第12話 初めての会話

「お嬢様がお呼びです」

 マムルークに絡まれた翌日だというのに随分と早い呼び出しだった。一階にある倉庫への食料品の搬入を手伝っていたサービトは、ヤークートに連れられて二階の中庭に向かった。


「お嬢様、サービトをお連れしました。すぐにお飲物を用意します」

「いらない。しばらく二人きりにして」

 中庭の長椅子に座るナーディヤはニカブを着ていなかった。顔立ちはどこか幼さを残しているが、細長い目元と手入れされた長い髪が大人びた雰囲気を醸している。躰は小柄で線も細く、その大人と子供の容貌が入り混じった不自然さが気丈な病人のような危うさを漂わせていた。


「座って。離れたところにね」

 声から距離を測り、サービトは二人分の間を取って長椅子に腰を下ろした。横に座るナーディヤに上半身を向けるが、ナーディヤは視界の端でサービトを捉えるにとどまっている


「ここに来る前は何をしていたの?」

「遊牧生活をしていました。この国で言うところの、ルームの地です」

「何故奴隷になったの?」

「戦の途中で友に見捨てられ目を潰されました。そして気付いた時には奴隷になっていました」

「その友達を恨んでいるの?」


 ナーディヤの質問やそもそも呼び出した意図は分からない。しかし聞かれた以上サービトは答えるだけだ。それに答えにくい質問というわけでもない。

「恨みなんてありません。俺のやり方が間違っていたから見捨てられたんです。むしろ今はそいつが新しい首長として上手くやれるよう応援しています」

 ナーディヤはサービトの顔をじっと見つめ、ややあって口を開いた。

「ターバンを取って」

 何かを探られているのだろうと思ったが、サービトは素直に指示に従った。外した布を脇に置き、閉じた両眼を露わにする。


「あなたの何が間違っていたの?」

「俺は強敵を前に正面から戦う道を選びました。しかしそれでは負けると考えた友は援軍を求める道を選んだ。そして恐らく、友の考えは正しい。あのままなら俺たちは滅んでいたでしょう」

「それが分かっていて何故戦おうとしたの?」

「命より誇りを選んだからです」

「友達は誇りよりみんなの命を選んだということね」

「そうなります」


 思えば、ボズクルトがサービトを見捨てるのは当然だった。

 ボズクルトは良い奴だった、優しい奴だった。サービト一人と仲間全員の命、どちらを取るかは考えるまでもない。ボズクルトは新たな長として、仲間を守る道を選んだだけだ。


「それからこの街に来るまでどうしていたの?」

「奴隷商人に連れ回されていました。最初は北の地に向かって去勢手術を受けて、傷が治るのを待ちながらこの地の言葉を勉強して、それからこのダマスクスに来ました。合わせて一年ほど掛かったと思います」

「奴隷商人とは仲が良いの? 今でも会っていたりはする?」

「いや、特別仲が良かったとかはないです。この家に来て以来会ってもいません」


 悪い者たちでなかったのは確かだ。別の地に輸送される奴隷は何人もいたが、十分な食事も用意され現地の言葉も教わり、子供たちは簡単な教育も受けていた。事実上クトゥブの部下なだけあって、純粋な商売以外の役目も担っていたのだろう。

「この街に知り合いはいるの?」

「俺たちの部族は強かった。負けて奴隷にされた者はいないので、多分いないと思います」


 質問が途絶えた。

 ナーディヤは突き刺さるような激しい陽光も気にせず、汗を流そうとも日に照らされたサービトの顔をじっと観察する。

「もういいわ」

 ナーディヤが立ち上がった。今まで凝視していたサービトの顔を二度と見ようとせずに私室に下がっていく。


 その翌日、サービトはナーディヤの私室に呼ばれた。


「打ち解けられたようで何よりです」

 ナーディヤの言葉を伝えに来たヤークートは年甲斐もなく浮ついた声でそう言った。その手には金属盆を持ち、ガラスコップが二つと飲料が入ったガラス瓶が乗っている。背後には折り畳み式の台を持った女中が控えていた。

「そうは思えませんが」

「お嬢様がご自分のお部屋に人を招くのは初めてのことです。私は勿論、旦那様ですらあり得なかったことですよ」

 気に入られる理由に見当がつかなかったが、気にしても仕方のない事なのだろう。


 ナーディヤの部屋に入ると、床から一段高くした基壇に女中が台を設置して、その上にヤークートが金属盆を置いて飲料を準備し、二人は早々に立ち去った。

「大麦水よ。私の分も飲みたいのならどうぞ」

 大麦を煮濾したものに砂糖や蜂蜜で味を整えたものが大麦水だ。サービトが知っているものとは細かい部分は違うが、目の前にある大麦水から仄かに香木の匂いがした。

 サービトは基壇に上がらず、手探りで慎重にコップを手に取った。

「美味い」

 一息で飲み干した。大麦の癖はあれど甘い飲み物だ。不味いわけがない。


「それで、何の用ですか?」

 出窓の凹部に腰掛けたナーディヤは、窓を覆う格子の隙間から外を見下ろした。

「この街には悪人がいる」

 サービトに視線を向け、背中を壁に預けて寄りかかり、片足を伸ばして姿勢を崩す。

「私は彼らを取り締まりたいの」

 だから手伝え、そう言いたいのだろうとサービトは察した。


「お嬢様のすることではありません」

「私はクトゥブ・ナイール・アル=アッタールの娘よ。悪事を見過ごすことはできない」

「それは旦那様の仕事では?」

「お父様はお忙しいの。さらに仕事を増やすわけにはいかない」


 着いていけない。それがサービトの正直な思いだった。

 他人と距離を置き、数日に一度外出して本屋に行くだけの生活を送っていたナーディヤが、何故急にそんなことを言い出したのか。あまりの急変ぶりに理解が追いつかなかった。


「一から話しましょうか」

 言って、ナーディヤはまた格子窓から見える階下の景色に眼を戻した。

「私は人が嫌いよ。いえ、人というより人と人の繋がりが嫌い。例えどれほど良い人でも、繋がりはしがらみとなり、信じられないような汚いことを平気でするようになる。だから嫌い」

