第3話 休む暇なく

 俺たちは急いで自分たちのテント群に戻り、方々に至急の触れを出した。駿馬たちのお陰でその日の夕暮前には各地の長が到着し、中央にある俺のテントに集結する。


 交戦か降伏か、それとも逃亡か。俺に代わってボズクルトが話を回す。

「既に話がいっているように、ヤクブはイルハン国の後援を受けて攻めてきました。これは間違いなくイルハン国の侵攻であり、ヤクブはその先兵に過ぎません。とはいえ、イルハン国が本気ならヤクブたちを使うまでもない。今回は威力偵察の意味合いが強いと思われる点から、ヤクブを倒したからと言ってイルハン国の本隊が出てくるとは限らないでしょう。しかしイルハン国と事を構える可能性を考慮する必要はあります」


 俺は敢えて無言を貫いた。若い長が最初に口を開いて議論が進み始める。


「戦う以外にないだろう。皆聞いた筈だ、奴らの卑怯な手を。和解のふりをして攻めてくるなんてもってのほかだ。イルハンがどうかなんて知ったことじゃない。血に血を、仲間の報復をしないでどうする? ヤクブのクソッたれを血祭りにあげるべきだ」


「まあそう興奮するな。結論を出すには早い早い。降伏は論外にしても、場所を変えるぐらいは考えてもいいのではないか? 今でこそこの地に落ち着いているとはいえ、我らは元々さらに東の東に住んでいたわけだ。今更さらに西に流れたとして、何の不都合がある?」

「そうだな。攻められたのだって、何か誤解があったのかもしれないしな。戦うのはもう一度ヤクブとやらと話し合ってからでも遅くはないだろう」


「何を馬鹿なことを言ってるジジイども! お前たちは今の言葉を仲間の墓前で言えるのか?」

「全くだ! そもそもお前たちジジイどもがそんな態度だから、カラジャの専横を許したんじゃないのか? どうせその時も同じようなことを言って、自分たちが傷つくことだけを恐れて必死に逃げ惑っていたんだろう?」


「なんだと!? 我々が取り成していたからカラジャはあの程度で済んでいたのだ。お前たち若造が、あのカラジャの何を知る? お前たちがカラジャと関わったのは二十年にも満たないだろうが」

「お前たちはあの、悪逆の限りを尽くしたカラジャを知らないからそう言えるのだ。寝起きが悪いというだけで自分の赤子すら殺した男だぞ? お前たちが今生きているのだって、我々がどうにかこうにかカラジャの機嫌を取ってきたからだ。それを分かっているのか?」


「言ってろ。カラジャを止めた俺たちを、止められなかったジジイどもが一体どんな理由で止める?」

「カラジャの時と同じように、俺たちが成すことを指を咥えて眺めてるんだな」


 若者と年配の長で意見が分かれてきた。拮抗はしていない。父カラジャに反乱を起こして殺したのは、俺が率いる若者たちだ。その功績から若者の方が圧倒的に発言力を持っている。議論が進めば進むほど、若い長の勢いに押されて年配の長は黙るしかない。


「まあ、待て」

 そこで、俺は初めて声を発した。

「そう責めるな。全員が全員、自分たちにできる範囲でカラジャに立ち向かっていた。ただ、直接カラジャを殺したのは俺だった。それだけのことだ。そうだろう」


「まあ、それは……ハリルの言う通りだけどよ」

 若い長たちが押し黙る。年配の長たちは安堵したように息を吐いた。


「しかしだ」

 俺の意見は最初からはっきりしている。今まで黙っていたのは、この状況を待っていたからだ。

「仲間の仇は絶対に取らなくてはならない。それに今弱気な態度を見せれば、奴らは必ず付け上がって舐めた態度を取ってくる。そうなれば次に殺されるのは誰だ」

 俺は、年配の長たちの顔を順繰りに見つめた。俺はこいつらの味方をするつもりは毛頭ない。弱腰な奴らを炙り出し、直接圧力を掛ける為に今まで黙っていただけだ。

 年配の長たちが唾を飲む。何人かが耐え切れずに目を逸らす。


「とは言えハリル」

 不意に、ボズクルトが口を挟んできた。どこかで息を吐く音が聞こえる。

「想定外はいくらでもある。降伏や逃亡、あるいは援軍を頼むなり、様々なことを考えておくのは大切だ。これは弱気とは違う。率いる者としての責務だ」

 このままでは別の争いが起きかねない。そう考えて年配の長たちを助けに入ったか。


 ボズクルトの考えは理解できる。思えばたった数年とは言え、年配の長と若い長の間で争いが起こらなかったのは常にボズクルトが間に入っていたからだ。そうしなければ持っている力が違いすぎる両者の間で争いが生まれていた。それを防ぐために、ボズクルトは敢えて年配の長たちの意見を代弁するような発言を繰り返していた。

 だが、今回ばかりは間違っている。

 火種が生まれようとも構わない。カラジャの再来──ヤクブを殺す。その為なら多少の犠牲はやむを得ない。二度と、いや二度目はもう起こってしまった。これ以上ヤクブの暴虐を見過ごすわけにはいかない。

「それは違うぞ、ボズクルト。ヤクブは──」


 ──荒々しい足音が走り寄ってくる。

「大変です!」

 男がテントに飛び込んできた。

「ヤクブの襲撃です!」


「戦争だ!」

 いの一番に、俺はその言葉を口にした。テント内が慌ただしくなる。襲われたのが自分の身内だと知った長が怒りか動揺かわなわなと震えている。

「すぐに救援に向かうぞ! 今度こそ奴らの息の根を止める!」

 指の血管が痙攣していた。矢を求めて右手の指が疼いている。夕暮れ空に雲が垂れ込め、一足早く夜が来ようとしていた。

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