第三話
「……いや、ボクは……
……どういう、ことだ。理解が追いつかない。思わず目を見開いてしまう。周りの音が一瞬にして消え、目の前が真っ白になる感覚がした。
「なあ。今から、ユリの家行こう」
彼は返事をする隙すらくれずに、走り出した。
「え、ちょ、おい待て、待てってば!」
走って走って、永遠にも思えた道を走った。僕は運動が得意だ。50m走は学年で一番早かったはずだ。それなのに、今のサンタには追いつけない。何が彼をそうさせているのかはわからない。分からないからこそ、より一層心配になる。いつも僕の後ろにいたはずの彼が、今は前を走っている。
突然のことが多すぎて、戸惑っているのか?涙が出てくる。僕は僕のことすら分からない。
やっとユリの家に辿り着いた。
サンタはインターホンを押した。応答は……ない。
もう一度押す。……またない。
押す。押す。押す。押す。ない。ない。ない。ない。
「サンタ?何、やってるんだ?」
彼に僕の言葉は届かない。また、押す。ピンポン、と言う音がやけに空虚に聞こえた。インターホンから、ユリの母の声が聞こえた。
「また君?もうやめてくれないかな?毎日毎日、正直言って迷惑なのよ」
「で、でも……」
「でもじゃない。わかったら帰りな」
通話が途絶える。その場で彼は膝をつき、天を仰いだ。目からハイライトが消えていた。
「サンタ?」
声は、届かない。さっきと同じ。彼の目から出た水が、コンクリートの地面を湿らせる。僕は彼の肩を揺さぶって、叫ぶ。
「おい、
絞り出したような声が聞こえる。
「ボクは……ボクは、中一の時に百合に告白したんだ」
「それはもう聞いた。それでどうしたんだ」
「それで、オッケーしてもらって、ボクと百合は恋人になったんだ」
彼が視線を下げる。
「付き合った、はずなんだ。けど、キスはしたことない。デートだって一回も行ったことない。恋人らしいことなんて一度もしてない!!」
「おいお前、落ち着……」
「これでどう落ち着けって言うんだよ、ボクは百合がわからないよ!!」
「わかるわきゃねえだろ、黙れよサンタ」
サンタは悲壮感を漂わせ、こちらを見つめてくる。違う、僕はこう言うことを言いたかったわけじゃない。それでも僕の口は留まるところを知らない。
「ユリの考えてることもわかんねぇし、お前の考えてることもわかんねぇよ!わかりたいけど、多分無理。だから今から考えんだろ!今喚いたって意味ねぇだろうが!」
「…るさい」
沈黙が場を一瞬だけ支配する。
「うるさいんだよ!その正論かましてくるところが、大ッ嫌いだ!ボクだって、君みたいに、強くなりたかった。でもなれなかった」
どういうことだ。
「誰もが、君みたいになれると思わないでよ」
やけに、刺さる言葉だ。僕は別に強くない。サンタが言ったような人間じゃない。それなのに、胸が針で刺されたかのように、痛い。
もう彼の顔は鼻水と涙でぐちゃぐちゃだ。僕も声がでない。サンタはまた僕の前を走っていって、僕の視界から消えた。待てよ、なんて言えなかった。
どこかで間違えたのだろうか。いや、間違えたのだろう。そうでなければ、僕らはこんなふうにならなかった。
僕は、そんなに強くない。強かったらこんなことで悩んでないし、強さはいつだって欲しいし、他人の気持ちなんて分からないし、もっと綺麗に解決したいし、頼まれたことはやり遂げたいし、百合のことは気になるし、三多のことはずっと心配だし、でもまだ怒ってるし、怒ってないし、分からないことばっかりで困ってしまうし…………
違う違う。今の僕が考えないといけないのは、これじゃない。考えがまとまってないうちは、そっとしておいた方がいい。
家に帰っても、何故か手紙を確認する気は起きなかった。サンタと喧嘩したせいだろうか。これも分からない。今日はもう寝よう。
◇
「僕たち、ずっと友達だよね」
通う場所が小学校から中学校に変わるだけ。それなのに、僕らは漠然とした不安感に怯えていた。
「私は……わかんないや」
「……ボクはどっちでも」
ユリとサンタはそう言った。
「でも私は、けんじと一緒がいい」
ユリが僕を見ながら言った。サンタも少し静止した後、頷いた。
「ボクも……いや、俺も行きたい」
僕とユリは思わず吹き出した。
「サンタ、今俺って言った?似合わねー」
「ボクの方が絶対似合ってるよ」
サンタはユリの方をチラリと見て、頬を膨らませた。
「じゃあ、僕たちこれからも友達だ」
「俺はいいよ。これからも一緒に遊ぼ」
「私は……」
ユリ?どうしたの、黙っちゃって、ねえ。ユリ、百合!
◇
「ハッ!」
目を覚ました。さっきまで見ていたのは、小学校の卒業式の夢だろうか。どうにも嫌な気分で、目覚めが悪い。
時計に目をやる。
――午前8時15分。
「うわ、やばい!寝坊した!」
飛び起きて慌てて準備を整え、急いで家を飛び出した。
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