 それからサービトに眼を向ける。

「でもサービト、あなたは違う。あなたには何も繋がりがない。守るべき親類や土地もない。だから私は、あなたの手を借りて一歩踏み出そうと心に決めた」


 それを探る為に行われたのが昨日の質問攻めだったのか。

 確かに今のサービトは、ある意味で自由だ。守るべき仲間はなく、貫き通す誇りもない。奴隷に落ちた今の方が身軽なのは皮肉としか言いようがなかった。


「悪人の正体はムフタスィブ(市場監督官)の部下よ」

 聞いたことのない言葉だった。

「ムフタスィブとは何ですか?」

「基本的にはスークで公正な取引が行われるよう監視、取り締まるのが仕事よ。ただ善行を勧め、悪行を取り締まるのが本来の目的ね。そこについてはあまり気にしなくていいわ」

 ムフタスィブは、街の治安維持の一端を任せられた役職、ということなのだろう。


「私はそのムフタスィブの部下がお店の人を強請ったり、押し売りや押し買いをしているところを見た。それに賄賂だって受け取っていた。ムフタスィブから仕事を任せられた人間が、そんな不正を働くなんて許せない」

 ナーディヤが歯を食い縛る。その擦れる音が、サービトの耳にも届いた。


 サービトの立場は、あくまでもナーディヤの護衛だ。危険なことに近寄らせるべきではないのは分かっているが、それからも守ってやれば問題ないとも言える。そして、ナーディヤは後者を期待して協力を求めてきた。


「最終的な目的は何ですか。ムフタスィブの不正を暴いて辞めさせたいんですか?」

「いえ、ムフタスィブは素晴らしい人よ。一人でその仕事をこなすのは不可能だから、何人もの代理人を雇っているの。問題なのはダマスクスの街は広いからそれでも人手が足りなくて、その人たちが助手を雇い、さらにその助手が部下を雇い、そうして大勢の人間がムフタスィブの仕事に関わっている。不正をしているのはその中の極一部よ」

 想像より事態は小さそうだ。立ち回り次第ではそう危険な事にはならないだろう。


「どうやって不正を正すつもりですか?」

「今のムフタスィブとお父様は懇意なの。だから言い逃れができないような確実な証拠を集める必要はない。不正を働いた人とその被害にあった人、その二つの情報が集まればお父様に報告して、ムフタスィブに働きかける。それだけで悪人は罷免される筈よ」

「なるほど」


 サービトにとって、ダマスクスで行われている不正に興味や関心はない。今のところナーディヤの身の安全を守れさえすれば他の事はどうでも良いというのが正直なところだ。言い換えれば、ナーディヤが無事でさえいてくれれば、何をしようが構わないし止める理由もない。

「良いんじゃないですか?」


「そうじゃなくて」

 ナーディヤが勢いよく立ち上がった。

「あなたに協力してほしいの」

「邪魔はしません」

「護衛はまだいるでしょう? そちらが問題なの」

 普段外出する際に、ナーディヤから距離を取って着いてくる護衛の男のことか。


「あの人なら私がしようとしている事を絶対に止める。そしてお父様に報告もする。それでは駄目なの。お父様に心配をお掛けするわけにはいかない」

「協力してもらえばいいのでは?」

「無理。信用できない」

 妙に力が入った声音だった。それにどこか陰もある。


「俺も同じでは?」

「言い方が悪かったわね。あの人が悪い人でないのは分かっているの。でも彼には色々な繋がりやしがらみがあって、自分の意思に背くことをするかもしれない。その点サービト、あなたにはそう言ったものがない」

 昨日色々と聞かれたのはそれを確かめる為だったのか。ナーディヤの過去を詮索するつもりはないが、人間関係で陰鬱なことがあったのだろう。


「つまり護衛に邪魔されないよう、ムフタスィブの手下の悪事の証拠を集めたい。しかし一人でできることには限界があるから、俺に協力してほしいということですか?」

「そうよ」


 サービトがナーディヤを止める理由はない。それどころか善意から来る行動なのだから大いに励めば良いと思う。それで危険な目に遭うのなら、大人として守ってやるのが道理だとも思っている。


「俺にお嬢様を止める権限はありません。ただ、危険です。殺し殺されることになるかもしれない。結果として無関係な人間が巻き込まれるかもしれない。それは分かっていますか?」

 サービトはナーディヤを見つめようとする。盲目となった今ではサービトにとって無意味な行動だが、見られたナーディヤはそうとは限らないだろう。

「お父様はこの街を良くしようとしている。身を粉にして街の人々の良き暮らしを守ろうとしている。私はそんなお父様を尊敬しているの。だからお父様が作ろうとしているこの街を乱す悪人が許せない。覚悟はとうに出来ているわ」


 サービトの躰は全盛期に比べて随分と衰えた。単純な躰の厚みも一回りは小さくなっている。加えて盲目となれば戦う術も限られる。相手の位置は大まかに分かっても攻撃を避けるのは難しく、最初の一撃で成す術もなく殺される恐れもある。


 しかし、それで良いのかもしれない。

 ボズクルトに見切られた時、ハリルという男は死んだ。新しくサービトという名を得た男は何も持たず、アル=アッタール家の奴隷となった。そうして若い少女の善意に命を捧げる。それもまた一つの生き方だろう。一つの良い死に方だろう。

「分かりました。俺を良いように使ってください」

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