1章 青き日々に正解を求める
第6話 イカの一種なのかもしれない
頭に強烈な痛みが走ると同時に、液体の飛び散った音が聞こえた。
それから
「――――――!」
「――――っ!」
「――っ、――――――!」
悲鳴のような怒声のような、とにかく大きな声が飛び交っている。
そこまではわかるのだが、何を言っているのかが判別できない。
短い混乱を
どうやっても助かりそうもない高さだったが、こうも
「
視界はだいぶボヤけているが、発声は普通に可能なようだ。
頭蓋の中身をぶち
そんなことを思いながら痛む頭に触れると、グショグショに塗れた髪の感触が指先に伝わってくる。
随分と冷たい――散々に冷血だと
「うっ……何なのだ、これは」
視界が回復し、血に染まっているはずの手を見ると、
貴族の血統を『青い血』と呼ぶ古い表現があるが、それまで事実だったとは。
さもなくば、私は貴種などではなくイカの一種なのかもしれない。
そこで不意に、この理不尽さは死後の世界だから、という
延々こんな感じだと三日で疲れ果てそうだ――などと心配していると、
「――さま! 御無事ですかっ、ベルさま!」
何十年ぶりかに耳にする、少しハスキーだけどよく通る女性の声。
暗殺者から私を守るために命を落とした、専属メイドのミナ――ヴィルヘルミナ。
彼女の声がするということは、やはりここは死後の世界なんだろうな。
そう結論づけて声の方に振り返ると、凄い勢いで肩を掴んで
「大丈夫ですかっ!? どこかお怪我はっ!?」
「おぁあああぁあぁうぁうぁ……」
頭を強打してる人間にそれはマズい――
やめろと命じたいけれど、揺すり方が激しすぎて言葉にならない。
しばらく続いた後、追い討ちをしていると気付いたのか、ミナの動きが停まった。
目が回ってちょっと焦点が合わなくなっているが、視界には地味なメイド服に身を包んだミナの懐かしい姿が映る。
「うぅっぷ……久しいな、ミナ。何やら、死んだ時より若返っておるが」
「なっ、何を言って……えっ? もしかして、当たり所が悪すぎました?」
困惑気味なミナの指差す方を見れば、ヘコんだ金属製の小ぶりなバケツと、石畳の床に広がった青い水溜まりが。
血の色じゃなかったのか、と思って自分を確認すれば中々の惨事になっている。
白を基調とした
「これは、何とも……青いな」
塗料か染料か――よくわからないが、ドレスがダメになったのはわかる。
さっきまでと全く違う
ミナは自分の手や服が汚れるのも構わず、私の髪を掻き分け傷の有無を確認する。
指先が触れると痛む箇所はあるが、明確な傷はなかったらしい。
「とりあえず、立ちましょう……立てますか?」
「あぁ、大事ない……っと、少しフラつくな」
「無理もないです。上から降ってきたバケツ、直撃してますから」
「上から、バケツ……」
ミナに手を引かれて身を起こし、顔にかかる濡れた髪を掻き上げる。
その
壁の何ヵ所かに青いシミが残っているので、あの窓からバケツが落ちたのか。
降ってきたバケツが頭に当たって、青い液体でドレスが台無しにされて――
何となく引っかかる感じがあったが、やはり自分はこの状況を知っている。
この建物を知っているし、この光景を知っているし、この後に起こることも。
「これは、三十年前の……あの日だ」
「三十年前って、ベルさまは今年で十六ですよ? ああ、やっぱり頭の調子が……」
「頭がおかしくなったように申すな」
ミナの言葉で刺激されたのか、周囲の視覚情報が記憶と結びつく。
ここは副都ハインベルグの――いや、当時は王都ニースベルグだったな。
とにかく、私が通っていた王立中央総合学園――通称『学園』の敷地内だ。
バケツの
もうすぐあの扉から、汚れたエプロンをつけた小柄な少女が飛び出してくる。
「あぁあああああああああっ! すめんなせぇええええええええんっ!」
予測の通りに登場した栗毛の少女が、奇声を発しながら駆け寄ってきて、私に向かって深々と頭を下げる。
一度目は意味不明だったが、改めて聞くと「すみません」と「ごめんなさい」が混ざったポンコツ謝罪だと推測できた。
