2. 依存心




 ゆっくりと体を起こす。部屋は真っ暗で真っ白で、隣で華がすぅすぅと寝息を立てていた。華の顔に垂れた髪を、耳にかけなおす。

 起こさないようにそっとベッドから抜け出して、煙草とライターをポケットに入れる。ゆっくりベランダの窓を開けて、空を見上げた。

 夜空に星が瞬いている。

 肺を満たした煙を、夜空を汚すように吹きつけた。手すりに肩肘ついて、体の力を抜いていく。

 ここでしか生きられない気が、なんとなくしている。この真っ白な部屋でしか、華がいる部屋でしか。うまく説明できないけど、そんな気がしていた。

 一緒にいる時間と加速するように華の比重が増していく。

 煙草の煙が揺らめいて、華が起きた気配がした。

 華はよく私を後ろから見つめている。なんでだろうとは思うけど、この刺さるような華の鋭い視線、私はだーいすき。

 華から見えないところで微笑する。

 華はガラス玉のような瞳で、じっと私を見つめている。

 私だけを視界に入れて、華は何を考えているの?

 ねぇ、こっちにきて。

 私を抱きしめて、安心させて。






 ◾︎◾︎◾︎






 夜の風にカーテンがばさりと揺れる。

 桃の匂いが鼻腔をくすぐった。

 寝転がったあたしの視線の先に、明々と燃える煙草とぼうっと肩肘つきながら虚空をみつめている真白が立っていた。こういう夜の真白は弱々しくて、すぐにパタンと倒れそうで、とても儚い。

 目を離したら、ぱっといなくなりそうで、目を離せない。

 訳のわからない不安が押し寄せるから、毎回漠然とした不安にただ立ちすくむしかない。

 棚の上に置いてある煙草を手に取って、ベランダに出る。

「あれ、華起きた? もう八時だって。私たち寝過ぎ」

 くすくすと笑う真白に、弱々しく微笑み返す。

「真白」

 煙草を一本取り出し、顔を近づけて真白の煙草とくっつけた。

「火?」

「そう」

「なんかさ、こういうのってさあ」

 真白の桃の匂いの吐息が顔にかかる。

「エロいよね」

 しっとりとした美人顔でそう言う真白に、にやりした顔を作って、一服すると、次第におかしくなって、二人弾けるように大笑いした。

「はあー、お腹すいたな」

「あたしも」

「なに食べたい?」

「んーやっぱり……酒!」

 あたしの答えに真白が吹き出す。

「もちろん酒も飲むけど、食べ物は!」

「……だったらうどんかなあ」

「いいねうどん。作って食べよう」

「冷蔵庫食べ物ひとつもないから、買ってこないと」

「そうだった、買い物行かないとね」

 あたしはうなずいて、真白と一緒にベランダを出た。

 キャミと短パンを脱いで、涼しい膝丈のノースリーブワンピースに着替える。

「真白は上にティーシャツ着たら?」

「そうする」

 ティーシャツを投げて渡し、鍵とスマホをポケットにねじこむ。

「真白、財布とエコバック持った?」

「うん。持った」

「じゃ行こっか」

 二人で部屋を出て、しっかり施錠する。

「夜の買い物ってドキドキするね!」

 ティーシャツに短パン、適当なサンダルを引っ掛けた真白は、ラフの格好だからこそ白い肌と儚い美貌が際立っていた。

 夏の夜の涼やかな風が吹きこんで、夜空があたしたちを包みこむ。

 なぜかこみあげてくる孤独感と閉塞感に、頭を振ると、長い髪が大きく揺れて、ぴしゃりと頬に鋭く打った。






 ◾︎◾︎◾︎






 歩いて五分のところにあるスーパーに着く。華が買い物カゴをカートに入れて、私がそれを押しながら、冷房の効きすぎているスーパーへ入った。すぐ近くの青果類の青臭い匂いが鼻につく。

