第10話 この四十年で最高に清々しい気分だ

 もっと「パカーン」とか「スコーン」とか、軽い音が響くのを想像していた。

 なのに、回し蹴りの命中したガスパールの頭からは「ゴスッ」と重い音が。

 暴力が向けられるのをまるで予期していない、油断と隙だけで構成された無防備状態なのもあって、笑えるほどに綺麗な一撃となった。

 こちらの着地に少し遅れ、白目をいたガスパールが地面に昏倒こんとうする。


「あー、ベルさま……」


 転がったガスパールを見て、それから私を見てくるミナは、呆れ半分心配半分といった感じの微妙な表情だ。


「な、ななな、な、ばっ――なな、ななな――ふぁあぅ?」


 マルガレーテは目の前の出来事が信じられないのか、無駄にキョロキョロしながら不明瞭ふめいりょうな声を発している。


「うっふ……ふはっ、ははははっ……ぁはははははははははははっ!」


 そして私は、腹の奥から湧いてくる笑いの発作ほっさを抑えられない。

 周囲の学生たちの目もあるからまずい、とは思うのだが止められない。

 王族に対して「やってしまった」という後悔も多少ある。

 だがそれ以上に「やってやった」の感情が圧勝している。

 未曾有みぞうの爽快感と達成感が、荒れ果てた心を急速にうるおす。

 そうだ――私は数十年もの間、このボケナスをブッ飛ばすのを夢見ていたのだ。

 

「あぁあああぁあ、アンタねぇ! 自分が何をして――」

「ハッ!」

「きゃへぅんっ!」


 高笑いを続けていたら、正気に戻ったらしいマルガレーテが詰め寄ってきた。

 キーキー言いながら間合いに入ってきたので、反射的に正拳を入れてしまう。

 そういえば、このバカ女もいつかブン殴ってやりたいと思い続けていたな。

 本人はまったく意味のない空疎くうそな浪費を繰り広げ、親類縁者は中央の要職や地方の重要ポストにいて、汚職や背任はいにんのオンパレード。

 犯罪行為を確認して処断する段になれば、マルガレーテの意をんだガスパールの横槍で法が捻じ曲げられ、無罪か微罪で放免されて再び似たような地位に舞い戻る。


「シロアリの女王だな、まるで」

 

