転校してきた超がつくほどの美人が俺にだけ電波な件

憂木 秋平

第1話 転校生がやってきた

 ある日、SNSでこんな投稿を見かけた。


『このネットの向こうに、本当に人間っているの?』


 同じ日に、掲示板でこんなスレッドが立っているのを見かけた。


『俺が話してるお前らの正体について』


 その日の夜、突然、あまりに綺麗で、圧倒的であるが故に恐怖さえ感じてしまう一筋の彗星が空を駆け、俺たちの街に落ちた様に見えた。

 そして、次の日、俺たちのクラスに初めての転校生がやって来た。

 そんな少しだけ変わった、よくある日。



「律は、転校生んとこ行かないのー?」


 昼休み、パンをもしゃもしゃと頬張りながら、馴染みの隣人がどうでも良さそうな調子で尋ねてくる。

 だから俺も、こいつは毎日同じパンばかり食べていて飽きないのだろうか、とどうでも良い事を考えながら適当に返した。


「泉こそ行かないのか?」

「んー、私はパス。あの人混みの中を割って入ってく勇気ないから」


 泉の言う通り、転校生の周りには、これでもかと言わんばかりに人が押し寄せている。よく見れば、クラスで普段見かけない奴らさえいる。

 人垣の間から、微かに件の転校生の姿が見え、一息ついてしまう。

 とは言え、あれほどの美貌ならば、この話題性も納得してしまうな、と。スラリと伸びた綺麗な手足に利発そうな、それでいて愛嬌さえ感じる不思議な顔。消えてしまいそうな程の白色でありながら、確かな存在感を周囲に植え付ける矛盾を内包している。

 ふと、そんな彼女と目が合ったような気がした。

 人混みの間から、確かに俺の方を見て、ニコリと口の端を綺麗に吊り上げた。あまりにも綺麗で、俺は昨日見た彗星を思い出してしまう。


「なあ泉、その話題の転校生が、俺に向かって笑いかけてきたぞ」

「……はいはい、いつもの妄想ね。こんな物語の種を律がほっとく訳ないと思ってたけど、そういう方向性でいくんだ、今回は」


 泉は呆れたような顔で転校生の方を見て、そのままパンの残りを一息に呑み込んだ。


「馬鹿、今回は本当だって……」


 泉につられるように転校生の方を見てみれば、転校生は何事もなかったかのように、周囲との会話に戻っている。耳に届く、雑多な会話が先程までの感覚を埋没させ、俺はその先の言葉を呑み込んだ。


「まあ、でも律のいつも言ってる物語性、今回は私も良く分かるなー。あんだけの美人に、転校生っていうステータス。本当に実在するんだねー、こんなの」

「実在、ね」


 何気ない泉の言葉に、昨日見かけた一連の投稿が頭をよぎり、つい呟いてしまう。


「何、意味深に呟いてんの。もしかして、妄想タイム?」

「違う。ただ何となく実在って何なのかって思っただけだ。泉は、実在するってどういう事だと思う?」


 泉は、虚を突かれたようなキョトンとした顔を俺に向け、そのまま口を開いた。


「……そりゃ、目に見えるもの、とかじゃないの?」

「じゃあ、逆に目に見えないものは実在しないのか?……例えば、泉の好きなアイドルのNARUちゃんみたいに」

「NARUちゃんは実在するに決まってるでしょ。確かに顔は分からないけど、私は何回もライブに行ってるんだから」


 泉は、少しムッとした調子で返し、そのままそっぽを向いて、携帯を触ってしまった。俺も、実在について、少しも自分なりの答えなど持っていないため、この会話を続ける気にもなれず、窓の外に目をやった。


「……律も三日後、NARUちゃんのライブに行くんだから、そこで確認しなよ、NARUちゃんの凄さを」

「……楽しみにしてるよ」


 泉のぶっきらぼうな言葉に俺が返すと同時に、昼休み終了のチャイムが鳴り響き、クラスの喧噪が波を引くように静まっていった。

 先生がやって来て、授業を始める合図をする。

 教科書を出し、窓の外から黒板の方に向き直ると、背筋を伸ばした転校生の姿が目に入った。

 実在少女と物語の世界、か。

アンバランスな思いを胸に抱き、いつもの妄想でも始めようと、目を閉じる。

 そう言えば、転校生は何ていう名前だったろうか。


 今日一日の授業を締めくくるチャイムの音が鳴り、昼休みの焼き直しのような世界が眼前に広がる。

 転校生を取り囲む人々、遠巻きで転校生の話題に花を咲かす人、昨日の彗星について、それに伴う終末思想、と昨日今日で話題に欠くことはない。それ故に、放課後の教室に残る人も多く、俺はそれを溜息交じりに見つめるしかなかった。


