第2話 呼び出し


「律君、ちょっと良い?」


 その一言で、クラス中が水を打ったようになったかと思うと、すぐに昨日の土砂降りの大雨のような喧噪で満たされる。


「どうして、あいつなんかが……」「知り合いなの?意外すぎる……」「あいつ、なんかやったんじゃねーの」


 この騒ぎを生み出した当の本人はというと、まるで気にした様子も見せずに、ニコリと俺に微笑みかけると教室を出て行ってしまった。ついてこい、という事なのだろう。


「律、あんた何やったの?」

「俺も分からん……」


 席を立ちながら、泉の問いかけに答える。実際、昨日の夜から、彼女に関しては謎ばかりだ。


「告白だったらどうする?」

「そりゃ、私が悲しむ」


 俺の軽口に泉は笑って答えると、早く行けとばかりにシッシと手を振った。俺は黙ってそれに従った。


 教室を出ると、彼女は俺に一瞥もくれずに歩き出し、俺もまた、彼女と随分距離を離して、背を追うように歩き出す。

 誰もがすれ違う彼女を目で追いかけ、そして、誰も俺の事など目にも入らぬように通り過ぎていく。そんな、人、人、人で溢れかえっていた廊下も先に進めば進むほど、静かになっていき、遂には、俺と彼女だけがすれ違わぬように一定の距離を置いて歩いているのみとなった。

 チャイムが鳴る。授業の開始を告げる合図だが、彼女は気にした素振りもない。

 妙に間延びしたチャイムの音が、丁度終わったタイミングで彼女は立ち止まり、そして、ようやくこちらを振り返った。

 ニコリとした笑みを向けられ、俺の足も止まる。

 椅子と机だけが雑多に積まれた日も当たらぬ教室の前で、不自然な距離を空けて、俺と彼女は向かい合った。


「……授業始まってるけど、良いのか転校生」

「良いのよ、別に」


 開いた窓から、生徒の声が微かに届く。体育館か運動場で体育の授業でもしているのだろう。それは、あまりにも日常的で、不思議なほど別世界のように感じられる。


「……それと、霞」

「何?」

「霞って呼んで。転校生はおかしいでしょ。ほら、私たちはクラスメイトじゃない」


 霞、それは昨日の夜に教えて貰った名前そのままだ。当然なのだが、違和感を抱く。クラスメイトなどという、彼女には到底似つかわしくない言葉のせいなのだろうか。


「……じゃあ霞、一体何の用事で俺をここまで連れてきたんだ?」


 精一杯の強がりを隠すように、無理矢理、名前で呼ぶ。泉以外で、誰かを下の名前で呼ぶことは初めてだった。

 霞は、そんな俺の浅ましい葛藤など全て見透かしているというような態度で、勿体ぶるようにゆっくりと口を開いた。


「律君は、今どこまで知ってるの?」


 質問の意図が分からない俺は答えに詰まる。そんな俺を、霞はニコリと満足げな表情で見つめる。


「何も、知らないのね」

「それは一体、どういう事だ……」


 もしかして、昨日の夜の事と関係してるのか、と続く言葉を呑み込んだ。あれは、あまりに奇妙な体験で、自分の妄想でしかない、という考えがそうさせた。


「それじゃあ、少しだけあなたの物語を先に進めましょう。一つ、良い事を教えてあげる」


 霞が人差し指を立て、俺の方に一歩、二歩と近づいてくる。俺は、人差し指の先端から目を離す事ができず、それはそのまま俺の胸へと突き立てられた。


「この街には、超能力者がいる」


 ちょうのうりょくしゃ、聞き慣れない言葉で、意味を理解するのが一拍遅れてしまう。その隙に、霞は人差し指を俺の胸から離し、自分の口元に添える。


「誰にも言っては駄目。大切な秘密だから……と言えば、説得力は増すかしら?」


 それはあまりに電波な言動で、到底受け入れられないはずなのに、不思議な説得力があった。まるで、霞の人差し指から、俺の胸に直接、伝わってきたような奇妙な感覚だった。


「……実在しないだろ、そんなの。あくまでフィクションの世界だ」


 それでも、ほんのわずかに残った理性が、絞り出すかのように言葉を発する。


「実在、非実在……、それは信じるか信じないかの差でしかないの。見た事もない世界遺産の実在を信じ、見た事もない超能力者の非実在を疑わない。それでも構わないけど、律君は駄目。律君は、全ての実在を信じなくては駄目。でないと、物語がエンドロールを迎える事がないから」


 霞は、俺の横を通り過ぎ、今度は煙のように消える事なく、確かな足取りで廊下の奥へと去って行った。


「超能力者、か」


 呟いた言葉は頼りなく無人の廊下を揺蕩い、そのまま非日常感に溶けて消えていった。

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