第20話


 数日後の日曜日。

 俺は自室で、みんなと一緒にケーキと紅茶を楽しみながら、溜息を洩らした。


「なぁんで勝てないかなぁ」


 美咲が毎日用意してくれるケーキのおかげで心とお腹は満たされる反面、気持ちは沈む一方だ。


 正直に言えば、俺の特訓の成果は芳しくない。

 確かに、特訓初日に比べれば、それなりに成長した。


 美咲と何百回と戦い、彼女の戦闘パターンを覚え、彼女自身から指導を受けられたことは大きい。


 それでも、俺は美咲のHPバーを半分まで減らすのが精いっぱいだった。

 しかも、俺の異能武器学園アバターの必殺技を、一度も当てられていない。

 夏希と美奈穂と春香が、口々に言った。


「幹明のほうが弱いからだろ?」

「う~ん才能の差じゃないかな?」

「ていうか半月で全国九八位に勝つなんて最初から無理だったんじゃない?」

「身も蓋も元も子も血も涙もなさ過ぎる!」


 くそぉ! と言いながら、チョコレートケーキを口に含んだ。


 しっとりとしたチョコレートがやわらかく口の中でトロける。カカオの上品な苦みと一緒に、濃厚な甘さが口に広がり、思わず頬をゆるんでしまう。


 あぁ、幸せ。最下位のままでもこんなおいしいケーキが食べれ…………はっ!? まさか!?


 脳髄を電流が走り、俺は気づいた。

 俺の手から落ちたフォークがテーブルに落ちて、カランと音を立ててみんなの視線を集めた。


「そうか! 俺にはハングリー精神が足りないんだ!」


 頭を抱えて、目を剥き叫んだ。


「そもそも俺は、貧しいパン耳生活から抜け出したい一念で頑張っているはず。なのに実際は最下位から抜け出さなくても、美咲が用意してくれる高級ケーキというぬるま湯に浸かり、俺は真剣になれていなかったんだ!」


 なんという落とし穴だ、と俺は右手で顔を叩き、オウマイゴッド、と叫ばんばかりに天を仰いだ。


 だが、今ならまだ間に合う。

 ドローンが運んできたケーキボックスには、まだたくさんの、そして様々な種類のケーキが残っている。パン耳生活が長い俺にとっては垂涎の光景に、歯を食いしばる。


 俺は、断腸の思いで、幸せな日々と決別する決意を固めた。

 涙腺が熱い。


「ごめん美咲。気持ちは凄く嬉しいんだけど、ケーキはみんなで食べてくれ!」

「幹明がそう言うならワタシはかまいませんが、本当によいのですか?」

「う、うん!」


 ぎゅっと目を閉じて、俺は顔を背けた。


「じゃあ間接キス、もといこの食べかけのチョコレートケーキはボクが貰っておくよ」


「す、好きにしてくれ!」

「ほかのケーキもあたしらで分けちゃうわよ?」

「一思いに殺せぇ!」


 俺はその場にうずくまり、頭を抱えた。


「わたしこれ貰っていい?」

「じゃ、あたしこれ」

「ワタクシはこちらを」

「ではボクは美奈穂ちゃんと言う名のケーキをぐぼはっ!」

「美奈穂に近づくんじゃないわよ!」


 うずくまる俺の視界、テーブルの下に、夏希の顔が落ちてきた。

 けれど、親友のために黙とうを捧げる気にもなれない。黙とうが必要なのは、この俺なのだから。


   ◆


 次の日から、俺は正真正銘のパン耳地獄に逆戻りした。

 美咲のケーキはもちろん、夏希の救援物資と言う名のお菓子も断り、一日三食、パンの耳をモソモソと食べ続けた。


 美咲のケーキのおかげで贅沢な時間を過ごしたせいで、今まで以上にパン耳生活の辛さが身に染みる。


 でも俺は負けられなかった。

 ここで負けるわけにはいかなかった。


 これに耐えればバラ色の青春が未来が全世界が俺に約束されているんだと自分に言い聞かせた。


 やがて、辛ければ辛いほど、ゴールへ近づいているのだと幸福感を得られるようになり、みるみる落ちていく体重も気にならなくなり、鏡に映る、頬のこけた青白い顔を見る度、これが全てを懸けた男の顔だと満足できるようになった。。


 月末試験五日前には、感情が希薄になり、何事にも動じなくなった。

 月末試験三日前には、夏希のセクハラ攻撃に眉一つ動かさなくなった。

 月末試験前日には、美咲のHPバーを七割も削ることに成功した。これなら、必殺技を一度当てれば、削り切れるだろう。


 でも、その必殺技を当てることは、とうとう一度もできなかった。

 けれど、最後の訓練を終え、みんなと別れたあと、俺は気づいた。


「そうか……まだ足りなかったんだ……ハングリー精神が…………」


   ◆


 月末試験当日。

 体の重みに耐えきれず、家を出るのが遅くなってしまった俺は、大幅に遅刻をした。


 試験会場である体育館に到着したとき、もう一年生全員が床に体育座りをしてそろっていた。


 学年主任の竹本麻美先生が、眉間にしわを寄せて声を尖らせる。


「秋宮君、遅刻ですよ! 次は貴方の、あ、あきみやくん!?」


 竹本先生の声が鋭かったのは最初だけ。すぐ気勢が削がれ、前のめりになって眼鏡の位置を直した。


 他の生徒たちもざわめき、体育館はにわかに騒がしくなる。

 ああ、そういえば土日を挟んだから、みんなとは三日ぶりか。


 誰もかれもが、俺の顔を見て驚いている。

 夏希と春香と美奈穂でさえ、思わず立ち上がる。


「どうしたのさ幹明! 顔に血の気が無いよ!」

「瞳孔が開ききっているじゃない!」

「死相もくっきり出ているよ!」


 おいおい、みんなのほうこそ、顔が真っ青じゃないか。

 何も知らない可愛い子羊たちに、俺は悟りを開いた者として、真実を告げてあげた。


「ふ、なんてことはないさ……俺はただ、昨日の夜と……朝のパン耳を……」


 静かに、だけど力強く答えた。



「抜いてきた」

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