第9話 私の一番やりたかったこと
「ただお前に奉仕する、ね……随分と都合のいい存在らしいな、私は」
「メービウス家もそうらしいので、旦那様の意見も伺いたいですね」
私の言葉に、作り笑顔で静かにキレているミナが応じる。
感情の表出をすぐに隠す切り替えは見事だが、物言いに
こちらの放つ
「大体、何だその偉そうな口調は! 指定した時間に大遅刻しておいて、どうして謝罪の一つもない!? それに、俺を呼ぶ時は『様』を付けろって言ってるだろ!」
「注文が多いぞ、ガス様」
「おっ、お前に愛称で呼ぶのを許した覚えはないっ!」
十年前にはそう呼べと言われたはずだが、言った本人は記憶喪失らしい。
不毛な時間が続くのを予感し、溜息を一つ
「口調が気に入らんのは慣れろ……遅刻は理由があってのことだが、私を責めてもお前の不倫行為は帳消しにならん。論点をずらすな阿呆が」
「だっ、誰がアホ――」
「論点をずらすな、と言ってるだろうがド阿呆が」
話を引っ掻き回そうとするのを強制停止すると、流石にいつもと雰囲気が違いすぎると気付いたのか、ガスパールの表情に焦りや
長椅子に座ったままのマルガレーテも、余裕たっぷりの憎たらしい表情から、余裕が四割ほど失われていた。
いくら頭の回転が絶望的に
「だから、お前のその
「婚約者が賢くて美しいことの、何が気に入らんというのだ」
「美しい、は言ってませんけど」
ミナが小声で訂正してくるが、ガスパールはそれを気にする様子もない。
人生の伴侶としては0点を通り越しマイナス5億点くらいだが、顔だけは文句なしに整っているから、外見の美しさにあまり価値を感じてない可能性もあるな。
そんなことを考えていると、顔だけ男は私を指差しながら声を荒げる。
「昔からそうだ! 大した努力もしてないクセに、何でも器用にこなしますよ、って澄まし顔で! それで何かあれば、すぐ
幼い頃から十年間、血を吐くような思いで叩き込まれた様々な教育と、物理的に血を吐きながら続けてきた武術の
そしてお前の言ってる社交とやらは、ドラ息子と尻軽女を集めて退屈な馬鹿騒ぎするだけの、愚にもつかないパーティだろうが。
そう反論したいが、話が進まないので拳を痛むほど握り締めて訊く。
「そんな私が気に入らんから、化粧がやたら厚くて乳と尻がデカい
知ってはいるが敢えて問えば、ガスパールは反射的に何かを言い返そうとして、寸前で口ごもった。
さっきは勢いで「俺が愛する唯一の女」などと
阿呆なのに動物的な勘だけは鋭い、ってのも厄介だな――と思いつつ何か言うのを待っていると、ガスパールではなく愛人の方が立ち上がって
「お飾りの正妻の立場なんてアンタに譲るわよ、侯爵令嬢サマ! 地位とか名誉とか、そんなのは全部あげる……メグが欲しいのは、ガスの心だけなんだからっ!」
それと
「まずは己が何者かを名乗れ、小娘。その振る舞いからして、下級貴族であろうが」
「小娘って、アンタも同い年でしょ! それにっ、それにねぇ! 身分がどうかなんて、そんなのここじゃ関係――」
「あるに決まっとるだろ、馬鹿者が。この学園は平等を
「だったら――」
また
「だが、それは無礼を許容するものではない。お前は私の友人でもなければ、知人ですらない。それどころか婚約者であるガスパールの浮気相手、というゴミクズに潜んだ油虫にも等しい
「待て、ベレンガリア! これは浮気などではなく――」
「ややこしくなる! お前は黙っておれ!」
口を挟んできたガスパールを
「更に言うならば、だ。他の者はどうだか知らぬが、個人的には雇用関係でもない平民に対し、礼儀はともかく従属を求めはせん。無条件の敬意もだ。だが、貴族になると話は変わる。身分制度の恩恵を受けておきながら、自分だけを
「ぬっ……ふぐっ……」
