尾行と潜入

第22話 ハシシの販売

 リヤードからの連絡が届いた。


 帰宅したクトゥブを訪ねてきたアミール・ターリクに同行していたリヤードが直接、帰り際にジャーミィに来いと告げてきた。ナーディヤの体調は好転しているがまだ寝床の上だ。時間の余裕はある。


 俺はすぐに出発した。ターバンで眼元まで隠したサービトとしての姿でジャーミィに着くと、待っていたリヤードと合流して別の場所に向かう。


「ハラーフィーシュのスルタンって言葉が分かると拍子抜けするほど簡単に話が進んだ。お前にはそいつが率いる組織に潜入してもらう」

 道すがらリヤードが故郷の言葉で説明する。短い時間で良くそれだけわかったものだ。


「大した事がない相手か」

「むしろ逆だな。ハラーフィーシュのスルタンを名乗る不届き者はかなりのやり手だ。こんな簡単に尻尾が掴めたのに、肝心の不届き者の姿が影も形も見えない。何か秘密がある筈だ。まずはそれを突き止めろ」


 内部に俺一人しかいない以上、出世して上る詰めるのが最善か。

 だがあまり悠長にしていられない。倒れているナーディヤもあと数日もすれば回復しそうな気配だ。それからどう転ぶかは分からないが、間違いなく潜入調査を続けるのは難しくなる。


「のんびり調査するつもりはないぞ」

「俺だってそうさ。だからちゃんと考えてある。手柄の捏造でも何でもして組織内の立場を良くすればいい。そうすれば欲しい情報はいくらでも手に入るだろ。捏造は俺がどうにかする。お前は組織に入ってどんな捏造が良いか考えつつ上手く立ち回れ」


 全ては組織に入ってからというわけか。


 俺たちはしばらく歩き、ダマスクスの街を囲む城壁の門を潜った。そこから先は城壁の外というだけでダマスクスの街の一部だ。農村も多いが内側と同じように街区もある。城壁の北にある街区を進んでいくと、喧噪が遠くなってきた。


「ここはどこだ」

「墓地だ」

 通りで静かなわけだ。俺はリヤードに人目を確認させ、人も少なく誰も見ていないと分かるとターバンを外してアスワドの力で眼も見えるようにした。


 確かに墓地だった。一つの街区に匹敵するほど広大で、ぽつりぽつりと墓参りをしている者たちがいる。その辺にいる町人のような恰好をしたリヤードが墓地の奥を指差した。


「この先に不届き者の下っ端がいる。俺とは面識がないから一人で行け」

 リヤードと別れて奥に進む。迷路のようなダマスクスの街において、墓地だけが見通しの利く唯一の場所だ。お蔭で探し人の方から話しかけてきた。


「お前がスルタンの仕事を手伝いたいって奴だな?」

 女子供のように背の低い中年だった。痩せ細り生えている髭すらも弱弱しく見えるが、眼だけが見開かれたように爛々としている。


「そうだ。ここに来るように言われた」

 男は俺の躰を舐め回すように眺め、感心するような声を洩らして俺を見上げた。

「聞いてた通りのガタイだな。見た目通り腕には自信があるんだよな?」


「期待に応えられる筈だ」

「よし。お前は今日から俺と二人一組でハシシを売り回ることになってる。名前は?」

「……カラジャ」

「良い名前だ。前に組んでた奴は名前からして弱そうだったからな。そいつみたいにすぐ死なないよう神だか悪魔だかに祈っとくよ。さあ、早速だが売りに行こう」


 墓地を出て東に進む。相方の男の歩幅は狭く、必死に足を動かしても少しずつしか進まない。目的地らしいマスジドに着くのも時間が掛かり、そう距離も離れていないのにそいつはそれだけで息を切らしていた。


「合格だ、カラジャ。体力あるじゃねえか」

 情けなくて返事をするのも面倒だった。相方の男は誤魔化すように苦笑いをして、マスジドに集まるハラーフィーシュの一人に声を掛ける。


「ほら持ってきたぞ。大切に使えよ」

 新種のハシシが入った小瓶をこっそり渡す。受け取ったハラーフィーシュは飛び上がって何度も礼を言い、どこかに走り去っていった。


「代金は良いのか」

「今のは種蒔きだ。芽吹くまでほったらかし。農業ってのはそういうもんだろ?」

 中々あくどい手口だ。相方の男は同じ手口をハラーフィーシュ相手に何度か繰り返し、新種のハシシを無料で渡していく。


「見られているな」

 それに気付いたのは四人目のハラーフィーシュにハシシを渡した後だった。いかにもガラの悪い三人組が俺たちを凝視している。それを一瞥した相方の男が見せびらかすようにハシシの入った小瓶を振ってみせた。


「カラジャ、あいつらをぶちのめしてくれ。それがお前の仕事だ」

 だから二人組なのか。俺たちを窺っている三人組はこの辺りのハラーフィーシュの元締めだろう。太り過ぎた親分に痩せた子分二人、傷だらけの犬も一匹連れている。


 俺が視線を合わせると、喧嘩を買ったとばかりに三人組が通行人を押しのけて近づいてきた。

「俺たちの縄張り──」

 ──俺は飛び蹴りをかました。


 親分の顎が砕ける感触がする。事切れた親分が頽れ、不意を突かれた子分が棒立ちになる。そこに、追撃を入れた。拳を一発ずつ、それで全員が失神した。残された犬は戦う素振りも見せず、嬉しそうに尻尾を振って路地に消える。


