第11話 どうしてオレがこんな目に(★)

※今回はクリスティアン(ガスパールの護衛・大人ベルの死因)視点になります


「んがっ――ゴハッ、ぶっへっ! ぷぇっ……ふぅー、ほぁー、ふぅー……」


 息が詰まる感覚で半身を起こし、のどの奥から込み上げる何かを吐き出す。

 受け止めた手のひらに、黒ずんだ血のかたまりがネットリと貼り付く。

 何だこれは、ここはドコで、一体オレに何が起きたんだ――

 しばらく続いた混乱は、腹と顔の痛みを認識すると同時に収まった。

 下半分がしびれた顔をでれば、またベットリと血がついてくる。


「うぅ、ぐっ……ぬぁ、あ」


 首まで垂れたのをぬぐっても、鼻血は際限なくき出してくる。

 鼻が折れているっぽい――アチコチ痛くて、自分の状態がわからない。


 ズズッ――ぷぅー、ズビッ――ぷぅー、ズズッ――


 あふれる鼻血で息がしづらくて、口呼吸に切り替える。

 しかし、口内もズタズタになっているようで、止まらない血涎ちよだれむせるハメに。

 生臭さと鉄錆てつさびの味が、どんどん濃くなっていく。

 どうしてこんな、どうしてオレがこんな目に――


 ぐぷっ、かっふ! ケッ、ケヒッ! おぇ……ぶっ


 硬いものを飲み込みかけた感じがして、咳込せきこんで吐き出す。

 ねばついた血溜ちだまりの中に、白っぽい破片がいくつも混ざっていた。


ごるぇあこれは……ばはきゃまさか……」


 聞いたことないような、かすれた声が出た。

 ふるえる指を口の中に入れてさぐってみれば、壊滅的なガタガタさになった歯並びと、アチコチ裂けた唇の感触が。

 アイツが、オレを蹴っ飛ばして――いや、そんな馬鹿な。

 あのクソつまらない、ガスパールの付属品でしかないお飾り女ベレンガリアが、このオレを散々コケにした挙句に圧勝するなんて、あっていいハズないだろ!


「……やっと目が覚めたか」


 男の声にハッと顔を上げれば、見慣れた髭面ひげづらの大男がそこにいた。

 学園で戦術の授業を担当する講師で、剣術師範しはんでもあるマティアス・バルハウス。

 常に無表情なオッサンなのに、今日は明確な軽蔑けいべつ眼差まなざしでオレを見てくる。

 たかが騎士の分際ぶんざいで、子爵家の一員であるオレをとうとぶ気がまるでない、いかにも不遜ふそんな態度だ。


「ゴフッ、ブフッ! ……何の、用だ」(実際のクリスの発言は息も絶え絶えな状態ですが、読むのが面倒になるから大部分修正してあります)

「いらん騒動の後始末だ。まったく、余計な仕事を増やしてくれる」

「オレらじゃねえ。全部、ベル――ベレンガリアの仕業だ」

「ほう……となると目撃者の証言は、まさかと思う内容だが正しかったか」


 言いながら、バルハウスの表情が更にシラケたものに転じる。

 目撃者の証言って何なんだよ、と確かめるために問い返す。


「どういう、ことだ?」

「どうもこうも、自分が一番よくわかってるんじゃないのか、クリスティアン。婚約者のベレンガリアに浮気を見咎みとがめられたガスパールが、婚約破棄を宣言して浮気相手とまとめてブチのめされたのだろう? そしてお前らガスパールの護衛も、ベレンガリアとそのメイドに一瞬で蹴散けちらされたそうじゃないか」


 どこか楽し気な口ぶりの相手を怒鳴りつけたくなるが、今は大声を出せそうもない状態なので我慢するしかない。

 無言でうなっていると、態度にあきれをにじませてバルハウスが言う。


「しかも、寸鉄すんてつびぬベレンガリア相手に、抜剣ばっけんして斬りかかったそうだな」

「うっ……そ、それはっ! アイツがガスパール様を害そうと――」

「ならば、何故に斬らなかった! 刃引はびきしてあっても、十分な殺傷能力は残っているだろう。まぁ、あれでは単なるガラクタだが」


 バルハウスが、中ほどで折り曲げられ地面に転がるサーベルを指差す。

 そして歯噛はがみしているオレに、髭面を寄せながら告げてくる。


「王族の護衛、という名目で武装を許可されたのに、素手の令嬢に惨敗するとは何たるザマだ。授業で何を学んできたのだ、愚か者! 更には、護衛の身でありながら、主人の安否すら確かめようとしないとは、どこまで腑抜ふぬけた心構えかっ!」

「うぃひっ――」


 ガーッとまくてるように怒鳴りつけられ、つい変な声が出てしまう。

 こちらの屈辱を掘り返す必要ないだろうに、何でワザワザ強調してくる?