王族のみ、と言いかけたが面倒なのが居合わせてるので、若干修正する。
マルガレーテは上手い反論が出てこないのか、何か言いかけては唇を嚙むのを繰り返す。
こんな愚物共にやりたい放題にさせていたと思うと、過去の
「改めて訊くが、何処の誰なのだ。お前を断罪するにも、親の責任を問うにも、何者かわからねば話にならん」
「断罪されるのはベレンガリア、お前だっ! メグは俺が守るっ!」
「あぁ、ガス……嬉しいっ!」
マルガレーテの前に出たガスパールが、キリッとしたキメ顔で宣言。
守ると言われた方は、やや過剰に感動を演じつつガスパールに抱きつく。
突然の茶番展開に
「先程ガスパールさまは、そこの
「だっ、誰がメス犬ですってっ!? メイド
「フザケとるのはお前だ。ミナは伯爵家の出だぞ」
貴婦人らしい礼を完璧に披露するミナと、硬直するマルガレーテ。
侯爵令嬢である私の専属メイドなのだから、それなりの身分の者しか任じられないと、多少の知識があればわかりそうなものだが……
本気で貴族社会のルールや常識を知らないのか、わざと無視しているのか。
「だいぶ人が集まってきました……
ガスパールとマルガレーテが
こちらに遠慮して、覗き込んだり踏み込んだりしてくる者はいないが、誰もが
「今更もう手遅れ、だろうな」
私としてはそっちの方が好都合なので、聞かれても全然構わない。
というか、ガスパールが
どこまでも噛み合わない対話、というか口喧嘩が続きそうなので、野次馬にも伝える意味でガスパールの非を列挙して終わりに――するつもりだったのだが。
「そもそも、何なんだその恰好は! 俺の贈ったドレスはどうしたっ!?」
「あれは、
「汚れたから、どうしたってんだ! 俺があの服で来いって言ってるんだから、赤の染料を被ろうが青の染料をかぶろうが、そのまま来るべきだろ!」
「おい……私は『汚れた』としか言ってないが、どこから『染料』が出てきた」
問い返せば、ガスパールが「しまった」と言いたげな表情を
しかし、勢いで押し切ると決めたらしく、大きな身振りを入れながら怒鳴る。
「やかましいっ! そんなことはどうでもいいっ! 俺が問題にしてるのは――」
「質問に答えろっ! お前がアレをやらせたのか、ガスパール」
同等の大声で怒鳴り返し、相手の目を見据えて質問を重ねる。
ガスパールはスッと視線を
イタズラを見つかった子供のような、その姿に感情が
平民であるアンジェリカに、侯爵令嬢の私を攻撃させた結果がどうなるか、考えもしなかったのか。
前回の私も、衛兵に引き渡した後のあの娘がどうなるか、考えもしなかった。
私を
生涯を共にすると定められた相手からぶつけられる、
そんなものに耐えて、耐えて、耐え続けた末に辿り着いたのが、大陸全体を巻き込んだ戦乱と破滅だ。
その原因である、目の前の
「なぁ、ガスパール。引き返すなら、ここが最後だ……この先にまで踏み込めば、婚約解消の話も現実的になる」
「そっ、そんなもの……そんな言葉が、脅しになるとでも思っているのか、ベレンガリア! いいぞ、その浅知恵に乗ってやる! 婚約など、今この瞬間に破棄だっ!」
高らかな宣言が響き渡れば、周辺すべての時が止まったようになる。
マルガレーテはこうなる予想をしていなかったのか、本気で驚愕している表情だ。
ミナはこの日をずっと待っていた、とでも言いたげな晴れ晴れとした笑顔。
ガスパールは、やらかした自覚など
そして私は――今、どんな顔をしているのだろうか。
わからないが、五秒後どうなるかは確信しつつ、元婚約者との距離を詰める。
「婚約破棄、
言いながら軽く跳ね、体を半回転させて加速を乗せると、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます