第7話 戦いは再開せず
賑やかな夜が戻ってきた。大量の家畜が集まればただの身じろぎでも騒音の域に達する。そこに鳴き声が加わったものが俺たちにとっての子守唄だ。
「もう寝るのか?」
テントの外からボズクルトが話しかけてきた。俺は床に入ったまま目も開けずに返答する。
「朝早くに先手を打つ」
「ほかに手は打ったのか?」
「まず俺一人で仕掛けて敵の出鼻を挫く。話はそれからだ」
「正気か?」
「今の状況で、お前以外にまともな戦力がいない。また敵の首を持って帰れば奮い立つ奴も出てくるだろう。至ってまともな判断だ」
ヤクブ程度を怖がっていた連中だ。イルハンの大軍を相手にすると知った時の仲間の顔は、思い出したくもない。血の気の多い若い奴らですら心のどこかに恐怖を抱えていた。
ボズクルトの溜息が聞こえた。
「分かっているなら戦い以外の手を考えるべきだ。援軍を呼ぶつもりはないのか? 南の奴隷たちはイルハンと対立している。手を組むだけでも抑止力になる筈だ」
ボズクルトが他の長たちの意見を代表して伝えにきたのは分かっている。それでも降伏や逃亡だけでなく、援軍を呼ぶのも論外だ。
「それで生き延びてどうする」
テントの外で砂を噛む足音が鳴った。
「なに?」
「どれだけ栄えようが全てのものはいつかは滅びる。かつての大帝国しかり、父カラジャしかり。故にこそ、いかに誇り高く行動するか、それが重要になってくる。生き死には全て後から付いてくるものだ。そんなくだらないものに囚われるなと言っておけ」
「援軍はそんなに不名誉か?」
「自らの力で解決できません、そう言う奴のどこに誇りがある。人として最低限のものを忘れて生き残るぐらいなら、死んだほうがマシとは思わないか」
誇りを失った人間が行き着く先は、強者ならカラジャになり、弱者ならヤクブになる。仲間たちをそんな醜く汚れた人間にさせるわけにはいかない。
「もう一度聞く。降伏や逃亡はしないんだな?」
「あり得ない」
「援軍も呼ばないんだな?」
「呼ぶわけがない」
「……分かった。話を纏めておく」
ボズクルトの足音が離れていく。それでいい。俺が戦果を挙げるまで待たせておけ。
そもそも仲間たちは戦う前から怖がりすぎだ。敵が俺たちより多かろうが、一人ひとりの質が圧倒的に違う。しかもその精兵を率いるのは俺だ。敵の首をあっさり取ってくれば、そんな単純な事実に仲間たちも気付くだろう。首を見せられた若者たちは奮い立ち、戦力にならない老人たちは口を閉じるしかない。
それからどれだけ眠っていたのか。テントに人が入ってくる気配で目が覚めた。相変わらず騒がしい子守唄が響いている。
「ボズクルトか、どうした」
長い付き合いだ。誰が入ってきたかぐらいは気配だけで分かる。目を開けても暗闇で人影しか見えない。夜明けはまだ遠そうだ。他に二人いるのに気付くが、共に馴染みの奴らだった。
「ああ……起きたか。そろそろ時間だろうと思ってな。流石に一人で行かせるわけにはいかないから人を用意してきた」
余計なお世話、とは言わないでおいた。少し早いが準備を始めよう。躰を起こして立ち上がろうとして、ボズクルトが何かを構えていることに気付く。
弓。俺に矢を向けている。
「大人しくしろ、ハリル。意味は分かるな?」
ボズクルトが言う。他の二人が剣を片手に慎重に近づいてくる。
声を出そうとした。躰を動かそうとした。だが、何一つ思い通りにいかない。感覚が切り離されたように全てが漠然とし、暗がりに浮かぶボズクルトの影がどんどん大きくなる。
二人に縄で縛られる。抵抗はできた筈だ。戦いになっても勝てた筈だ。それでも、自分の意思では指一本動かせなかった。
俺は、見切られたのか。
俺は、父カラジャと同じだったのか。暴虐の限りを尽くし、全ての人間に恨まれようとも圧倒的な力で支配していたカラジャは、醜かった。人として堕ちるところまで堕ちた奴だった。
だから、俺はカラジャを討った。
その跡を継いだ俺は、当然カラジャの二の舞になるまいと仲間を率いて誇り高くあろうと生きてきた。カラジャと同じように醜いヤクブを討ち倒し、奸計を仕掛けてきたイルハンとも戦おうとした。
だが、行き着いた先はカラジャと同じだった。
「その男の始末はお前がしろ、ボズクルト」
テントの外から聞き覚えのない男の声がする。どこか訛りのある喋り方だ。ボズクルトはイルハンに対抗する為に、外部勢力と手を組んだらしい。
俺に着いてこられない奴がいるのは分かっていた。しかしそうか。ボズクルトですら俺を見切ったのか。
俺には他に方法がなかった、そうのたまう気はない。また同じ機会があったとしても、俺は同じように振舞うだろう。そしてまた、信頼していた男に見切られる。
赤々とした光りが闇に点る。熱された鉄の串が俺に向けられる。その先端が眼球に迫ってくる。
痛みなんてどうでもよかった。熱さなんて感じなかった。家畜の鳴き声は聞こえなくなり、心臓の鼓動さえも静まり返る。
ボズクルトに裏切られた。
ただ、それだけが俺の中でぐるぐる回っていた。
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