本当の愛を見せてあげる

1. 青くてピンク




 ヒールの音を鳴らさないように気をつけながら、アパートの薄暗い階段をのぼる。鞄から取り出した鍵を惰性で開けて、玄関に滑りこんだ。ヒールをぽいぽいと脱ぎ捨てて部屋の中に入ると、真っ暗なはずの部屋が明るかった。

 白い壁に白いフローリング、白いベッド、白い棚。色の無いワンケーの部屋に、カーテンの閉め忘れた窓から月明かりが差しこんで、光が反射して部屋全体が青白く映る。

 鞄をそこら辺のクッションの上に放り投げて、安物のストッキングを脱ぎながら冷蔵庫から取り出したビールを流し込む。空っぽの胃にアルコールが吸収されて、直ぐに意識が酩酊してきた。体の力が抜けていき、ぺたんとフローリングの上に座りこむ。

 窮屈なストッキングを脱いだら急に解放された気分になって、着ていた服を全部脱いで洗面所の籠に放りこむ。

 ベッドの上に脱ぎ散らかされた水色のキャミと短パン、カーディガンをのろのろと着て、ビールの残りを飲み干すと、ふいに鞄の中から電話の呼出音が鳴った。

 たっぷりと時間をかけて鞄からスマホを取り出すと、ライン電話の液晶に〈華〉と現れていた。無意識のうちに口角を上がり、着信ボタンを押す。


「……もしもし?」

『あ、真白?』

「バイト随分長いのね。もう一時よ」

 スマホの左上に表示された現在時刻を横目にふてくされる。

『あー、バイトの後に先輩の送別会やってた』

「送別会?」

『昨日言ったじゃん、高島先輩が結婚するからその送別会やるねって。忘れてた?』

「そうだっけ」

『やっぱり忘れてた。まぁ、いいや。煙草切れたから近所のコンビニ寄るけど、なにか欲しいものある?』

「えーっと、ちょっと待ってて」

 冷蔵庫を開けて視線を走らせる。

「あ、ビールが無いかも。あとチューハイも無い。アイス食べたいからいつものやつ買ってきて」

『ビールとチューハイと、あとアイスね?』

「うん」

『じゃあ先シャワー浴びといて。あたし帰ったらすぐ浴びるから』

 いつも通りの華に、私はくすりと微笑する。

「うん、りょーかい」

『じゃあ、あとでね』


──プツリ。

 私と華の電波の繋がりが切れた。スマホに表示された、人との繋がりに微笑んで伸びをする。

 私はスマホをベッドに放り投げて、棚から下着を出して、シャワーを浴びた。

 玄関の扉が開く音を聞くと同時に、服を着て浴室からひょこっと顔を出して出迎える。

「おかえりー」

「ただいま、真白」

 明るい茶髪に色白で、切れ長の瞳をした美しい女が壁に手をつきながらヒールを脱ごうと踵に指をいれていた。

「買ってきてくれた?」

「もっちろん」

 コンビニの有料レジ袋を手渡されて中身を覗く。そこには、華の愛用煙草のメビウス、私のピアニッシモ、桃とぶどうの缶チューハイ二本にビール二本、そして、アニメキャラクターとコラボしたピノが二箱が入っていた。

