第19話
夕食を食べ終えたコハクは、しばらくテレビを見てゆっくりしてから、時計を一瞥してダンジョンに戻ると言った。
「じゃあハニー、今日はありがとう。すごい楽しかったよ♪」
玄関で靴を履いて、快活な笑みで振り返ってくれるコハク。
「また明日ね」
「おう、また明日」
また明日。
素敵な言葉だと思う。
出会う約束。
明日を生きる約束。
会いたいという心の具現。
小学生以来、聞いたことのない言葉。
いってきますと言えば、いってらっしゃいと返してくれる。
ただいまと言えば、おかえりなさいと返してくれる。
何かしてあげると、笑顔でありがとうと返してくれる。
そして自分はここにいると、大好きだよと言ってくれる。
そして別れの時は、また明日と返してくれる。
いってらっしゃい、おかえりなさい、ありがとう、大好き、また明日。
コハクは俺の欲しい全部をくれる。
だけど、何故かまた明日という言葉には寂しさを覚えた。
踵を返して向けられた背中に、遠ざかる背中に、俺は手を伸ばすように声をかけた。
「家具、まだ届いていないよな?」
コハクは振り返り、不思議そうにうなずいた。
「うん、だって今日買ったばかりだもん」
「じゃあ、寝る場所ないよな? 俺としてはコハクにはちゃんとベッドで寝て欲しいっていうか、さ、だから……今日は、うちに泊まらないか? 24時間、外に出られるなら明日の朝も平気、かなって……もちろんコハクの都合が良ければだけど!」
まくし立てたり、声のトーンを落としたりを繰り返しながらおどおど喋ってしまう。我ながら気持ち悪い。
だけど、コハクは俺の申し出を心底嬉しそうな笑顔で受け止め、俺に向き直ってくれた。
「うん、じゃあお言葉に甘えちゃおっかな、ハニー♪」
彼女の言葉に、俺は自分も笑顔になるのを感じた。
◆
コハクには、母さんが着ていたパジャマに着替えてもらい、母さんの使っていた部屋で寝てもらうことにした。
「ボクはハニーのベッドで一緒に寝てもいいんだけどなぁ」
なんて、危険なことを口走るコハクに全身が硬くなる。
その様子をニマニマと愉しそうに眺めてくると悔しくて、こちらも反撃をしたくなる。
――スカートの中を見られたときは赤面したくせに。
これだけセクハラ攻撃をされているのだからこちらもやり返していい気がするし、してみたい気がする一方で、男子からするのはあまりに犯罪的だと俺の中の文明人が警告してくる。
つまり、女子からのセクハラ攻撃に耐えることこそが文明人の証なのだろうか?
いまはそういうことにしておく。
コハクは母さんの部屋のドアを開くと、入室する直前、俺へ振り向き一言。
「じゃあハニー、おやすみ♪」
――ッッ……。
「……ああ、おやすみコハク」
思いがけない言葉に、俺は自然と微笑んでしまう。
寝る前におやすみと言ってもらえることが、こんなに温かい気持ちにさせてくれるなんて知らなかった。
本当に、コハクは俺の欲しいすべてをくれる子だった。
そんな子だから、俺も、俺のすべてを使って、彼女をしあわせにしてあげたいと思った。
◆
翌日の月曜日。
その放課後。
俺はラビリエント社の換金所を訪ねると、カウンターで換金を頼んだ。
「換金お願いします」
「これは奥井様、ではいつものように裏へ」
俺の顔と名前は、全受付嬢に覚えられているらしい。
最近、初めて会う女性も、好意的に接してくれる。
裏の倉庫で素材を解放。
それから俺は、応接室で待たされた。
高級ソファに身を沈めると、部屋の端にあるコーヒーサーバーとシュガースティックが気になった。
一杯飲むかと思って立ち上がろうとすると、応接室のドアが開いた。
「奥井様、こちらを呑んでお待ちください」
スタッフの人がお盆に乗った紅茶を持ってきてくれた。
「ありがとうございます」
「では、くつろいでお待ちくださいませ」
愛想よく笑って、スタッフの女性は下がった。
随分と待遇がいいなと、相手によって態度を変える姿勢に嫌悪感を感じる一方で、俺が凄いわけじゃないのにといううしろめたさ、だけど同時に感じるささやかな優越感がないまぜになって、なんともアンビバレントな想いを抱いてしまう。
しばらくすると、最初の受付嬢さんが戻ってきた。
「お待たせしました奥井様。こちら、本日の査定額になります」
電卓に提示された金額に満足して、俺は了承。
帰ろうと腰を上げようとすると、その動きを制するようにお姉さんが待ったをかけた。
「ところで奥井様、弊社以外のダンジョンで採取した素材を毎度大量に持ち込んでいただき大変ありがたく思います。差し支えなければ、あれほどの素材をどこで手に入れたのはわたくしどもに教えていただけないでしょうか?」
整ったビジネススマイルは100点だけれど、その裏側に下心を感じさせるものだった。
「差し支えるので言えませんね」
「それは失礼いたしました。ですが弊社といたしましても、今後のためにも是非、情報提供をしていただけると助かるのですが」
なかなか食い下がる女性スタッフに、俺は平坦な声を返した。
「申し訳ありませんが、あまり自分のことを他人に言うのが好きじゃないんです。それに俺の場所を他人に荒らされたら困りますし。では」
そう打ち切って、俺は応接室を出て行った。
でも、背後から何か見えない圧を感じた。
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