第四話

 


 なんとかギリギリで遅刻は免れた。


 サンタは今日、学校を休んでいるらしい。正直なところ、少しだけ肩の力が抜けた気がした。でも、彼がいようといまいと、僕の抱えている問題がなくなるわけじゃない。


 授業なんて頭に入るはずもなかった。自分のことで心がいっぱいで、教室の景色も、先生の声も、どこか遠くに感じられる。


 1人で悩んでても仕方ない、なんて誰かに言われるかもしれない。それでも、このことをすべてさらけ出して相談できる相手なんていない。これは僕の問題だ。僕自身で解決しなきゃならない。


「ケンジ君、放課後スタバ行かない?」


 ぼんやりしていた頭を現実に引き戻され、前を見る。


 「悪いけど、そんな時間はないんだ」

 「でも、1人で抱え込むよりマシじゃない?」


 その一言に、心の中で固く閉ざしかけていた扉が少しだけ揺れた。

 相談できる相手、案外近くにいたのかもしれない。


「私はぁ、ラテのトールお願いします。ケンジくんは?」

「僕も同じので」


 オシャレなカフェなんて滅多に来ることがない。メニューを眺めても何が美味しいのか、さっぱり分からない。

 迷っていると、隣のアカリがすっとカウンターに向かい、慣れた様子で注文を済ませていた。どうやら彼女はこういう場所に馴染みがあるらしい。注文は全部任せてしまった。


「で、私のラブレター、見たでしょ」


 ……返答に困る。


「……見たよ。というか他の子からのも沢山あって驚いた」

「そ。まぁ、悩み事は別みたいだから、とりあえずは置いとくけど」


 置いとくってことは、後で聞くってことかぁ。本当に困る。


「で、一体何を悩んでるの?このアカリちゃんが聞いてあげようじゃぁないか」

「……なあ、アカリ」

「なんだい」


 自分の中にあるモヤモヤを、言語化する。サンタとユリの気持ちがわからない。サンタとユリは恋人だけど、恋人じゃなかった。サンタは怒った。理由もよくわからない。ユリがラブレターを盗んでた理由もわからない。僕に沢山ラブレターを書いたのに、一つも渡してない理由がわからない。そんな僕が、わからない。


 これらを要約すれば。


「……愛って、なんだろう」

「……おぉ。随分とテーマがすごいね」


 自分でも、この問いがいかにも思春期すぎると思う。同級生の女の子に投げかけるには、あまりにも重いし場違いな質問だ。そもそも、どうしてこんな結論になったのか、自分でもよく分からない。

 それでも、この疑問を口にせずにはいられなかった。


「いや、わかる訳ないでしょ」

「ですよね」


 やっぱり難しい問題だ。


「……けど」

「けど?」

「私が思う愛っていうのはあるよ」

「……それは?」


 少し間を置いて、彼女は答えた。



「人を、どれだけ大事に思ってるかってこと。それ以外ない。」



 あまりにも直球で、でも本質の一端を捉えている言葉だった。


「……じゃあ、それってどうやったらわかるの?」

「それぐらい自分で探しなよ」

「ごもっとも」

「私の基準はあるよ。教えてあげよっか?」


 え、まじであるの?この子本当に凄いな。なんでも分かっちゃうじゃん。


「……いいの?なんでそんなに親切にしてくれるのさ」

「そりゃ私君のこと推してるからね」

「は?」

「いやね、最初は一目惚れみたいな感じで、ラブレターも書いてたんだけど、なんか時間が経つにつれて、これ恋じゃないなって思ったんだよね。なんていうか、そう。アイドルを見てる感覚」


 僕は、いつの間にかアイドルになっていたらしい。


「へ、へぇ。それはありがとう」

「どういたしまして。じゃあ基準を教えるね」

「お願いします!」


 これさえ分かれば多分今の問題は解決する。僕は耳に神経を集中させた。


「名前を、漢字で呼ぶか、カタカナで呼ぶか。傷つけたくない人、つまり大事な人は漢字で呼ぶし、お互いのことがそこそこよく分かってる友達だったら、カタカナで呼ぶの」


 ほう。そんな判断基準があったとは。でも、一つ欠点がある。


「でも、会話は目には見えないよ」

「わかるものなの。くん」


 うーん、ちょっと分かる気もしなくもない。なんとなく分かる程度だ。


「本当にありがとう。参考になったよ」

「いいのいいの。推しに貢げるのはファンの幸せなんだから。さ、コーヒー冷めちゃうよ。飲んじゃおう」


 試してみよう。


「ああ、


 アカリが目を丸くして、顔が赤くなって、そっぽを向いて、ボソッと言った。


「……その顔でそう言うこと言うから、モテるんだよ」


 僕にはわからないけど、アカリにはちゃんと分かるらしい。効果はてきめんだった。



 スタバから帰っているといきなり肩を掴まれた。サンタだ。


「……サンタ、どうしたんだ」

「俺、ユリと別れたから」

「は?」

「賢治、行ってこいよ。どうせ今から百合のとこ行くんだろ?じゃあ俺は帰る」

「お、おい、ちょ、待て……」


 サンタを制止しようとしたが、できなかった。顔は晴れやかなのに、頬に一筋の涙の跡があった。彼は嘘を言ってない。直感でそうわかったからだ。


 ……僕は、行かなきゃならない。


 僕は、まだ彼女が引きこもった理由を知らない。けれど、行かなければならない。


 百合の家の扉は開きっぱなしだった。そのまま百合の部屋に行く。トントンと音を立てながら階段を上がる。部屋の扉も開いていた。部屋に入る。


「百合」


 彼女がゆっくりとこちらに振り向いた。あんなに綺麗だった瞳が赤くなっている。


「けん、じ?」


 こちらに近づいてきて、僕の足にしがみつく。目線を合わせるために僕はしゃがむ。


「けんじ」


 ひらがな、だろうか。けれどなんとなく分かる。


「ゆり」


 息を吸い込む。


「好きだ。だから僕とゆりはまだ付き合えない」


 彼女は驚き、僕の方を見て、泣き腫らした顔で少し笑った。


「さっき、何があったの?」





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