「あっ、これ、桃のチューハイ!」

「そう。真白好きでしょ?」

 にやりと笑って、私を見つめる大きな瞳が弧を描く。

「うん。さすが華、だいすき」

「ふふ、コンビニで釣れるのかよ」

 笑いながら華が浴室の扉を開ける。

「アイス今食べないなら、冷凍庫入れといてね」

 化粧落としの蓋が開く音がして、扉が閉まる。

「はーい」

 一瞬の静寂の後、衣擦れの音が廊下に響いた。


──色気のある女。華はその言葉が一番似合う女だと思う。

 桃チューハイ以外を冷蔵庫と冷凍庫にしまう。あえてビニール袋をカシャカシャと鳴らしながら裸足で静かな廊下を歩き、ワンケーの部屋に入った。






◾︎◾︎◾︎






 シャワーから上がり、冷蔵庫からビールを出して青く長い爪でプシュと音を立ててあけ、一口飲む。

 唇の上についた泡を手の甲で拭い部屋に入ると、真白がベランダでチューハイ片手に煙草をふかしていた。

 透き通るように白い肌。小柄で折れそうな体。艶々とした黒髪を背に垂らした真白がぼんやりと浮かび上がっていた。

 月明かりが白く真白を照らしている。

 あたしの視線に気づいた真白が振り向いて、

「華も吸う?」

 片手をひらりと上げて微笑んだ。

 風が吹きこんで、カーテンが揺れる。

 どこか儚げな真白に、ライターと煙草を手に取って、サンダルを履いてベランダに出た。

「まったく、煙草吸うんだったら窓閉めてよね」

 煙を肺一杯に吸い込んで、夜空を仰ぎ見るように吐き出す。

「これじゃ外に出る意味ないじゃない」

 隣の真白をじと目で睨む。

 首と腕から青い血管が透けて見えた。

「へへ、ごめんって」

 真白の薄い唇の間にくわえた煙草が揺れて、灰がベランダに落ちた。

「はい、灰皿」

 室外機の上にのせていた灰皿を真白に渡す。

「さんきゅ」

 真白は酔っ払って弛緩した表情で上目遣いにあたしを見た。

 一気にビールを半分くらい飲み干す。結露が指から腕に伝って、手すりを濡らした。

「真白、何本目?」

「まだ二本だよぉ」

 上品な顔立ちがもったいないような、しまりのない顔で真白が笑った。

「私さー、華のその青いネイル好き」

「これ?」

 煙草をくわえて、左手を反らして見る。

「うん、この深い青色。華ってかんじですごく好き」

 真白はあたしの手を取ってはくすりと微笑して、煙草を灰皿に押しつけた。

「あたしも好き」

 ビールの残りを飲もうと上を向くと、夜空に都会の光で弱った星が儚く瞬いていた。

「真白もそのピンクのネイル似合ってるよ」

「きゃあ、嬉し」

 重たいベランダの窓を開ける。

「夜風寒いから中入ろ」

「もう、華ったら夏だからってキャミと短パンだけなんだから。お腹壊すよ?」

「はいはーい」

 あたしたちはフラフラとした足取りで部屋に戻った。

「電気つける?」

「ううん。このままでいい」

 月明かりで明るい部屋を見渡して、つぶやいた。

「華、アイス食べようよ」

 ぺたぺたと足音をさせて真白が振り返った。

「ええー、真夜中だよ」

「それがいいんじゃん。はい」

 キンキンに冷えたピノが手にのせられる。

 夏夜のエアコンの効いていない部屋で、手にのせられたアイスだけが冷たく私の体を冷やしていった。

「ありがと」

 二人、隣に座って六個を一気に食べ終えると、真白がベッドに転がりこんだ。

「ねぇ……」

 吐息を漏らしながらあたしを呼ぶ。

「なに?」

「…………早く来て」

 真白のか細い声が宙を舞う。真っ黒な瞳でじっとあたしを見つめている。

 この雰囲気の真白はなんか不安定で、かわいくて、ほっとけない。

 エアコンのスイッチを押して、うがいした後、真白の隣に入りこむ。

「華、明日もバイト?」

 あたしは小さくうなずいた。

「何時から? 何時に終わるの? ご飯どうする?」

 真白の質問攻めにあたしは聞こえてないフリをして、気だるげに寝返りを打った。

「こっち向かないの?」

 真白の声があまりにも悲しそうで、あたしはクスクスと笑った。

「あーもう」

 あたしは真白の方へ顔を向けると、足を絡めて、真白をがんじがらめに包みこんだ。窓の外で車の通り過ぎる排気音とライトが部屋を走り抜け、すぐに遠ざかっていく。真白はあたしを眩しそうに目を細めてみつめた後、ゆっくりと瞼を閉じて眠りについた。



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