第5話 襲撃と襲撃

 俺たちのテント群が燃えていた。

 落ちた松明が一帯の草木に燃え移り、厚い雲がもたらす夕闇が不自然に照らされている。テントの一つ一つが丹念に潰されて、家畜の姿も消えていた。そこここに転がる死体はほとんどが一刀で斬り伏せられ、その中には長の姿もある。


 だが、人の被害が思ったよりも少なかった。

 ボズクルトのお陰だろう。この場にあいつの姿は見えないが、それでも分かる。ボズクルトが上手く指揮をしたから致命的な損害を避けられた。相変わらず頼りになる男だ。襲ってきたヤクブを物ともせず、気高く戦うボズクルトの姿が目に浮かぶ。


「ハリルさん、あそこ!」

 仲間が指差した方を見ると、遥か彼方に見覚えのない影の塊が見えた。騎兵の群れだろう。優に数百はいる。ヤクブが率いる本隊か。俺たちを窺うように高地に構えている。

「構うな、放っておけ。それより生きている者を探せ。立て直すのが先だ」


 作業は他に任せて、俺はいるのか定かではないヤクブに睨みを利かせた。今頃奴は腹を抱えて笑っているだろう。止めを刺しに来ないのは右往左往する俺たちを嘲笑うためか、それとも警戒しているだけか。後者なら正しい判断だ。ほんの僅かとはいえ、奴は少しだけ己の寿命を延ばす事に成功した。

「大体の人間が帰ってきました。ボズクルトさんのお蔭で大勢が無事のようです」

 どれだけそうしていたか。仲間にそう話しかけられて、俺はヤクブから視線を切った。気付けば火事も収まり夜になっている。


 眠っている暇はない。すぐに会議を開いた。

 皆の顔色は悪かった。元より牙の抜けている年配の長はともかく、若い長ですら多くが黙りこくって誰かが弱気な言葉を洩らすのを期待するような目をしている。

「抗戦か降伏か、逃亡あるいは援軍か」

 相変わらず冷静なのは、そう言って会議を回すボズクルトぐらいのものだ。耐え切れなくなった年配の長が逃亡を口にすると、堰を切ったように弱腰な意見が溢れ出す。血気盛んな若い長は勢いに押されて口をつぐみ、会議がどんどん淀んでいく。


「見つかりました!」

 その大声が響いた瞬間、俺は飛び上がった。これ以上くだらない会議に付き合うのは御免だ。長たちの声を無視してテントを走り出る。

「ヤクブが休んでいる野営地を発見しました。すぐにでも行動に移れます」

 斥候からの報告を受け、俺は頭の中で計算する。敵の戦力、こちらの戦力、襲撃の仕方、挙げられる戦果、何も問題はない。俺は無意識に笑っていた。


「行くのか?」

 後ろからボズクルトが話しかけてくる。俺はボズクルトを誘おうとして、視界の端に映る長たちの存在を思い出した。

「朝までには帰る。お前は残って適当に結論を伸ばせ」

「分かった。援軍はどうする、呼んでおくか?」

 ボズクルトが立場上そう言っているのは分かっていた。俺はボズクルトを見ながら、その向こうにいる長たちに告げる。

「誇り高き我らに、そんなものは必要ない」

 精鋭三十騎を連れて出陣した。


 到着は真夜中だった。所々で篝火が焚かれているが、テントが黒いのも相まって野営地は夜に沈んでいる。敵は最低でも三百騎いるのは斥候の情報で分かっていた。

 仲間たちに目配せする。これから言葉はいらない。馬の口を紐で結んで静かにさせ、限界まで野営地に近づいていく。頃合いで馬の口の紐を解き、俺は頭上に曲刀を掲げた。

 月明かりに刀身が鈍く光る。その光が宣戦布告の合図だ。一斉に馬の腹を蹴って走り出す。


 見張りが気付いて騒がしくなった。松明の明かりが揺れ動く。俺たちは真相を伝えようとする見張りを叩き斬り、野営地に雪崩れ込んだ。

 逃げ惑う奴を突き殺す。立ち向かう兵を斬り倒す。あちこちに火をかけて混乱を誘発し、立ち向かってくる兵を振り切って一点突破で走り抜ける。

 躰が熱かった。指先にまで熱が広がり、それでも爆発せんばかりに奥底から猛りが迸る。これこそが戦いだ。相手がなんであろうがどれほどいようが勇猛果敢に戦う。それこそが俺たちの戦いだ。


 ヤクブが見えた。テントから慌てて飛び出してくる。急いで着込んだような乱れた鎧姿に酒で酔ったような赤ら顔だ。戦場であってはならない醜態を晒している。

 暴君カラジャですら、最後には戦士として死んだ。それがこいつはどうだ。戦士なのは外見だけだ。カラジャは確かに醜かったが、ヤクブはそれ以下の薄汚れた卑怯者でしかない。カラジャは暴虐ではあったが圧倒的な力を持つ指導者だった。しかしヤクブは、この地に争いを持ち込んだだけの破壊者でしかない。


 その首を持って、弱腰の長たちに言ってやりたかった。お前たちはこの程度の奴に怯えていたんだぞ。邪悪さだけの小物に、お前たちは弱音を上げていたんだぞ。高々数人、数十人が殺された。それがどうした。百人、千人を殺し返せばいいだけだろう。

 それが戦いだろう。それが俺たち一族の誇りだろう。


 俺は曲刀を振り被り、ヤクブの首を撥ねた。なんとも軽い手応えだった。

 目的は達成した。俺たちは早々に撤退してテント群に帰った。まだ夜は明けていない。俺は延々と続いている会議に、ヤクブの首を投げ入れた。

「これで終わりだ」

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