魅入られた男

 もう一人の伊良玲司が冷笑を浮かべていた。


「手遅れのようだな。お前はゲニウスに魅入られている」

「構わないさ。みんなに試作の料理を食べてもらって、屋台で世界を回る旅もいいんじゃないか。気が向いたらノワール地方へ襲撃しにいけばいい」


 事実、美味しそうに彼の料理を楽しむあの二人の女性といて楽しかった。ジーンを殺しておいたのち、楽しむという感情を味わった罪悪感がある。

 やるべきことは他にある。他の女性に気を向けることなど許されない。


「屋台の行商で喰っていくにも金はいる。お前にとってあれは趣味だ。危険な裏家業ナイトホーカーをしてまでやる価値はあるのか?」

「ゲニウスたちが喜んでくれたじゃないか。もっと多くの人に料理を楽しんでもらえるだろうさ。いないならゲニウス専でもいいが。料理を作って美味しく食べてくれる。十分だ」

「まったく料理に釣られるとはな。超越知能ってなんだろうな」

「お前が言うな」


 隻翼が呆れる。

 伊良玲司の疑問は本物だったからだ。


「ヴァレンティア軍はウリエルスフィア。ルテース軍はミカエルスフィアだ。四大EL勢力のうち二つを敵に回すことになる。長く辛い戦いになるかもしれないし、ムダに終わる可能性が高い。それでも戦うか」

「戦う」


 隻翼は断言した。


「その旅の果てには他の超越知能がいるぞ」

「そこまでいけたら褒めてくれ」


 スフィアの属する人間とその軍隊が相手ならやりようもあるだろう。

 超越知能がでてきた場合、どうなるか。それは隻翼にもわからない。おそらく死ぬだけだ。


「やる気はあるようだな。お前の無力感はどこからきている?」

「俺がいた居住船はEL勢力によって破壊された。復讐する力もない俺は流れの傭兵になった。これが無力感の根幹だ」

「無謀に戦うことだけが正義ではない。お前は冷静な判断をした」

「それでもだ。ジーンの件は、奥底に眠っていた奴らへの忌避感を覚醒させてくれた。力があればいいと願った。お前がそうなのか?」

「残念ながら俺はそんな存在ではないな」

「そうか。仕方ない」


 隻翼はさほど残念がるそぶりは見せなかった。


「いけるところまでいってみろ。俺はお前の守護霊ゲニウスではないが、お前自身の才能ジーニアスを擬人化したもの。つまりお前はどこまでも独りだ」

「それでいい」

「お前がやがて目覚めるであろう才覚を早めに引き出すことになる程度だ。早めに引き出した分、才覚を使う時間が増える。訓練する猶予期間だ。うまく使いこなせ」

「十分だ」

「お前は無力感を怒りと復讐心に変えて戦っている。心の奥底にその二つがある限り、俺がお前の才覚ジーニアスだ」

「長い付き合いになりそうだ」


 隻翼はふっと笑みをこぼす。

 心の奥底からこみ上げる怒りが消えることはあるのだろうか。


「最後に何か質問はあるか? 俺が聞いてばかりだからな。答えられる範囲で答えよう」


 隻翼はしばし無言になり、言葉にした。


「あんたはどんなゲニウスなんだ? 俺のジーニアスとやらを擬人化させた超越知能の名を知りたい」

「俺か?」


 薄く笑う伊良玲司に寒気がする。

 禁忌の一つかもしれないと直感した。


(こいつが魔王か?)


 一瞬疑念がよぎるが、そんなことはないだろうと即座に否定する。

 テュール以上の北欧神などはオーディンかトールしかいないだろう。


「誰が魔王だ。自己評価が高いのか、それとも悪霊の王に目を付けられるぐらいに業が深いと自覚しているのか」


 男が嗤った。自分だけあって心を読まれている。


「後者だ」

「俺はお前だといったぞ」

「俺を気にするゲニウスなんてろくな逸話がなさそうだ」

「正解だ。お前を気にしたゲニウスが模した神にはろくな逸話がない。――そうだな。一つ祈りを教えてやる」

「祈り?」

「祈ったことがないだろう?」

「ああ」


 祈りとはもっとも自分とは無縁なものだと思っていた。


「地球の歴史さ。神を信じていなかった男が発した言葉を改変したものだ。誰でもない、お前が俺を必要な時に祈るときに使うがいい。――だ」


 とても奇妙な祈りの言葉を伊良玲司が口にした。

 意味は不明だが不思議と心に残る言葉だった。


「お前が俺を受け入れるならホークのコックピットで呼びかけるがいい。俺の名は――」


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 隻翼の目が覚めた。火星時間で朝六時。火星の一日は24.5時間だ。


「夢とは思えなかったが……」


 独り言を呟き、起きる。

 朝食を作るためだ。


「おはようさん。もう少し休んでいてもいいぞ」


 リビングらしき部屋にはドヴァリンとドゥリンがいる。


「朝飯を作ろうと思ってな。ドヴァリンたちもどうだ」

「実を言うとな。待っていた」


 にやりと笑う二人。


「昨日の三人は眠ったままかな」

「テュール様が生体状態になることは非常に珍しい。女性陣もおそらく眠ったままだよ」

「そうか。三人分でいいな」


 そこに小柄な人影が飛び込んできた。エイルだ。


「おはようございまーす! 二人追加で」

「誰が眠ったままですか」


 すぐにロズルもやってきた。


「なんで起きてくるんだ……」


 ドヴァリンは呆れている。てっきり寝ていると思い込んでいた。


「お前たち、眠っていたほうが負担は少ないだろ。無理はするな」


 心配そうにするドゥリンにエイルは笑いかける。

 隻翼の目からはとくに具合が悪そうなところがあるとは思えなかった。

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