いつの間にか私の前に移動したミナが、険しい表情と
「おいっ! この方をベレンガリア・メービウス侯爵令嬢と知っての
「いぇ、あのっ――アタシ、じゃなくて、ワタクシでは――でもなくて、そう! うっかりで、間違って落としたら、下にアナタ様がいて……本当にゴメンなさいっ!」
相手はわたわた両手をバタつかせ、混乱しながら言い訳のような何かを述べてくる。
前回の自分は、この時どういう感じに対応したのだっけか……
とりあえず、
「お前、名前は?」
「ヒッ――んあっ、アンジェリカ、ですっ。一年のっ、アンジェリカ・ハンバート、専攻は芸術でっ、ごじゃります」
頭から青い液体を浴びている、ヴィジュアル面での問題のせいだろうか。
自分でやらかしておきながら、理不尽な恐がり方もあったものだ。
ともあれ、この調子だと無駄に手間がかかるのが避けられない。
なので話をサッサと進めて、このトラブルを終わらせてしまおう。
「そんな、この世の終わりみたいな顔をせずともよい。事故なのだろう?」
「ふぁ、ふゎい……あのっ、アタシが染料を溶いたバケツを、手が
「誰にでも失敗はあるし、取り返しのつかない失敗でなければ、過度に罰せられるべきではない……ミナ、私の頭に傷は残っているか」
「いえ、しばらく
「であれば、
そう言って安心させようとするが、アンジェリカの表情は曇ったままだ。
どこに引っかかっているのか、と
「あの、メービウス様の、ご、
「ん? あぁ、これか……この悪趣味なドレスは
「そう、なんでしょうか……もの凄く、高価な品に思えるんですけど」
「本当に気にせんでもよいが……どうしても心苦しいなら、こういうのはどうだ。お前は確か、芸術専攻だったな」
「は、はいっ! 絵画を中心に、版画や彫刻なども」
「では、お前が自作で最も『良い』と考える一品、それを
少し考えてから提案すると、アンジェリカは数秒ほど凍りついた。
そして解凍された後、顔が無くなりそうな勢いで左右に首を振る。
「いやいやいやいやいや! それは、そんなのは全然っ、ドレスと釣り合うような作品なんて、アタシにはっ!」
「私がそれでいい、と言っているのだからそれでいいのだ。返事は」
「は、はいっ!?」
「よろしい。では近い内、そちらに
強引に話を打ち切ると、
その道すがら、アンジェリカとの対話中も色々と言いたげだったミナが、我慢の限界という雰囲気で
「本当に、これでよろしいのですか」
「ああ、あの娘に言った通りだ」
「いえ、アンジェリカ嬢の件は三番目で。まずは、現在
ミナから疑問を
このドレスは、贈り物など滅多にしなかったガスパールからの誕生祝いだった。
自分に興味がないと思っていた婚約者からの、愛情を伝えるメッセージに思えた。
だから、どれだけ趣味が悪くても嬉しかったし、それを着て会いに来てくれという伝言に対し、大急ぎで駆けつけようとしていたのだ。
その最中に起きたのが、先程のバケツ直撃事故だ。
ハンパに青く染められたドレスの惨状を見て、当時の私は狂乱した。
アンジェリカ――名前は知らなかったが、あの娘を殴り飛ばした覚えがある。
追撃を加えるのをミナに止められ、学内を警備する衛兵を呼んで「貴族を狙って攻撃してきた平民の過激派」として衛兵に引き渡したのだったな、確か。
今となっては、こんなドレスに
「服はどうでもよいが、婚約者殿は無視もできんか」
「えっ、あっ、はい」
困惑するミナを放置し、これから起きるはずの事件に思いを馳せる。
この数年、意識から離れなかった問いの答えが、そこにあるかもしれない。
――――――――――――――――――――――――――――――
今回より新章、というか本編の開始です!
ノリや状況が大幅に変わりますが、主人公の性格や思考は序章から引き継いでおります。愛と暴力と陰謀の渦巻く異世界学園物語(予定)をお楽しみください。
※カクヨムコンにも応募しているので、応援よろしくお願いします!
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