オルタリア編

少年は……

 「もう、ほっといてよ! お母さんの…… バカ!」

 声を出せば永遠に響きそうな程静寂に包まれた病院に、轟雷にも似た胸を爪で抉り取られる程、辛く、哀愁を帯びた声が虚空へ溶けた。


 その直後、声の主は安置へ隠れる子猫のように走って病室を出た。

 彼は、恐らく重い病気に罹っているのだろう。やろうと思えば簡単に追いつける速さだった。しかし誰も追いかけようとはしなかった。


 遡ること十分前、彼は医者から余命宣告を受けた。今日を乗り切ることだけでも奇跡だと伝えられた。彼はその瞬間取り乱す――ことはなく、息を止めれば苦しいという、さも当たり前のことを聞いているのかというほど冷静だった。


 それとは対照的に母親は、泣きわめいた。

女手ひとつで育ててきた、命を投げ売ることすら簡単に出来るほど大切な存在の幕引きが近いのである。無理はない。


 聞いたときには、あまりの衝撃に、荒れ狂う大海すら可愛く見える程に号哭し、すぐに泣き止んだかと思えば、息子の肩によりかかり、プログラムされたロボットのように、ごめんねと呟く。

 果ては、神官のように、ただ一心で祈り始める始末。


 母親を少しでもなだめようと、声掛けをするも、その声は心の隔たりに拒絶され、届くことなく散っていく。

 そんな様子の母親にうんざりしたのだろう、カッとなってつい思ってもない言動をしてしまった。


 その言葉で母親の目は覚めた。まさに最悪のタイミングだった。

 ――あぁ、自分はなんて愚かなことをしたのだろうか

 自分の愚行を振り返り、地上に堕ちた天使のように、後悔した。

 そして、自分には息子を追いかける権利など無いと悟ってしまった。


 時を同じくして、彼は公園のベンチに座っていた。

 ――なんで、あんなこと行っちゃったのかな……

 体が、病気と後悔との魔の手に蝕まれ、ふと気づくと自分の目には大きな虹がかかっていた。

 

 ――もう僕、死んじゃうのかな…… お母さんと仲直りしたかったな……

 そう思うほどに目には綺麗な虹がかかる。

 

 いつもなら狭く感じるはずの公園が、ただっ広く感じられ、空の色もやる気を感じられないように思えるようになる中、彼の独奏の幕は開かれた。

 





 「へぇー、レーヤの手前にこんな綺麗な街があるんだ。明後日から祭りとパレードが始まるみたいだし、今日はここにとどまろうじゃないか」

 「わかりました、では、私が宿を予約しておきますね。師匠はどうしますか?」

 「僕はこの街を散策しようかな。それじゃ」


 目をキラキラ輝かせながらまだ見ぬ土地へ探索に出かけた。

 

 「いやぁ、この街なかなかノスタルジックな感じになれて最高だね〜。おや?」

 

 公園に通りかかった時に泣いている少年を見つけたアルスは、すぐに近づく。

 

 「やぁ、少年こんにちは。どうしたのそんなに泣いちゃって。せっかくのイケメンが台無しだぞ」

 

 アルスは、泣いている少年を慰めようと、川のせせらぎのような優しい声で話しかける。

 幸いにも泣き止んでくれたようだ。

 

 「僕のことは、カルムって呼んで。実は僕、医者に余命宣告を受けたんだ。今日死ぬかもしれないって。そのときに、ちょっとお母さんと喧嘩をしちゃったんだ。僕が思っても無いこと言っちゃったせいで」

 

 少年は、陽炎のようなフッと消えそうな声で現状を話してくれた。

 自分のことを話す少年の目には、誰が見ても明らかな程のSOSがあった。


 「カルム君、大丈夫だよ、僕がついてる。人はだれだって間違うことがあるんだ。カルム君の場合は、それが今日だっただけさ。だから、気持ちを強く持って」

 アルスの優しくも、銅鑼の音のように鼓舞される声で、一歩を踏み出せる気になった。


 「ねぇ、カルム君。もし、願いが叶うなら君は何を叶えて欲しい?」


 唐突な質問だったがカルムは瞬きする間もない速さで、

 「お母さんと仲直りがしたいな」

 と返した。


 ――へぇ、面白いじゃん、気に入った


 アルスはもともと、病気を治して欲しいというと思っていた。

 今まで、多くの人の願いを聞いてきたが、その大半が欲望にまみれていたり、目的もないものだった。


 病気を治して欲しいという願いも、数えるのも飽きるほど聞いてきたためてっきり、カルムもそう言うと思ったのである。


しかし、現実は違った。

その答えに意表をつかれると同時に興味を持ったのである。

――じゃあ、叶えてあげるか


 「ねぇカルム君、七色の魔術師って知ってる?」

 「もちろん知っているけど、それがどうしたの?」

 

 アルスは自分の目を両手で覆った。その瞬間彼の瞳が七色に煌めいた。

 「あっ、あ……」

 「いくよ」

 衝撃の事実に、口を鯉のようにパクパクするカルムをよそに、アルスは願いを叶えさせた。


 すると、アルスの体が目の色よりも強く七色に光ったのである。

 

 ――だから、七色……


 「よし、願いは叶えたよ。病院に戻ってみて、そしたらきっと仲直りできるから」


 「お、お兄さん……」

 カルムはよそ見していると消えそうなほど小さい声で、

 「ありがとう」

 自分の思う、精一杯の感謝の言葉を述べた。

 

 「頑張ってね、カルム君」

 そう言い残すと、風が凪いだと同時にアルスは、もとからそこにいなかったように、晴れだした空の蒼へと消えていった。


 「よし、行くか」

 そう呟いて、自分の後悔を晴らしに行った。

 ――お母さんに伝えるんだ

 一歩、また一歩と地面を踏みしめながら。

















いつの間にか、彼の意識はなくなり、少し暖かい地面に固定されたように動かなくなってしまった。


 

 

 

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