第8話 だから今度こそ間違えずに

「ふむ……中々に悪くないと思うが、どうか」

「あの下品なドレスに比べれば、大抵の服はマシに見えますが」

「それはそれとして、この恰好についての意見をくれ」


 クルッと一回転して意見を求めると、あごに手を当てながらミナが語り始める。


「そうですね……ベルさまは顔とスタイルが良いので、何を着ても華美かびな雰囲気が出てしまうのですけど、このよそおいだと標準服の地味さに、雑にまとめた髪型の地味さ、それに化粧を省いて地味さを演出した状態が加わって、だいぶ落ち着いた印象を与えるのではないかと」

「地味を『落ち着いた』と言い換えるのに失敗しとらんか?」

 

 姿見に全身を映し、言うほど地味かと確認するが、自分ではよくわからない。

 スッピンで過ごすのも久々だが、まだ幼さの残っているこの顔に、濃いめの化粧は似合わないだろう。

 髪は乾かしている時間がないので、半ばまで水気みずけを飛ばした状態にしてバレッタでまとめてある。

 標準服は肌触りがよくサイズもピッタリで、着心地はもうぶんない。


「まぁよい。時間もないし、これで行くぞ」

「はい……しかし、婚約者同士の茶会すら欠席を続けていたのに、唐突に百華苑ひゃっかえんで会おうなどと先方が言い出したのは、少し気懸きがかりですね」

「なぁに、もしたくらみがあったところで、所詮しょせん彼奴あやつの浅知恵から出てくるものだ、心配いらん」


 ミナの背中をパシパシ叩きながら言えば、僅かに間を置いてからうなづいた。

 やや驚いた表情が見えた気もするが、もしかして発言だけでなく行動も大幅にズレているのだろうか。

 しかし、精神的に色々と厳しい状況なのもあったせいで、この頃の自分がどんな感じだったかよく憶えていない問題がある。

 なので、今の私に慣れてもらうしかない――ミナにも、他の連中にも。 

 

「改めて気にしてみれば、服装による階層区分が露骨ろこつだな」

「ですね。それが当然となっているので、どこに属する者も気に留めません」


 正門から見て校舎の裏側となるので『裏庭』の通称がある、数多あまたの花々が植えられた庭園『百華苑』に向かいながら、学生たちの様子を観察する。

 談笑している三人の男子学生は、それぞれ軍服に似たものを着用していた。

 何かしらの遊戯ゲームに興じている集団は、全員が貴族の普段着という雰囲気。

 恋人らしい距離感でベンチに座る男女は、どちらも標準服だ。

 こういう明確な指標めじるしは、無難ぶなんに学園生活を送るには便利なのかもしれないが……


「……不健全だな」

「はい? どのことでしょうか」

「いや、気にせんでいい」


 モヤッとした感覚が残るが、個人で今すぐにどうにかできる問題でもない。

 そうこうする内に、百華苑の入口付近へと辿り着いた。

 前庭に比べると人数は少ないが、学生の姿はそれなりに見える。

 ガスパールに指定されたのは、高位貴族しか出入りしないとの不文律ふぶんりつがある、奥まった場所でさく生垣いけがきに囲まれている東屋ガゼボだ。

 ミナは先を歩いて向かおうとするが、そのスカートをつまんで制止する。


「どうしました、ベルさま」

「何となくだが、正面から行くとロクでもないことが起こる予感がある。大回りして裏から訪ねよう」

「……よくわかりませんが、承知しました」


 まるで納得していないようだが、私の提案に従ってミナは細い脇道へとれる。

 普通に行く場合の三倍ほどの距離を歩いて、ガゼボの裏側へと出た。

 すると男女の会話が聞こえてきたので、私もミナも足を止める。

 あまり野外で聞くことがない、というかねやでしか聞かぬ睦言むつごとめいたやりとりだ。

 

「やぁ、もー……そんなとこー」

「ははっ、どこだって全部が、俺んだろ?」

「そーだけどー、ここじゃダーメ」

「ダメって言っても、それじゃ止まんねぇよ」


 だいぶ賢さの低い会話に、水っぽい音や苦しげな吐息が混ざる。

 とりあえず人目は避けられるとはいえ、公共の場でやることではない。

 というか、野外でベタついている時点で特殊な性的嗜好の一種かと疑う。

 強めの呆れで頭痛が生じ、苦虫にがむしを巣ごと噛み潰したような表情になる。

 そんな私に、ミナがガゼボの方を指差しささやき声で訊いてきた。


「(そこにいるボケは、ベルさまにここへ来いと言ってたんですよね?)」

「(ああ……まさか、こんな状況を見せつけるつもりはなかろうが、別の女を連れているのは予定通りだろう)」


 ミナのガスパールの扱いが地に落ちているが、そうなるのも無理はない。

 前回は、青い染料をかぶったままの状態でここへ来て、マルガレーテ・バーゼル男爵令嬢を「真実の恋人」「愛しのメグ」として紹介されたのだ。

 愛のない結婚になるだろうとあきらめていたし、いずれは愛人や第二夫人の話も出てくるだのを覚悟していたが、まさか在学中に切り出されるとは思わず愕然がくぜんとしたっけか。