「あれ、律は帰らないの?」


 早々に荷物をまとめた泉が物珍しそうな目でこちらを見る。いつも、誰よりも早くに教室を出て行くのに、とでも言いたげだ。


「……担任と、二者面談だ。なんか知らんが、今日の七時からなんだよ」

「あ、そう。お疲れー」


 泉は興味なさげな言葉だけを残し、混沌に満ちた教室を一足早くに脱出する。俺はそれを恨みがましい目で見送った後、再び諦観の念で教室を見つめる。

 せめて、もっと静かならなー、と。

 そんな念が通じたのか、クラスで最大勢力を誇っていた転校生一団が、荷物をまとめて、教室を出て行くところであった。

 去り際に、転校生が再びこちらの方を見つめて、ニコリと口の端を綺麗に吊り上げた、そんなような気がした。

 俺は再び目を閉じて、物語の世界に身を置く。

 彗星、転校生、NARUちゃん……、泡沫のように浮かんでは消えてを繰り返す非実在の世界。次第に実在の世界が遠ざかっていき、俺は少しだけ安心した。


 二者面談が終わり、慣れない夜の学校を一人歩く。真っ暗で、静かな世界ではスリッパのパカパカという調子外れな音が妙に響く気がして、ここが学校だという事を忘れてしまいそうになる。

 パカパカ、パカパカ……一定のリズムを刻むスリッパの音が不安になり、あえて歩調を変えてみる。パカッ、パカパカ、パカカッ……気がつけば耳に残っていたNARUちゃんの曲に似たようなリズムを刻んでいる。


『こんな深い夜には心落ち着かせるための一曲を、最初のナンバーはNARUちゃんの……』


 頭の中で陽気なラジオDJが囃し立て、流れ出す音楽に身を任せるように歩調を速める。

 途端、一陣の風が体に吹き付け、草木の揺れる音がした。

 ブツッ、ツー……とラジオは止まり、視線を上げると、そこには満月が浮かんでいた。

 気がつけば中庭を横切る道を歩いていたのだ。

 ラジオが止まったから、歩くのを止めたのか、あるいは歩くのを止めたから、ラジオが止まったのか、恐らくそれは後者に違いない。

 なぜなら、俺は迫り来る程に綺麗な満月よりも、それに目を奪われて仕方がなかったからだ。


「こんばんは、今夜は綺麗な満月ね」


 そこには、あの転校生がいつものニコリという微笑を浮かべて立っていた。


「な、……」


 上手く声が出ない。心臓が脈打ち、頭がズキズキと痛むような気さえする。

 どうして、彼女がここにいるのか?……それは、おかしなことじゃない。彼女もこの学校の一員だ。転校初日に校内を見て回るのは不思議じゃない。周囲に誰もいないのは?……それも、彼女が煩わしいと感じていたなら、何ら不思議じゃない。

 それならば、どうしてこんなにも違和感を抱いて仕方がないのか。


「あなたはきっと、この物語の主人公になる」


 彼女が月明かりの下で、ゆっくりと、コマ送りのように語る。

 口は開けない、目も離せない。劇の観客が何もできないように、俺はただ側で見ていることしかできない。


「彗星も、ライブも、そしてこの先に起こることも、全ては実在して、あなたを取り巻いている」


 ふと、辺りが暗くなった。雲が月を覆い隠してしまったのだ。


「信じられることも、信じられないことも、確かに実在してそこにある。……あなたは、その全てを信じられる?」


 ポツポツと、冷たい滴が頬に当たる。


「あなたは、私の事を信じられる?」


 ニコリと笑うと、彼女は俺から目を離し、そのまま背を向けて歩き出す。


「待っ……」


 雨が強くなり、うるさいくらいの雨音が俺の言葉をかき消してしまったように感じられて、俺はぬかるんだ地面に、一歩踏み出した。


「あのさ、」


 今度は言葉が届いたのか、彼女は立ち止まった。振り返らない、言葉も返さない。そんな背中に俺は問いかけた。


「名前、何て言うんだっけ?」


 降り注ぐ雨が、水たまりを作るくらいの間を空けて、彼女はやっぱり、ゆっくりと答えた。


「霞、そう呼んで」


 それだけを残して、霞は豪雨にかき消されてしまったかのように俺の目の前から消えた。中庭には、俺と、雨音と、再び頭の中を流れ出したラジオの音だけが残った。


『……次は雨の夜のしんみりとした気持ちに寄り添う一曲、NARUちゃんの……』


 俺は再び歩き出す。

 実在少女が、非実在のように消えてしまった事を考えながら。彼女の言っていた事を咀嚼しながら、雨音とスリッパでNARUちゃんの曲を刻みながら歩く。

 雨でよく見えない道を、傘をさすこともなく。

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