第20話


「企業スパイ……俺らからマジックアイテム作りのノウハウと技術を盗むために、あいつらを送り込んで来やがったのか……」


 しかも値段はうちの二割引きで、社名はうちのヴァーミリオン(赤黄色)に対してマゼンタ(赤紫)、明らかにうちを潰しに来ている。


 そうとも知らず、俺はまんまとスパイを引き入れ、ドルセントに利益の二パーセントを差し出してしまった。


 ドルセントに話を持ち掛けられたあの時。


 いくら疲れていたとはいえ、あのままではノルマが達成できなかったとはいえ、あまりにも迂闊だったと言うしかない。


 俺のせいで、クレアが十年もかけて作り上げた技術が、流出してしまった。

 その罪悪感で、膝が震えてきた。


「残念ですが、マクーン商会は今後、マゼンタ社のマジックアイテムを仕入れる事になるでしょう」

「ぐっ……でも……」


 ロバートさんは手の平をかざし、俺の言葉を制する。


「新年商戦で、貴方がたヴァーミリオンのレプリカシリーズは、全国に認知されました。しかし、今はもう、マゼンタ社の製品に上書きされ始めています。向こうはすでに大量生産体制を整え、全国の商会や店舗に、途切れることなく商品を卸し続けています。対する貴方がたの商品は売り切れがちで、予約をしなくてはならない。供給力は雲泥の差です。消費者は、待たされることを嫌がります。我が主、マクーン商会の会頭も、安定して大量に在庫を確保できるマゼンタ社の商品が良いと」


「そんな……」


 絶望する俺の横で、中年男性が杖を一本手に取り、会計の列に並んだ。

 列に並ぶ人の多くが、マゼンタ社の杖を手にしていた。


 あの人たちが、うちのレプリカシリーズを買うことは、もうないだろう。

 こんな状況が、王都中で、いや、国中で起こっているのかと思うと眩暈がした。


 うちは、シェアを完全に奪われたのだ。

 あの投資家、ドルセントの計略にはまった、俺のミスで。

 シアン社が賄賂で裁判結果を操作した時、俺は大人の汚さに吐き気を覚えた。


 でも今度は、それ以上に自分の愚かしさに吐き気を覚える。

 裁判をしても無駄だろう。

 ドルセントなら、その財力で裁判結果なんていくらでも操作できる。

 俺は、熱を帯びた目頭から溢れそうになる涙を抑えながらうつむいた。


「ごめんクレア……俺のせいで……クレアの努力が――」


 首を回して、言葉を失った。

 ロバートさんも、いつの間にか頬を引きつらせて青ざめている。


 沈黙を守っていたクレアだったが、どうやら絶望に打ちひしがれていたわけではないらしい。


 クレアは震えていた。

 マグマよりも熱く、太陽のよりも激しく燃え盛る憤怒によって


 逆立つ柳眉の下で輝く紅蓮の双眸(まなこ)は悪鬼のソレ。

 全身から噴き上げる熱気で揺らめく真紅の髪は魔神(ゴルゴン)のソレ。

 鋭利な歯を剥き出し、灼熱の吐息を漏らして震わす顎(アギト)は邪竜のソレ。


 殺意の波動に目覚めたクレアから発せられる、質量を伴った死の気配に、店内の客が縮み上がり、子供は涙と小便を漏らして失神した。


 俺の脳裏に去来したのは、二年前の兵役時代の思い出だ。

 魔王軍四天王が一人、究極生命体、コズミックベヒーモス討伐戦において、俺は奴の咆哮を真正面から受けたことがある。


 あの時は、死んだ心地しかしなかった。

 なんで俺は、あの時のことを思い出しているんだろう……うん、そんなの当たり前じゃないか……今、死んだ心地しかしないからだよ……。


 

 店の外からは、犬猫の悲鳴と、馬車馬のいななきと、馬車が横転する轟音と悲鳴が聞こえてくる。


「お、おいクレア……おさ、抑えて、な?」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■??」

「ちょっ」


 その時、クレアは溢れる殺意の波動を早急に発散する必要があった。


 彼女の視界に入っており、すぐ目の前にいるロバートさんがその対象に選ばれることは必然であり、彼女がロバートさんに触れたならば、彼はコンマ一秒で原型を失い、血肉飛沫が床を覆うだろう。


 クレアの未来のため、俺らの夢のためにも、それだけは避けなければならない。


 俺は、ほとんど脊髄反射で二人の間に飛び出し、クレアの体を受け止めた。


 一〇〇分の一秒後。

 クレアの右足は俺の左足に、左足は首に引っ掛けられ、へし折れるほど曲げられた胴体から伸びた俺の右腕を脇腹に抱え込みがっちりホールド。


 そのまま全体重をかけてきて、コブラツイストを進化させた卍固めあらため、ヘルズサブミッションの完成だった。


 むちっとしたふとももが、ギロチンのように俺の首を削ぎ落とそうとする。


 ぷにっとした二の腕が、俺の右腕を万力のように締めあげながら絞首台のように吊り上げ肩を引き千切ろうとする。


 たゆんたゆんの豊乳が押し付けられる脇腹が、牛裂きの刑のように悲鳴を上げ、アバラがメリメリと音を立てる。


 最近、可愛い姿ばかり目立って忘れていたが、これが、俺の幼馴染、クレア・ヴァーミリオンその人である。


 自分の体が破壊されていく、生々しい感覚に意識を解体されながら、俺は思った。



 魔王……お前、勇者がいなくても、世界征服は無理だったぞ。だって……人類にはクレアがいるんだから…………。



「絶対! 絶対もっと凄いの作ってやるんだからぁあああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る