「(……このまま、何も聞かなかったことにして帰りますか)」


 ミナに問われて、どうするべきか迷う。

 前回、ガスパールとマルガレーテは青く汚れた私を散々に嘲笑あざわらい、理不尽に侮辱ぶじょくし、周辺の学生たちの注目の中で、王族の婚約者としての至らなさをあげつらった。

 いくらでも反論できる、難癖なんくせ捏造ねつぞうのオンパレードでしかなかったが、ガスパールに逆らわないよう半ば洗脳されていた当時の私は、黙ってその戯言たわごとを受け入れ謝罪したのだ。


 あの時は、アンジェリカや衛兵への対応をミナに任せていたので、一人で来てしまったのも軽率けいそつだった。

 味方が誰もいない状況で笑いものにされ、吊るし上げられ、耐えられずに帰ろうとしたら「汚ない顔のまま帰るんじゃない」と言われ、ガスパールの護衛たちからバケツで水をかけられ――あぁああ、思い出すだけではらわたが煮えてくる。

 いくつもの間違いを積み上げた人生だが、この仕打ちに対して抗議もしなかったのは、最大の失敗と言っていいだろう。


 斜陽の帝国を支えた数年間に、何度も繰り返した三つの自問。

「何が悪かった」「どこで間違えた」「どうしてこうなった」

 その答えは、この日この時この場所にある――のかもしれない。

 だから今度こそ間違えずに、あの時やるべきだったことをやる。

 

「(いきなり乗り込み、慌てふためく婚約者殿のマヌケ面をおがむとしよう)」


 ひそやかに、それでも力強く返すと、ミナも覚悟を決めたのか表情を引き締めた。

 目撃者兼証言者として厄介事に巻き込むのは心苦しいが、ここで頼れるのはミナ一人なのでやむを得ない。

 フンッ、と一つ短く強く息を吐いて柵に上り、生垣を跳び越える。

 狙った通りに、イチャついている阿呆二人のすぐ前に着地した。


「待たせたな、ガスパール。こうして会うのも久々だが、息災そくさいか」

「んなっ? なななな、なな……はっ? なん、でっ……はぁあっ!?」


 遅れたのをびつつ、無沙汰ぶさたを埋める挨拶あいさつをしておく。

 しかしガスパールは、何が起きているのか把握できていない様子で、マルガレーテに絡みついたまま疑問符を量産。

 五秒ほど遅れて生垣を越えてきたミナは、冷え切った眼で一塊になっている二人をめつけて問う。


「何をなさっているのです、ガスパールさま……そちらの令嬢は、どちら様で?」

「冗談がすぎるぞ、ミナ。こんな場所で男に肌を許す令嬢など、いるはずなかろう」

「ひゃはっ――やんっ!」


 言われて自分の痴態ちたいに思い至ったのか、ガスパールから離れて乱れた胸元を掻き合わせ、大きくまくれたスカートを直すマルガレーテ。


「これは感心せんなぁ、ガスパール……多少の火遊びならば目をつむるが、娼婦しょうふを学園に連れ込むのは火力が強すぎる」

「だっ、誰が娼婦だっ! おい! ベレンガリア……いや、ベレンガリアだよな?」

「間近で顔を合わせるのは二月ぶりだが、その程度で十年連れ添った婚約者すら判別できなくなるなど、悪い病気でも拾ってないか」


 服装と髪型が変わり、化粧していないだけで私の認識が怪しくなるとは。

 本当にこの男はベレンガリア・メービウスという人間に興味がないのだな。

 わかってはいたが、改めて突き付けられると新鮮な不快感が湧き上がる。

 道端の吐瀉物ゲロに対するのと似た気持ちで見据えていると、憤怒ふんどでか羞恥しゅうちでか顔を真っ赤にしたガスパールがわめく。


「だっ、黙れぇっ! このメグ――マルガレーテ・バーゼルこそが、俺が愛する唯一の女だっ! ベレンガリア! 貴様などお呼びじゃないっ!」

「ここまで呼び付けておいて、随分と愉快な寝言をのたまってくれるではないか、ガスパール。貴族家同士の婚約がどういうものか、お前も知っているだろうに」

「しっ、知ったことか! 今日ここに呼んだのはなぁ、立場ってものを思い知らせるためだっ! 貴様も、メービウス侯爵家も、ただ俺に奉仕する存在ってのをなぁ!」


 これはまた、だいぶけっぴろげに失言を垂れ流してくれる。

 ミナの様子をチラッとうかがうと、眼力めぢからだけで対象を殺害できそうな凶相と化していた。

 奇襲的な登場で出端でばなくじいたし、ミナも一緒なので前回と同じ展開にはならないだろうが、さてここからどうしたものか……

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