「ねえ華。早く冷凍うどんのコーナー行こ」

「うん。その前につまみとかお菓子とか選ぼうよ」

「いいね。どうしよー、めっちゃチョコの気分」

 私がうつむいて、お腹をさすりながらつぶやいた。

「ふふ、じゃあチョコ買いにいこ」

 華が吹き出して、均整の取れた体が小刻みに揺れた。

 大きな胸。綺麗にくびれたウエスト。透き通った肌に、はっきりと整った美人顔。

 私に無いもの全部持ってる華が羨ましい。

 カートを押しながら華の後ろについていく。

「見て。真白の好きなチューハイ、期間限定出てる!」

「本当に! 何味?」

「えーっとね、白ぶどう」

 カートをずいっと差し出すと、華が目を細めて笑った。

「華の好きなビールもあるね」

 六本入りのビールを二つ入れて、お気に入りのチューハイ会社の全種類をカートに入れた。

「さっさとレジ行こ」

 スタスタと歩く華についていく。夜の混んでいないレジはスムーズに進む。酒を通そうとする時、店員の目が私にとまった。またか。鞄の留め具を外す。

「お客様。年齢確認できるものお持ちでないでしょうか?」

 そう言われた直後、鞄から学生証を出し、不機嫌に見せつけた。

「はい。確認しました。ありがとうございます」

 隣で肩を震わせる華を睨みつける。

「なによ」

「毎回年確されるの、真白、かわいすぎ」

 げらげらと笑いながら、華がつぶやいた。

「華は絶対に聞かれないよねー」

「あたし、大人の女だから」

「老け顔の間違いでしょ?」

「ん? なんて言ったのかな、こんにゃろ」

 きゃーきゃー言ってふざけていると、レジの通しが終わった。レジでお金を払い、エコバックに買ったものを入れていると、華が窓の外に目を凝らしていた。

「どうしたの?」

「あれ、やばいかも。雨降ってるわ」

「嘘! 傘ないのに!」

 重さを等分にわけたエコバックのひとつを肩にかけて、スーパーの外に出る。

「どうする?」

「いつ止むかわからないし、しょうがない。走るか」

 華が走りだして、その後を追いかけた。

「ぎゃー」

 華が奇声をあげて走り出したのが面白くて少し遅れて走り出した。

 ぶはっと二人、大笑いしながら徒歩五分の道を走る。アスファルトを蹴る足音が響く。水滴が水溜まりに落ちて、きらきらと輝いた。

 いつもは音が出るのを気にする階段を、気にせず駆け上がる。

 アパートの廊下で体の水滴を払いながら、

「びしゃびしゃになっちゃったね」

「冷たい、寒い!」

 急いで鍵を開けて玄関になだれこむ。

「買ったものこっちに渡して」

 肩にかけていたエコバックを華に渡すと、冷蔵庫の中にぽいぽい入れ始めた。

「手伝うよ」

 冷凍のものを冷凍庫にしまうと、びしゃびしゃになったお互い顔を見合せた。

「びっちゃびちゃね」

「全部脱いじゃえ!」

 二人であわてて服を脱ぎ捨てて、洗濯籠に投げ入れる。

 べったりと肌にくっついた下着を脱いで放りこむと、少し熱い程度に調節したシャワーを浴びた。手を伸ばしてシャワーノズルを手に取ると、華の頭から全身に行き渡るようにかける。

 女の理想といわんばかりのメリハリボディに湯気が立つ。

「お風呂ためよう。寒いし」

 長い茶髪をかきあげて、華がつぶやいた。

「うん」

 シャワーをそのまま最大出力にして、空の浴槽に入れた。シャワーが浴槽を打つ音だけが響く。水蒸気が溢れて、肌を潤していく。

 二人でまだくるぶしまでしかたまっていない浴槽に浸かると、なぜか二人静かに黙りこんで、シャワーの音だけが響いた。

 私はふと思いついたことを、つぶやいた。

「華」

「……ん?」

「あのさ……一緒に入るの初めてじゃない?」

 一瞬置いて、

「何言ってるの真白ったら! サークルの合宿で一緒に入ったでしょ?」

「そうだっけ?」

「そうだよ。女の子二人しかいなくて、女湯貸し切りみたいな感じで入ったよ」

「そんなことあったっけねえ」

「深刻そうな声だったからどんな話かと思ったー」

 華が笑いながら、浴槽を出た。

「先に洗う?」

「うん。のぼせた」

 体を真っ赤にした華に、くすりと笑ってお互いの昔話に花を咲かせた。




 あの後私たちは、すぐに洗濯機を回してうどんを食べて、晩酌した。

 べろべろに酔っ払った華は、胸元がはだけて甘ったるい女の匂いを放っていた。フラフラとした足取りで立ち上がる。

「真白ぉ、あたし、もー寝るね」

 ベッドに倒れこむように、転がりこんだ華は、すぐに寝息を立て始めた。

「もう……ちゃんと布団かけて」

 華が小さな声でささやいた。

「んー、おやすみ、真白」

「おやすみ」

 電気を消して、煙草に火をつけ、スマホをスクロールする。静寂が満ちた部屋に、爪がスマホの画面に当たる音だけが響いた。

 華が気だるげな雰囲気で、寝返りを打つ気配がした。振り返ると華がこちらを向いて眠っていた。私はくわえていた煙草をいっぱい吸いこんで、煙を華の顔に吹きかけた。

 華は知らない間に私の吐いた煙を吸って、私の吐いた息を肺に入りこんでいる。

「ふふっ」

 眠る華をみつめながら、甘ったるい吐息をつく。煙を吸って身じろぎする華が、世界一かわいい。

 やっぱりだめだ。ここじゃないと生きていけない。呼吸ができない。生きていた世界はどこもずっと苦しくて、でもここなら息ができた。生きていけた。華の隣なら。

 華の隣にそっと寝転ぶ。

 孤独感に蓋をするように華のぬくもりを求めた。華を抱きしめると不思議な懐かしさと、安堵感と、執着心が押し寄せる。

 誰でもいいって思ってた過去の自分が間違ってた。私には華しかいなかったのに。


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