第7話 夢や幻ではなさそうだが

 騒動を遠巻きに見ていた連中の視線を感じつつ、令嬢らしい速度制限を超えない程度の早足で自室へと急ぐ。

 青く染まった異様な風体の自覚はあるのだが、擦れ違いざまに毎回ギョッとした顔を見せられたり、「うぉっ!」とか「キャッ!」とか短い悲鳴を上げられるのは、地味にダメージが蓄積される。


「ベルさま、そのようなけわしいお顔では、誰もがおびえます」

「そうは言うがな、ミナ。この状態でニコニコしておる方が怖くはないか」

「言われてみれば……そうかもしれません」


 隣を歩くヴィルヘルミナは、ハッとした様子で小さくかぶりを振る。

 どうも記憶にあるよりもゆるい性格になっている気がするが、実際こうだったのか若干の変化が起きているのか、今となっては確かめようがない。

 というか、これは本当に「過去に戻った」と考えてもいいのだろうか。

 痛みや冷たさを感じているので、夢や幻ではなさそうだが……


 部屋に戻り、青い染料をかぶったドレスを脱ぎ捨てる。

 姿見で確認すれば、青色は髪や顔だけにとどまらず、下着にまで侵蝕しんしょくしていた。

 ミナが用意してくれた濡れタオルで手をいて顔をぬぐうと、記憶の中にしかない少女の頃の自分と目が合う。

 少しばかり青みが残っているが、十代の肌艶はだつやは何事かと思うほど瑞々みずみずしい。


「入浴なさるなら、急いで湯の用意をさせますが」

「いや、ガスパールをそこまで待たせるのもまずい。髪と顔を洗って、着替えておけばそれでよかろう」

御召おめし物はどうなされますか。このドレスは、さすがに即座にシミ抜きしてかわかすのは無理ですが」

「人を急に呼び付けておいて、服装まで指定する方がどうかしている。律儀りちぎに合わせてやる必要もあるまい」


 当然の理屈で切り捨てた私に、ミナは不思議なものを見る目を向けてくる。

 そういえば、この頃は父や教育係に繰り返し因果いんがふくめられ、自分の身はブラウトリーンに尽くすためにあり、王族たるガスパールにどこまでも従順であり続けるべし、という思考に染め上げられていたのだったか。

