第19話
満たされた気持ちで、俺もログアウトして、意識を本体に戻した。
目を覚ますと、ケーキのデリバリーを頼んだらしい美咲が、俺らに微笑みかけてくる。
「八分以内に、おいしいケーキと紅茶が届きますわ。楽しみにしてくださいな」
言って、美咲は俺らにも見えるMRマップを壁に展開した。地図上では、赤いマークがケーキ屋さんからまっすぐ、学生寮へ向かっているのが見える。
現代のデリバリーは注文すると、商品を乗せたドローンが、空から地図上を直進してくるからすぐに届く。ドローンの居場所はネットのマップでも確認できるから、昔のドラマみたいに『出前はまだか?』『いま出ました』なんてやりとりをする必要もない。
「なんだか悪いな」
「気にすることはありませんわ。末席合格者である貴方の窮状は」
壁の穴をチラリ。
「理解していますもの」
「いや、その穴はだなぁ……」
誤解を解こうと思うも、美咲の目に涙はなく、ちょっと楽しげだった。
あ、さては美咲の奴、わかったうえでからかっているな。
お嬢様のわりに、なかなかにノリがいい。
そんなところも、魅力的に見える。
「幹明の窮状がわかっているなら、わざと負けてあげてよ」
次々意識を取り戻す夏希たちが、口を挟んでくる。
「そうよ。このままじゃ幹明、来月もパン耳生活なのよ」
「ノブリスオブリージュ、持つ者は持たざる者へ施しをお願い」
春香と美奈穂も頼むけれど、美咲はきっぱりと手を突き出した。
「わざと負けるのは本意ではありませんわ。ワタクシに勝てるよう、必要な情報は教えてさしあげますし、鍛えもしますが、不正はいけません」
「ちっ、不正をしないなんて、セレブの風上にもおけない奴ね」
「セレブにどんな認識を?」
春香のバーバリアン理論に、流石の美咲も、ちょっと困惑気味だった。
「でもどうするんだい? このまま普通に練習して勝てるなら、苦労はないと思うけど?」
夏希に問いかけに、美奈穂が手を叩く。
「じゃあやる気アップのために何かペナルティを作るとか?」
「負けたらパン耳生活継続っていうこれ以上ないペナルティがあるんだけどぉおおお!?」
俺の魂の叫びに、美咲が嗜虐的な笑みを浮かべた。
「それはいい考えね。じゃあ、次からワタシに負ける度、罰を与えることにしましょう」
「なんでそうなるんだよ!? 俺の話聞いていた!?」
「ついにセレブの本性を現したわね!」
俺が悲鳴を上げ、春香がファイティングポーズを取った。
「これも愛の鞭ですわ。というわけで、ワタクシが勝ったら罰として一枚脱ぎなさい。春香が!」
美咲のまぶたがカッと見開く。
「なんであたしが脱ぐのよ!」
「任せてよ春香。絶対に勝つから! だけど頑張ったうえで負けちゃうのは仕方ないよね!」
「あんた勝つ気ないでしょ!」
「何を言っているんだい春香ちゃん! 見てごらん、幹明の純真でありながらやる気に煮えたぎる瞳を! これが決意を固めた男の目だよ!」
「あたしには下心と欲望に濁り切ったパンツ星人の目にしか見えないわよ!」
俺と夏希は肩を組み合う。
「ひどい! 春香は俺のことを信じてくれないんだ! 春香に疑われて俺は悲しいよ!」
「本当だよ! 友達なら幹明のことを信じて、負けたら即全裸でもOKするべきなのに!」
「あ、ん、た、らぁ~」
春香がバキボキと指を鳴らすと、美咲が渋々といった顔を作る。
「じゃあ脱がなくてもいいわ。その代わり、ワタシが勝ったらスカートをめくりなさい」
「どこがどう妥協しているのよ!? ていうかなんであたしを脱がそうとするのよ!?」
「え? 見せたいのでしょう? こうすれば合法的に見せられるのではなくて?」
きょとん顔で、貴女のために言っているのに、と言わんばかりの美咲に、春香は怒りのボルテージを上げて牙を剥いた。
「どこ情報よそれ!?」
「え? 凡民は好きな殿方に見せるために勝負パンツと言われる派手なパンツを履いているのではなくて?」
「なぁっっっ!?」
春香の顔が赤く凍り付いて、両手がスカートの上からお尻を押さえた。
聞き捨てならない情報に、俺はガタリと立ち膝になる。
俺の隣で、夏希もウンウンと唸っている。
さっき、壁の向こうでイタズラな妖精と化していた夏希からの、信頼できる情報だ。
どうやら、春香のパンツが派手であるというのは、事実らしい。
純真無垢の権化である俺は、ウブな好奇心を抑えきれず、ソワソワが止まらない。
「派手なパンツなんて履いていないわよ! 幹明もソワソワしない! 夏希も頷かない! 美奈穂は……何してんの?」
いつの間にか、美奈穂は、赤ちゃんのようにハイハイで春香に近寄ると、まるで服に着いた糸くずでも取るような自然な動きで、春香のスカートの裾をつまんだ。
そして……。
「どんなの履いているの?」
ふぁさ
「あ、すごーい」
「ッッッ!?」
春香のスカートの中が眼前に展開して、俺は息を止めた。
目の前の絶景に心臓が止まり、両目が正円を描くほどまぶたが開いた。
途端、世界が一変した。
そこは、パンツの庭園だった。
夕焼けのように西の空に浮かぶパンツの色に石畳は染まり、パンツのレンガに囲まれた花壇は、バラのように咲いたパンツでいっぱいだ。
そんな庭園の真ん中で、俺は座り込み、春香はスカートをめくられていた。
彼女のパンツは、彼女の気性からは考えられないデザインで、俺は、世界が丸いことを証明された古代人にも似た感動と衝撃に、人生観が変わってしまう。
春香の顔が赤くなる。この庭園の何よりも赤くなる。
彼女の桜色の唇と涙腺が、徐々に緩んでいく。
「い、い、い、イヤァアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
『ケーキをお届けに参りました』
春香の背後、ベランダにドローンが到着したのは、その時だった。
今日も、空は実に平和で、世界は平常運転だった。
ちなみに、俺はこの後のことを何も覚えていないんだけど、夏希の話だと、練習は中止になったらしい。
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