 オレがガスパールを最優先してるのは、言うまでもない当然のことだろう。

 なのに王族を軽んじてると思えるのは、自分が軽んじてるからじゃないのか。

 もしかして、下級貴族にも蔓延まんえんしてるって噂の、反王政の共和主義かぶれなんじゃ――

 

「ガスパールは脳震盪のうしんとうを起こしていたが、既に意識を回復して今は医務室だ。マルガレーテはショック状態で話もできないが、歯が数本折れて舌が傷ついてる程度でコチラも軽傷だな」

「アイツは……ベレンガリアは、逮捕したんだろうな!?」

「馬鹿なのか、クリスティアン。目撃者が多数いる中での痴話喧嘩、しかもガスパールやお前の落ち度が明白で、当人は逃げる様子もないのに逮捕できるか。大体、相手はメービウス侯爵の娘だぞ」

「なっ……」


 遠慮えんりょのなさすぎる物言いに鼻白はなじろむが、考えてみればその通りでもある。

 とはいえ、ガスパールも今回で完全にベレンガリアに愛想を尽かしたハズ。

 だからアイツを罰するように強く言えば、牢獄ろうごく送りには出来ないまでも侯爵家から結構な賠償金ばいしょうきんは取れるに違いない。

 これ以上の勘違いを防ぐためにも、この件ではベルに現実の厳しさってモンを味わってもらわんとな――




                ※※※※※※




「こぉの……大馬鹿者がぁっ!」

「ぶべらっ!」


 ベレンガリアの起こした暴力事件は、何故か喧嘩両成敗けんかりょうせいばい的な推移を辿たどり、オレもアイツも出席禁止の謹慎きんしんとなった。

 ベルが十日なのに俺は無期限で、一方的に殴られただけのマルガレーテは一月ひとつき、という処分内容の違いは納得いかないが、実家の力の差だとあきらめようとしていた。

 なのに、その実家に戻るやいなや父親から全力でビンタされる、ってのは一体どういうワケなんだ。

 困惑しながら問おうとすれば、かさずもう一発ビンタが飛んでくる。


「ぷぉっ――何なんですか、父上っ!?」

「それはコッチの台詞だっ! 何ということをしてくれたのだ、貴様はぁっ!」


 つば飛沫しぶきを散らしながら怒鳴りまくる父が、今度は拳骨げんこつで殴りかかって来る。

 一週間の入院でやっと鼻と歯の仮治療が終わったのに、これではまた逆戻りだ。

 なので振り回される腕を掴みながら、いきり立つ父親が落ち着くのを待つ。

 

「ハァ、ハァ、ハァ……クリスティアン、愚かな貴様の軽挙けいきょが原因で、我がネルディング家は危うく取り潰しになるところだ!」

「何を大袈裟おおげさな。ガスパール様の勘気かんきなど、いつもと同じようにすぐに解けますよ。もしかすると、既に許されているやも――」

「それはない……もうそれはないのだっ、クリス! ガスパール様の父君、王弟エンラント大公の署名入りの手紙で、護衛の任を解くとのたっしだっ!」


 何を言われているのか、咄嗟とっさにはわからなかった。

 数秒かけて意味を把握はあくしたと同時に、ドッと脂汗あぶらあせが噴き出す。

 ガスパールが、オレを……十年を共に過ごした、このオレをクビにする?

 そんなワケがない、そんな事態が起こるワケないだろう。


「オレがクビなど……何かの間違いでは?」

「あの日の貴様の行動は、それほどの怒りを買ったのだ! メービウス候からも、公式の告発こそ免れたが厳重な抗議が来ておる! これで子々しし孫々そんそん、侯爵家への従属が決まったも同然よ」

「何もそんな……学内での抜剣はまずかったかもですが、相手はベルですよ?」

「だからだっ、この馬鹿タレがぁっ!」

「んぼぅいっ!」


 掴んでいた手を引き抜いた父が、顔を真っ赤にして拳を突き出してくる。

 急な動きに対処できず、正面からモロに食らってしまった。

 威力はそこまででもないハズだが、治療中の鼻骨びこつが追加ダメージを受けて、両の穴からは濃赤色のうせきしょくが流れ出す。


「貴様はあの娘と長い付き合いかもしれんがな、世間的には王族の婚約者として知られている侯爵令嬢に、子爵家の次男坊でしかない小童こわっぱが刃を向けた重大事案なのだ! その首が物理的に飛ばないだけ感謝せい、この大たわけめがっ!」

「ぱぁうっ!」


 腰に下げた剣をさやごと抜いて、それで首を打ってくる父。

 荒ぶった一撃を予想できず、首が折れるかと思う程の衝撃を受けることに。

 うめきながらかがんだら、胸の辺りを蹴り飛ばされた。


「うがっ、はっ? やぶぇやめっ――」


 父を止めるための言葉は、連発されるキックで寸断された。


「この馬鹿者がっ、貴様などっ、勘当かんどうだっ! もう二度と、この家に、帰って来るなっ! わかったかぁっ!」


 息吐いきつく間もなく蹴られ続け、止まらない鼻血も喉をふさぐ。

 意識が遠退とおのいて視界が白くなる中、スッと理解がおとずれた。

 どうやらオレは、ベルのせいでトンデモない苦境におちいってるらしい――

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