 呟きながら、血とよだれで汚れた手をハンカチでぬぐって捨てると、空中を舞ってから鼻血をいて気絶したマルガレーテの顔をおおう。

 手加減できなかったのは、コレの子であるフェルディナンドバカ皇子に散々苦労させられた末に、帝国存続の最後のチャンスを壊された恨みもプラスされていそうだ。

 何にせよ、遠慮のない一撃を食らわせた満足感は、こぶしの痛みをおぎなって余りある。


鍛錬たんれんの成果が最もダメな形で出ましたね、ベルさま」

「王国に害をす者はすべからく討つべし、という師匠の教えを守ったと言えんか?」

「個人的にはそう解釈してもいいですが、世間的には婚約者である王族と、その浮気相手に制裁せいさいを加えた狂乱令嬢、という扱いになりますよ」

「もう正妻せいさいになれんのに、困ったことだな」


 軽口で場をなごませようとするが、ミナの視線が冷えただけに終わる。

 一方で、熱を含んだ視線が自分に集まっているのも感じていた。

 遠巻きに様子を窺っていた連中が、異変を察してチラホラ姿を見せてくる。

 私が標準服を着用してるのもあって、パッと見では平民の美少女がデート中の貴族カップルを連続KOしたと認識されていそうだ。

 いや、むしろKOされたのが王弟とその愛人だと判明した方が、より厄介な事態におちいる気がしなくもない。


「とりあえず、逃げるか」

「逃げてどうなるものでも……あぁ、手遅れのようです」


 妙な感じに提案を否定されたが、こちらに駆けてくる足音で理由を悟った。

 ガスパールの護衛や取り巻き数人が、やっと気付いて戻ってきたようだ。

 護衛対象から離れるってのも間抜けな話だ、と呆れるが放り捨てられた数個のバケツで更にゲンナリする。

 前回と同様、染料にまみれて現れるはずだった私に、冷水をかける準備をしていたらしい。


「おいおい……なぁにをしてくれてんだ、ベル?」


 護衛たちのリーダーが進み出て、ダルそうな声で話しかけてくる。

 この時代からもう態度が悪いクリス――クリスティアン・ネルディング。

 いずれコイツと遭遇したら、自分がどうなるかわからんと警戒していたが、意外にもギリギリ殺意を表に出さない程度に抑えられた。

 クリスへの怒りよりも、クリスこの阿呆程度に暗殺された自分の迂闊うかつさへの怒りの方が上回っているのかも。

 落ち着かせるために大きく溜息を吐いて、クリスの方に向き直って言う。


「見ての通り、愛人とイチャついておった婚約者殿との痴話喧嘩だ」

「オメェとガスパール様が、喧嘩ぁ? ウソだろ、オイ」

「まぁ、ついさっき婚約破棄を告げられたから、これが最後の喧嘩かもな」

「えぁ? 冗談キツいぞ……つかベルよぉ、何かキャラ変わってねぇか?」

「そんなことよりクリスティアン、まず飼い主を気にしてはどうだ」


 そう言い終えない内に、クリスのヘラヘラ笑いが瞬時に消える。

 ガスパールの護衛で側近候補、という立場で一目置かれる存在のクリスだが、粗暴で高圧的な態度を隠しきれぬ性格のせいで、平民の学生たちから評判が悪い。

 何かしらの実害を受けてクリスを嫌っている連中は、二人の主従関係を「飼い主」「飼い犬」と評して小馬鹿にしていた。


「誰が、何を、どうしろって……オォン!?」


 去年、冗談半分にクリスを忠犬呼ばわりした同級生がいた。

 騎士の息子だったそいつは数日後、片目を失明し四肢ししの骨を砕かれ、両手の親指を落とされる重傷を負って病院送りになり、そのまま学園を去る。

 何があったのかは不明だが、クリスが襲撃しガスパールが事件を揉み消した、との噂は今も流れていた。

 ともあれ、禁句だからこそ効果は強いので、有効活用させてもらおう。


「犬っコロが飼い主の安否を気遣きづかわんでどうする、と助言――」


 最初の一言の時点で既に逆上ぎゃくじょう気味だったが、そこから数秒で完全に制御不能になったらしく、クリスは腰のサーベルを抜いた。

 見物している学生たちがどよめき、女性の悲鳴もいくつか響く。

 それに混ざって、ミナが発した鋭い声も聞こえる。


「ベルさまっ!」

「問題ない! ミナは他の連中をしずめよっ!」


 クリスと対峙たいじしている最中、横から入って来られて乱闘にもつれ込めば、不慮ふりょの怪我をするかもしれないからな。

 にしても、高位貴族である私に刃を向けるなど、傷をつけようがつけまいが大問題になるのだが、それすらわからなくなっているのか。


「自分が何をしてるか理解できとるか、小僧」

「うるっせぇ! ベルごときが何をっ――何を上等こいてやがんだっ! テメェはよぉ、そうじゃねえだろ! もっとビクビクオドオドとっ、いつも通りにしてろクソがっ!」

「貴族にあるまじき口の悪さだな……犬の行動は飼い主に似るというが」


 追加で煽れば、十年の付き合いでも初見な憤怒ふんぬの表情が浮かぶ。

 笑えるほどに顔真っ赤なクリスは、サーベルを大上段だいじょうだんに構えた。

 脅迫や警告ではない、本気の斬撃を放たんとする殺意が伝わってくる。

 この男はつくづく、護衛に向いてない性格してるな、と呆れつつ――


「死ぃいいいいいっ、ねぇえええぅいあっ!?」


 叫ぶクリスとの二歩のを詰め、ガラ空きの腹に前蹴りを突き入れる。

 飼い主ガスパールと同じく無警戒に蹴りを食らった飼い犬クリスティアンは、キョトンとした顔で尻餅しりもちき、サーベルを取り落とした。


「死ねはないだろう、死ねは……私とて一応お前の幼馴染だ、ぞっ!」

「ぅべっ――」


 へたり込んだまま動かないクリスの顔が丁度いい位置にあったので、二発目はそこを狙ってブーツの底を蹴り込んだ。

 象牙ぞうげ色の欠片かけら鮮紅色せんこうしょくの液体を散らし、クリスは仰向あおむけで地面に沈む。

 この頃は実戦未経験なのに、わずか数分で3戦3勝3KOになってしまった。

 そんなことを思いながら、クリスの持ち物だったサーベルを拾って眺める。


「ふむ、刃は潰してあるか」


 とはいえ、か弱い美少女を鉄の棒で殴れば、無事で済まないとわかるだろう。

 侯爵令嬢である私に斬りかかろうとしたのは、ガスパールが傷つけられたと知って我を忘れたから、みたいな論法で誤魔化してくるか。

 自分についても問題は山積みだが、とりあえず「いつかブッ飛ばしたい」と願っていた連中をまとめて粉砕できたので、この四十年で最高に清々すがすがしい気分だ。


「ベルさま、片付きました」

「ああ……御苦労だったな、ミナ」


 振り向けばクリスの部下ら四人が全員、ミナの足元でグッタリ転がっている。

 その向こうからは、教師や衛兵たちがあわてた様子でやって来るのが見えた。

 さて、どういう理屈を用意して事情聴取にのぞむべきか……

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