第18話
インターホンが鳴ったのは、その時だった。
「あ、きっと美咲だ」
言って、家主の俺を差し置いて、美奈穂が玄関へ立った。
なんだか、ますます美奈穂がこの部屋を使いこなしている気がする。
とりあえず、キャスター付きの収納ボックスをずらして、壁の穴を隠す。違和感が半端じゃないけど、ひとまずこれで誤魔化そう。
俺がテーブルへ戻ると、貴佐美がリビングに顔を出す。
「お邪魔しますわ」
俺は収納ボックスから飛びのいたばかり、ギリギリのタイミングだ。
貴佐美は、黒髪縦ロールを揺らしながら、相変わらずの高貴オーラをまとっていた。
歩き方ひとつとっても上品で、彼女の周りだけが輝いて見える。
ある種、近寄りがたくすらあった。
クラスメイトの女子なのに、こんな、壁に穴の空いた粗末な場所に呼んでいいのか、今すぐ街のおしゃれな喫茶店へ行くべきではないのか、俺が一人で煩悶していると、貴佐美は優美にほほ笑んだ。
「気を使わなくてもいいですわよ。凡民男子の一人暮らしには興味がありますもの」
心を読まれた!?
ガビン とショックを受けている間に、貴佐美はまっすぐ、キャスター付き収納ボックスへ足を運んで、
「これが庶民のレイアウトですの?」
「あ、そこは」
キャスターをズラした。穴を覗き込んだ。
振り向いた瞳には、宝石のように美しい涙が浮かんでいた。
「…………知りませんでしたわ。まさか……凡民がここまで粗末な部屋に住んでいたなんて」
同情と己の不明を恥じる想いで潤む瞳から、大粒の涙がこぼれ、頬を伝ってフローリングの床に落ちた。
「違うからね!」
「恥じることはありませんわ、恥じるのは無知なワタクシのほうですもの」
驚くほど綺麗な、まるで一枚絵のような泣き顔で、貴佐美は俺の肩に、優しく手を置いた。
そして、慈愛に満ちた笑顔で一言。
「最初は少し付き合うだけのつもりでしたが、ワタクシ対策の件、全面協力させていただきますわ」
えぇええええええええ、なんか結果オーライだけど大事なものを失った気がするぅ!
◆
それから、俺らはステージセレクトをして戦った。
俺のワンルームで戦うのは狭苦しい。
そういう時、そしてオンライン対戦で利用するのが、ステージセレクトだ。
MRゲームである【スクランブル】は、今いる場所を模したMR空間で戦う。
現実世界の人は、デバイスを通して、現実世界にMR世界の映像を重ねる形で、その戦いを観戦できる。
ただし、別の場所で戦いたい時や、MRバトル禁止区域にいる時は、地図上から場所を選んだり、東京ドームや雷門前などの人気スポットセレクトでステージを選択し、戦うこともできる。そうしたバトルは現実世界からは観戦できないものの、一人で遊んだり、仲間内で遊ぶ分には問題ない。
ちなみに、肉体保護の観点から、ステージセレクトをしても、現実の肉体の3D映像はその場に残る。
誰かが近づいてきたら、その人も表示される。
東京ドームのアリーナで異能バトルをしていたら、突然母親が現れ、本体の肩を揺り動かし『ご飯できたわよー』なんて言われるのは、スクランブルあるあるだ。
そして、俺はその東京ドームの芝生の遥かに上で、空中コンボを食らっていた。
「ノォオオオオオオオオオオオオ!」
「吹っ飛ばした相手を追いかけるように跳躍。そして連続攻撃へ繋げるのは基本ですが、徐々に相手との距離が生まれ、無限コンボは不可能ですわ。だから、相手が射程から外れる直前に落としますわ、このようにッ」
空中で俺に乱れ斬りを叩きこんでいた貴佐美は、有言実行。自身の剣が届かなくなる直前に、俺を真下に叩き落とした。
「召喚! フェンリル!」
そこへ、ダメ押しの必殺技。
俺は背中から芝生に激突して、衝撃が肺から口へ抜ける。反動で、体が麻痺したように動かない。
一方で、空中の貴佐美は召喚陣を展開。真紅に光り輝く巨大な陣から、漆黒の巨大狼が這い出し、真っ直ぐ俺に襲い掛かってくる。
ゲームとわかっていても、その圧倒的リアリティは原始的な恐怖を揺さぶり、俺は情けない悲鳴を上げながら、直撃を受けてしまう。
白い牙と赤い舌が視界を覆い、衝撃が全身を貫く。
視界左上のHpバーが消滅して、抗えない脱力感に意識を持っていかれた。
気が付くと、黒いドレス姿の貴佐美が、両手に剣を携えて見下ろしていた。
その顔には、愛弟子と接するような、柔和な優しさがこもっていた。
ギャラリーが拍手を送ってくる。
「さっすが美咲ちゃん。勉強になるよ」
「ぐ、悔しいけど流石だわ」
「へぇ、あれが空中コンボかぁ、参考にしよ」
「お前らが勉強してどうするんだよ!」
跳ね起きて俺が抗議をすると、三人は申し訳なさそうに頭をかいた。
「けれど、幹明もかなりのものですわよ。ワタクシのHPを、三割も削ったのですから。末席入学の噂は、本当のようですわね」
貴佐美の嫣然とした笑み。
パンツに見とれて試験に集中できなかったという黒歴史を蒸し返されて、俺はうつむく。
別に、貴佐美に惚れているわけじゃないけど、あまり、美少女には知られたくない話だ。
「一度休憩にしましょうか? おいしいケーキをデリバリーしてあげますわ」
「ありがとうございます貴佐美様。愛していますぅ!」
「ボクも初めて会った時から愛しているよ美咲ちゃん!」
「餌付けされるな!」
春香の回し蹴りがこめかみを直撃。俺と夏希はまとめて薙ぎ倒された。
ぶざまな悲鳴を上げて倒れる俺と夏希。
視界の端では、貴佐美が愉快そうに笑っていた。
「じゃあ先にログアウトしますわ。それと、ワタクシのことが好きなら、美咲と呼びなさいな」
長いまつ毛を揺らすにウィンクを残して、美咲のアバターは消失した。
俺がハートをトキメかせると、アリーナの端で横になっていた美咲の本体が体を起こした。
その横顔は綺麗でありながらも、近寄りがたい雰囲気は消えている。
なんて親しみやすいお嬢様だろう。
ものの小一時間で、気分はすっかりお友達だ。
満たされた気持ちで、俺もログアウトして、意識を本体に戻した。
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