第4話 消失事件

 ざわめきが広がる。

 それは確かな熱量を持ったものに違いなかったが、決してライブの熱と同種のものではなかった。

 悲しみ、呆れ、そして怒り、様々な感情が渦巻く中で、何度目かのアナウンスが響く。


『ご来場の皆様、大変申し訳ないのですが、開演までもうしばらくお待ち下さい』


 既に開演時間から、一時間が経過してしまっている。しばらくとは、後どれくらいなのか、という愚痴が何処からか聞こえた。


「……NARUちゃん、どうしちゃったんだろうな」


 隣で、心配そうな顔で俯く泉に声をかけてみるが、「……だね」と空返事をするのみであった。

 ただの機材トラブルだとそう考える事もできなくはないが、それならばどうして一度もNARUちゃんの声を聞かせて貰えないのだろう。

 結局、NARUちゃんの声を一度も聞くことなく、『ご来場の皆様にお知らせです。本日の公演は中止とさせていただきます。楽しみにしていただいた皆様におかれましては……』と無機質にも聞こえるアナウンスでもって、終了となった。

 人の波にさらわれ、ライブ会場を出ると、外はすっかり暗くなっていた。


「……なんかごめんね、誘っといて」

「別に泉のせいじゃないだろ。それに、今日は楽しかったよ」


「……なあ、これ見たか?」「何?……うお、マジ?」「いや、ありえねーだろ」、すぐ横で、そんな風な会話が聞こえた。

 よくあるような会話、だけど妙に引っかかる。だから、きっとこんなにもはっきりと、その言葉が耳に届いたのだ。


「……NARUちゃん、消えたって……」


 消えた?それは、一体どういう意味だ?失踪……とはまた違うのか?様々な考えが浮かび、体が固まる。けれども、俺が本当に考えているのは、そんな事ではなかった。

 必死に蓋をしても、漏れ出てしまう思考。消えた……それは、もしかして超能力と何か関係しているのか?


「律、見て!」


 泉が息を切らして携帯を差し出す。そこには、真偽不明の投稿が一つ。


『NARUちゃんは消えた。ライブ直前まで控え室にいたのに、いつの間にかいなくなった。誰も見てないし、出入り口の監視カメラにも人の出入り自体が映ってない。正真正銘、急に存在が消えた』


 それは、まるであの日の夜の霞のようで。実在が、非実在に。理屈じゃ説明がつかない事象。


「全ての実在を信じなくては駄目」


 霞の言葉が浮かび上がる。消えたという実在。超能力の実在。そして……。


「……もしかして、これ世界滅亡とかいうやつじゃねーの」「人がどんどん消えていくとか」「やめろよ、馬鹿らしい」


 世界が間もなく終わるという実在。それらを俺は少しだけ信じ始めてしまっていた。

 月が雲の間から顔を覗かせ、泉が一瞬息を呑んだような気がした。


「……どうした、泉?あんまり、気にするなよ。こんな投稿は大抵嘘ばっかだ」

「……律は、さ。さっき、今日は楽しかった、って言ってたけど、何が一番楽しかったの?」


 月に照らされ、泉の哀しそうな表情がはっきりと見える。それで、俺は理解した、してしまった。もう物語は始まってしまったのだ、と。


「……ごめん、泉」


「そっか」と泉は深く息を吸い込み、一歩、二歩と、前に歩いて行ってしまう。俺は、それを黙って見送る。


「じゃあ、さ」


 泉が振り返って、笑う。今まで見たどんな表情よりも泉らしくない表情で、笑った。


「きっと、私たちを助けてね」


 月が再び雲に隠れ、暗闇に溶け込むように泉は、いなくなった。残されたのは、俺と、泉が大事そうに抱えていたNARUちゃんのグッズが入った袋。

 それを拾い上げ、のぞき込んで見れば、全てのグッズが二つずつ入っていた。

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