 歓声が上がった。通行人たちが盛り上がっている。その時、後ろから誰か迫ってきた。反射的に迎撃しようとして、相方の男が走り寄ってきたのだと気付いて手を下ろした。


「やるじゃねえか! 良い仕事したぜこれは。ちょっと待ってろよ」

 相方の男は倒れた親分の懐を漁り、何本もの小瓶を奪った。そして、その全てを地面になげつける。茶褐色の物体が地面に飛び散った。


「普通のハシシだよ。こいつらも売人だ。俺たちの邪魔でしかねえからブッ飛ばす必要があったんだ。本当なら殺すところなんだがよ、見ろよこの顎、しばらく飯も食えねえぞ」

 親分の頬を叩き、相方の男は声を上げて笑う。それから疲れたように笑いを止め、親分の顔を蹴った。


「よおし、ここからが商売だ。行こうぜ」

 今度は民家を訪ねて回った。見るからに普通の住人から金を受け取り、新種のハシシが入った小瓶を渡していく。取引には鉄貨が使われていた。


 買い物をしないせいで価値が分からないが、新種のハシシは安いのだろうか。考えながらじっと見ていると、相方の男は慌てて代金を隠した。

「物欲しそうに見るなよ。ちょろまかすのはできなくはないが、儲けが儲けだ。大人しくしておいた方がよっぽど美味い汁が啜れるぜ」


「いや、ハシシの値段が気になっただけだ」

「そっちか。それなら今は普通のハシシより安いぐらいだな。後々値段を上げるらしいが」

 警戒心はなさそうだ。俺は思いつきで一芝居打ってみる。


「俺たち関係者だろ? 安く手に入ったりしないのか?」

 なるほどとでも言いたげな顔をして、相方の男は新種のハシシが入った小瓶を俺に押し付けてきた。

「今日は特別だぜ?」


 俺は小瓶の蓋を開け、掌に中身を取り出した。

「なんだよこれっぽっちかよ」

「強欲な奴だな。まあ強い奴ってのは強欲なもんだ。カラジャはあれか、この新種のハシシが欲しくてスルタンの手下になった口か?」


「よく分かったな。普通のハシシは飽きたんだ。それで新種のハシシの噂を聞いて、一枚噛ませてもらおうと思ってな。それでずっと気になってたんだが、新種のハシシっていうのは何が新しいんだ? 上物なのは前に試して知ってるが、見た目は普通のハシシとほとんど同じだ」


 俺は掌に乗る新種のハシシを見る。アスワド曰くジンの気配を感じると言うが、俺の眼には黒っぽい糊状の物体にしか見えない。


「さあな、俺が聞きたいぐらいだ。どうもスルタンだけがその秘密を知ってるらしい。それ以外の人間は全員、スルタンから渡されたハシシを手下に配ってるだけだってよ。実は俺もこっそり調べてみたんだが、それ以上は分からなかった」


 スルタンだけが新種のハシシの出所を知るとなると、やはり組織内で出世してスルタンに接触するしかない。極力リヤードの手を借りずに主導権を握りたかったが、そういうわけにもいかないようだ。


「まあなんにせよ今日はここまでにしよう。さっさとハシシキメてえだろ、カラジャ。いい仕事した後ならなおさらだ。明日またあの墓場で会おう」

「ありがてえ」

 俺は相方の男と別れ、リヤードと対策を練った。


 しかしその時間は無駄になった。翌日になって待ち合わせ場所に行くと、見覚えのない男が俺を待っていた。そいつは俺の上役だと名乗り、素っ気なくそれを伝えてきた。


「あの男は死んだ。今朝死体で発見された」

 唐突ではあったが、所詮はハシシの売人だ。どこで野たれ死んでも不思議ではない。


「俺はどうなる」

「本来なら代わりの売人役を用意するところだ。ただお前は腕っぷしが強いだろう。そこでお前には戦闘部隊に入ってもらう」

 たかがハシシを扱っている組織が物騒な言葉を使う。


「我々はただハシシを売るだけでなく、競合相手を排除することでも勢力を広げている。しかし段々と争いが過激になり、おそらく奴はそれで死んだ」

 昨日の連中の復讐だろうか。気にはなったが弔い合戦をするつもりは毛頭ない。俺は相方の存在ごと頭の隅に追いやった。


「今までのやり方では無駄に被害を増やすだけだ。そこで専門の戦闘部隊を新たに設立して、そいつらに競合相手の排除をさせることに決めた。お前にはその戦闘部隊に入ってもらいたい。入ったばかりで愛着もない分、都合が良いだろう」


 地道にハシシを売り捌くより戦功で出世する方が早そうだ。答えは直ぐに出たが、俺は悩んでいるふりをした。

「……良い事あるんだろうな」

「勿論だ。戦闘部隊は精鋭、まさしくスルタンにとってのマムルークだ。一介の戦闘員より報酬も多く、スルタンの覚えもめでたい」


 状況は確実に良くなっている。リヤードがハシシの売買組織という名のゴロツキを用意すれば、それを倒して簡単に戦功を挙げられる。上手くいけば数日でハラーフィーシュのスルタンと接触できるかもしれない。


 俺は歯を剥いて笑って見せた。

「良いな、楽しみにしてるぜ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る