 まぁ、その考えに盛大にヒビを入れる出来事が、この直後に起こるのだが。

 そんなことを考えていると、ミナがだいぶ低めの声で訊いてくる。


「ベルさま、この指は何本に見えます?」

「んん? 二本、いや三本だな」

「では、これと同じようにできますか?」

「こうであろ……ぬぅう? どうやっておるのだ」


 開いた手の中指と小指だけ折り曲げた、珍妙な形を真似ようとするが上手くいかない。

 小指がりそうになって諦めると、ミナは深刻そうに口許くちもとを押さえる。


「ああっ、やはり頭を強く打ったショックで……」

「それは関係なかろう! 手先の変な器用さで何がわかるのだ」

「その口調もです、ベルさま。どうして急に王妃様を真似まねたように」


 実際に王妃、というか皇妃だったからとも言えず、どう誤魔化そうかを考える。


「いやその、何だ。婚約者を筆頭にして、私をかろんじてくる者が多いのでな。まずは態度から威厳いげんを持たせて、周囲の意識を改善しようかと」

「ベルさまならば、そんな態度にもいずれ違和感がなくなるでしょうが……」


 今は違和感がすさまじい、というのを言外げんがいに伝えてくるミナ。

 我ながら年齢外見に似合わぬとは思うが、もう二十年以上もこうなのだ。

 そんな状態で三十年も前の口調を再現しろ、と言われても困難極まる。

 というか、そもそも少女時代のしゃべり方をまるで憶えていない。

 更に追及ついきゅうされるのも面倒なので、話を戻そうとクローゼットを開ける。


「ふむ……趣味が悪くて動きづらそうなドレスばかりか。どこの阿呆が選んだ」

「御父上やテレンリーメン伯爵夫人の影響は多大にあるでしょうが、選んだのはベルさま本人です」


 テレンリーメンというのは、確か教養や礼儀作法の家庭教師だったな。

 それはそれとして、ミナはこんなけな性格だったろうか。


「主人を阿呆呼ばわりとは、中々いい度胸だな」

「阿呆と言ったのも、趣味が悪いと言ったのも、まるで似合わないし正気を疑う色彩感覚だと言ったのも、全てベルさまです」

「最後のは確実にお前であろう!」


 どうも、思い出の中でミナを泰然たいぜんにして怜悧れいり傑物けつぶつだったと、大幅に美化していた疑惑があるな。

 優秀であるのは間違いないし、忠誠についても疑いないのだが。

 ミナを軽くにらんだ後、クローゼットの中を一枚一枚再確認していると、丁度よさげなものが見つかった。


「適度に地味で、動きやすそうな服があるではないか。どことなく、さっきの娘……アンジェリカだったか? あれが着ていたものに似ているが」

「似ているのではなく、同じものです。それは、この学園の標準服になります」

「おお、そうであったな。まぁ、着替えはこれでよいか」


 私の言葉に、ミナが驚きとあきれとまどいを足してゴチャ混ぜにしたような、味わい深い表情を浮かべる。


「どうしても着るならば止めませんが……言うまでもないことながら、貴族家の方々は普通、標準服を着ません。下手をすると、一度も袖を通さないままです」

「ふむ、何とも無駄なことだ。デザインも悪くないし、仕立ても良いのに」

「個人的にはおおむね同意です。しかしながら学園に通う貴族や富豪の子弟としては、自家の格に合わせた服装を用意するのが望ましい、との風潮がありまして」

「それによって平民や貧乏貴族と我らの違いを視覚化する、というわけか。地位や身分の差を超えて広く才を集める、という学園の理念はどこに消え失せた」


 苦々しい気分で言い放つが、批判は学園を創立した王家に対する不敬にもなりかねないからか、ミナは半眼はんがんになって口をつぐむ。

 アバウトな性格のようでいて、こうした部分では隙を見せないらしい。

 

「とにかく、服はこれでよかろう。着飾ったところで濡れた髪ではどうにもならぬし、ガスパールのために手間をかけるのも忌々いまいましい」

「随分とまた、ガスパール様への態度が御変わりになったようで」

「元より私の望んだ婚約でもないし、婚約者としてのアレは最悪の部類であろう」

「私の立場からは何とも言えませんが、世間一般の基準に照らしたならば、あの方は最低に近いと思われます」

「ほぼ言っとるではないか……ともあれ髪を洗わねば。諸々用意してくれ」

 

 一礼して準備を始めたミナの後姿を眺めながら、元配偶者であり現婚約者という不可思議な存在であるガスパールについて考える。

 凡俗ぼんぞくであり愚昧ぐまいであり狭量きょうりょうである、という能力的な部分は大体わかっているのだが、人間性はもう一つ掴めていない。

 恋人らしい語らいも、夫婦としての時間も殆どなく、皇帝と皇妃の立場での意見交換もほぼなかった、というのが主な原因だ。


 宮廷での栄達えいたつを望んだ父リヒャルトと、王国の重鎮メービウス家と姻戚いんせきとなり権力強化を図りたいエンラント大公家の思惑が一致した結果、王弟であるハインリヒ大公の嫡子ガスパールと私の婚約は結ばれた。

 典型的な政略結婚だが、こちらからはそれなりに歩み寄ろうとしていた。

 だが、あちらからは何をどうしても冷淡な対応しか返ってこない。


 彼のためにどんなに苦労しても、どれだけ奔走しても、慰労いろうの言葉ひとつもなかった。

 孤軍奮闘こぐんふんとうする私を嘲笑あざわらうように、ガスパールは愛人を作り、側妃を増やし、佞臣ねいしん共を取り巻きに置いて、享楽的に日々を送る。

 そんな状況が何年も何十年も積み重なり、私は壊れてしまったのだ、たぶん。


「今となってはどうでもいいが……この『今』ではそうも言ってられぬな」


 流されるままに進んだ末路が塔からの墜落だと知っている自分としては、愚かしい隷属れいぞくを繰り返すつもりなど微塵みじんもない。


「ともあれ、まずはあの阿呆ガスパールに会わねば始まらんな」

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