第29話


「それでも嫌です」


 長谷山部長の表情が、僅かに硬くなった。


「それは、世界の人々よりも彼女との場所が大切、ということでしょうか?」


「俺は彼女を世界一愛しています。世界と彼女なら彼女を選ぶ、それぐらいにね」


 今の言葉は、コハクに向けた言葉だった。

 傷ついた彼女の心を癒したい、俺を信頼して欲しい。

 そんな俺の想いの表れだった。


「でも、それとは関係なく、その聞き方が卑怯だと思います」


 俺はできるだけ冷静に、淡々と続けた。


「他人より自分を優先するのは当然のことで、だけど聞こえの悪い話です。それを言われると、誰も何も言えなくなってしまう。だから、小学生の頃からいじめっこの常套句として使われています」


 嫌なことを気の弱い生徒に押し付けて、断られると、


「お前自分さえよければそれでいいのかよ、同じクラスの友達のためにとか思わねぇのかよ」


 とか言うあれだ。


「逆に聞きますが、じゃあラビリエント社はどれほどの貧困者支援をしているんですか? 長谷山さんは自分の給料の何割を募金しているんですか? 長谷山さんの着ているスーツ、高そうですね。それ一着分のお金で何人の子供たちにワクチン接種を受けさせてあげられるんでしょうか? でも長谷山さんは子供たちのワクチン接種よりも自分が高いスーツを着て、いい靴を履くほうが重要なんですよね?」

「ッ……」


 長谷山部長は押し黙り、使命感に燃える表情は気まずそうに歪んだ。


「世の中、0か100かだけじゃないと思います。他人を助けられるからと言って、人生の全てを投げうって滅私奉公だの不惜身命ってようするに【遣り甲斐搾取】じゃないですか」


 冷静に語るはずが、自然と語気が強くなっていく。


「みんなのためって言うなら、俺は一生遊んで暮らせるだけのお金があるのに毎日ダンジョンにもぐってレア素材を集めて換金しています」


 俺がダンジョンで戦うのが好きで楽しいから、というのもある。

 だけど、探索する階層選びの基準を、アークポーションの材料がある場所にしているのも事実だ。


「なのに自己中男みたいな言われた方をしたら、凄く嫌な気分になります。もう俺は、ラビリエント社では二度と換金をしません。帰ってください。次来たら警察を呼びますよ」


 俺がはっきりと宣言すると、長谷山部長は表情を硬くして何かを逡巡するようなそぶりを見せた。


 その視線がコハクに向けられたように思えて、俺は彼女をかばうように、鋭く手を横に伸ばした。


「彼女を巻き込まないでください。これは俺と貴方、そして御社の問題でしょう。彼女に近づいたら、俺は一生許しません!」

「ッ……」


 長谷山さんは唇を横に結んで、身を固くした。

食い下がるか迷っているんだと思う。


 だけどこれ以上はまずいと判断したのか、軽く頭を下げた。


「大変失礼しました。許されるなら、後日、またお詫びにうかがいます。では、わたくしはこれで」


 そう言って、長谷山部長はドアを閉めた。

 俺はすぐにコハクを抱きしめ、その腕に力を込めた。


「コハク、俺のせいで嫌な想いさせてごめんな……」


 俺は彼女への愛情と申し訳ない気持ちを込めて謝罪した。

 すると、耳元で優しく温かい肉声がささやいてくれた。


「ううん、ボクは幸せだよハニー。ずぅっと、一緒にいてね」


 いまこの瞬間、俺は世界一幸せな自信があった。


   ◆


 本社に戻った長谷山は、執務室で机に座り、秘書の前で邪悪な笑みを浮かべていた。


「革新したよ。あのプレハブ小屋は宝の山だ」


「本当にそうなのでしょうか? 単に、彼が隠れた実力者という可能性もあるのでは? 彼は中学生のようですが、世の中にはダンジョンで勇者スキル、英雄スキルを得て若くして超人的な力を得る場合もあります」


 もしもそうだった場合、ラビリエント社は普通のダンジョンを数千億円で買ったりレンタルすることになる。


 損失は計り知れないだろう。


「その可能性は極めて低いだろうな。もしもあのガキが超一流の冒険者なら、あのプレハブ小屋にこだわる必要はない。日本中のダンジョンで活躍すればいい。でも、それをしないということはダンジョン由来。あのガキの実力はせいぜい中堅程度だろう。それでも簡単にレア素材が手に入る特別なダンジョンというわけだ」


 なんとしてでも手に入れる。

 そう意気込む長谷山に、秘書の女性は声を硬くした。


「しかし、彼とは絶縁状態なのですよね? 関係改善は容易ではないかと」


「手はあるさ。どれだけ金があろうと、所詮はお子様だ。子供に、社会の厳しさを教えてやろうじゃないか。影山を呼べ。奴に奥井を潰させろ」

「影山をですか!?」


 その名前に、秘書は驚きの表情を隠しもしなかった。

 何故なら、その名はラビリエント社の邪魔者を秘密裏に消す暗殺者のものだからだ。


「影山は都内に13人しかいない、40レベルのBランクアサシンですよ? 子供相手に彼を動かすのは過剰ではないでしょうか?」


「その過剰対応が必要なのだよ。己の力がまったく通じない相手に襲われる恐怖。奥井も契約書にハンコを押さざるを得ないだろう。仮に死ぬようなことになれば、相続人を説得すればダンジョンは我々のものだ」


 長谷山の声音には愉悦が混じっていた。

 秘書は戦慄した。


 そして祖父の昔話を思い出した。

 かつて、日本にはバブルと呼ばれる古今未曽有の好景気時代があった。

 だが、光のある所に闇はある。


 人々が贅沢を極める影で、企業や投資家は高騰し続ける土地や不動産を奪い合い、時には非合法な手段に訴えることも珍しくはなかった。


 いわゆる【地上げ】というものだ。


 コワモテの交渉人たちが怒鳴り込み脅しをかけるのは序の口だ。

 立地の良い場所に建てられた個人店が謎の出火により全焼。

 土地の売却を断った人の家族が暴漢に襲われ再起不能の重症。

 金に困った土地所有者の元に、偶然、投資家が現れ土地を高値で買うと申し出る。


 だけど犯人は何故か捕まらず、警察も真面目に捜査をしてくれない。


 そんな、勧善懲悪作品のテンプレのようなことが、珍しくなかったと祖父は教えてくれた。


 でも、それは今も変わらないのだと、秘書は実感させられた。


「ふふ、おとなしく売っておけば痛い目を見ずに済んだものを。ガキが分不相応なものを持つからこうなるんだ」


 長谷山に良心の呵責など一寸もなく、むしろ、この展開を楽しんでさえいるようだった。

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