


 「カルム、ごめんね。涙が止まらなくて。私、必死に我慢――」

 「お母さん、知ってるよ…… やっぱりお母さんの子供に生まれてきてよかったな…… 今まで――」

 

 もう限界が近いのだろうか、溜めを作りたかったのか分からない。しかし、最後の声は、どこまでも響き渡った。








 



 「ありがとう」


 その、何気ない一言を発した後、カルムは笑いながら、一筋の細い線で頬を濡らした。











 そして彼の身体から熱がしだいに、消えていった。







 「カルム君、願いは叶えさせてもらったよ。素敵な別れだったじゃないか」


 病院の窓の外で、一人の男が微笑みながら、そう呟いた。



 すると一人の少女が現れ、その男に少し怒気のこもった声でこう言った。


 「師匠! どこで道草食ってたんですか! もう夜ですよ!」

 「まぁまぁ、少し仕事をしてたんだ」   


 アルスは、少し縮こまりこう言った。

 「さぁ、リーユが取ってくれた宿に行こうじゃないか。 その後、今回の顛末を語ろうか」

 「分かりましたよ師匠。 まずは、足を動かしてください」

 


カルムの想いと願いが、アルスに残響しながら、二人は闇へと旅立った。

 









 

 


 





 

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