第35話
「特定班が間違った写真をネットに流すなんてよくあることだろ? 踊らされるなよ」
言って、俺は人混みをかきわけ自分の席に座ろうとした。
すると、加橋弟がいきなり俺の机を蹴り飛ばした。
「奥井、テメェ、よくもうちの会社にわけわかんねぇインネンつけてくれたな、おい!」
真っ赤な顔の中央にしわを集め、加橋は殺意すら感じるほどの怒気を込めて、俺に怒鳴り散らしてきた。
「俺じゃないって言っているだろ? 嘘つけ! 今朝兄貴が言っていたんだよ! お前のクラスメイトは強いなって! お前がオレの兄貴に勝った!? ざけんな! テメェがそんな強いわけねぇだろ!?」
周りの生徒も尻馬に乗って口々に叫んだ。
「そうだ! 奥井なんて一年生の時に仲間を置いて逃げた雑魚じゃないか!」
「お前程度が役員冒険者に勝てるわけないだろ!」
「それともなんだよ! 今まで実力を隠して陰でオレらのことをバカにしていたのか!?」
わずらわしいことこの上ない幼稚な暴言に、いよいよ頭が痛くなってきた。
俺は頭痛を押さえるように眉間を指で揉んだ。
「じゃあ仮にお前らの言う通りだったと仮定して、勝敗はともかく雑魚冒険者の俺が一流企業に襲われたらそれってニュースでやっていた通りただの傷害殺人未遂事件だろ?」
「兄貴がお前なんかを襲うわけないだろ!?」
「じゃあ雄一さんはなんで俺のことを強いとか言ったんだよ」
「きっとお前に脅されているんだ! そうだ、きっと兄貴のありもしない罪をでっちあげてそれで脅しているんだ!」
「じゃあ強いって評価はおかしいだろ?」
「屁理屈言ってんじゃねぇぞ!」
加橋は俺の胸倉をつかんできたので、俺はその手首を軽く握った。
「ぎゃああああああ、でででででっ!」
加橋は罠にかかったネズミのように悲鳴を上げながら飛びのいた。
「くそっ、テメェ!」
まだやる気の加橋に、俺は溜息交じりに一言呟いた。
「兄貴の威を借りる七光りもいい加減にしろ。これは俺とラビリエントの問題だ。ラビリエントの役員冒険者も俺と戦ったのも雄一さんでお前じゃない。いい加減、目障りなんだよお前」
「なぁっ! なぁっ! なぁああっ!?」
加橋は顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせるも、言い返す言葉がないようだった。
「雄一さんは立派でカッコイイよな。強くて、誠実で、なのになんでお前はそんななんだ? 悪いけど将来お前がラビリエント社に入社しているとは思えないし、仮に入社しても役員冒険者は無理じゃないのか? お前と雄一さんとは出来が違うんじゃないか? 元々のさ」
俺は悪いと思いつつ、悪態をついてやった。
こうでも言わないと、このバカは一生わからないだろう。
「テメェッ!」
「やりあう勇気あるのかよ? 俺と」
「ぐっ……」
俺が少し語気を強めると、加橋は振り上げた拳を止めて、その場で固まった。
――こりゃ、学校はしばらく休んだほうがいいな。今日も帰るか。
と、俺が玄関に戻ろうと踵を返すと、校内放送が鳴り響いた。
『3年3組、奥井育雄くん、いますぐ校長室に来なさい』
突然の呼び出しに、俺は嫌な予感を抱えながら従った。
◆
「俺の推薦が取り消しってどういうことですか!?」
校長室で待っていたのは校長と教頭、そしてひたすら縮こまっている俺の担任の三人だった。
教頭が、眼鏡の奥から虫のように小さな目でこちらを睨んできた。
「当然だろう。あの日本が世界に誇る大企業、ラビリエント相手に訴訟を起こすなんて非常識にもほどがある! 軽挙妄動を慎みたまえ!」
「俺は殺されかけたんですよ?」
「ニュースで見たよ。それは入社試験なんだろ? 向こうはせっかく役員冒険者にしてくださるとおっしゃっているんだ。断る君がどうかしているよ!」
それは向こうの策略だ。
まずは俺を役員として取り込み味方にしてから、身内だからと俺の自宅ダンジョンを使わせてもらい、徐々に切り崩していく予定なのだろう。
けれど、何も知らない教頭はまったくけしからんと、おかんむりだった。
隣で、担任の先生が肩を縮めながら口を開いた。
「で、ですが本人の希望もあると思いますし……」
「役員冒険者になれば一生安泰! これ以上の幸せがありますか? 生徒の幸せを望む、それが教育者というものです!」
「はぁ……」
俺の担任は弱々しく引っ込んだ。
そして俺は教頭を説得するのを諦めた。
教頭は、一言で言えば独善的なのだ。
この人が生徒の将来を考えているのは間違いないだろう。
志は立派だし、教師のかがみだと思う。
ただし、その前提になっている思想が偏っているのだ。
教頭からすれば自分の言動は、一流学校の推薦を蹴って中卒でアイドル事務所に入ろうとする女子生徒を止めるのと同じ気持ちに違いない。
「奥井君、子供の君には理解できないだろうが、いつかわかる日が来る。あの時、教頭先生の言うことを聞いてよかったと思う日が来る。だからいまはラビリエント社への起訴を取り下げて謝罪したまえ。それが君のためだ」
お約束の台詞を口にする教頭に、俺が呆れを通り越して憐れみすら感じていると、校長が厳格な態度で口を開いた。
「何を黙っている。君の軽はずみが行動でどれだけの人が迷惑をこうむっているかわかっているのか? 朝一番に文部科学省からおしかりの電話を受けた私の気持ちがわかるかね? 教師生活35年、こんな屈辱は初めてだよ。当校の指導力に問題があると言われているんだよ?」
――ラビリエント社からの圧力か。
日本有数の大企業であるラビリエント社は、その納税額も日本有数だ。
政府への献金もかなりのもので、政治家や高級官僚の天下り先になっているともっぱらの噂だ。
ラビリエント社がその気になれば、省庁のひとつやふたつ、動かすことなんてわけないのだろう。
――ッッ……。
教頭とふたりで、ぐちゃぐちゃと底の浅いアホ丸出しの説教講釈を垂れ流し続ける校長に、俺は頭痛が治まらなかった。
大人の世界なんて無かった。
あるのは権力を持った駄々っ子の世界だ。
政界のオトモダチ人事。
企業・経済界の枕営業。
法相界の結論ありき裁判。
スポーツ界の暴力的指導。
芸能界のコネ出演や事務所のごり押し。
芸術界の出来レースコンテスト。
法律という共通ルールすら守れない大人園児たちのどこがオトナなのか、俺には一生理解できない。
生徒が暴行罪、傷害罪、殺人未遂の被害に遭ってもそれを理解できず妄言戯言を垂れ流す校長と教頭の話をまとめると、高校の推薦を取り消されたくなければ起訴を取り下げろと、そういうことだ。
俺は聞くに堪えないと、話の途中で帰った。
◆
家に帰った俺は自宅ダンジョンへ直行。
コハクが笑顔で出迎えてくれた。
「お帰りハニー♪」
一昔の前の新妻よろしく、俺から学生鞄を受け取り、ブレザーを脱がせてハンガーにかけてくれる至れり尽くせりなコハク。
彼女の顔を見るだけでストレスがみるみる消えていく気がする。
「ただいまコハク。裁判所に提出した動画、ネットに公開するぞ」
「OK♪ 世論を味方につけるんだね♪」
指で丸を作ると、コハクはすぐさまスマホを操作し始めた。
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