第4話 つまりはそういうことか

 ハインベルグ城での居室にしている西の塔へと戻った私は、護衛の兵たちに「皇帝が訪ねて来ても通すな」と厳命げんめいして扉にかんぬきをかけた。

 空きの目立ってきたワイン棚から適当に白を選び、みがき方の甘いグラスへと半分ほど注ぐ。

 やや酸味の尖った液体を一息にし、次の一杯をたっぷりと注いでから無駄に豪華な椅子に腰を下ろす。

 

「やってられぬわ、馬鹿共めが……」


 疲れ果てた脳に糖とアルコールがみると、つい本音が漏れ出てしまう。

 失敗も挫折ざせつも何度もあったし、期待を裏切られた回数などカウントする気にもなれない。

 とはいえ、ここまで手酷い裏切りは過去にも――いや、何度かあるな。

 思い返してみれば、どうにもみじめでむくわれぬ人生だ。


 誰も愛さず、誰にも愛されず、感情をし殺し、夢を見るのは許されない。

 自由もなく、楽しみもなく、国と家に全てをささげ、望み通りに何かを為した記憶もない。

 大声で笑ったのさえ、つい先程が数年ぶりだ。

 空虚くうきょにも限度がある己の生涯に、再びの失笑が湧き上がる。


「ふっ、ふふっ……最もおろかなのは、私であろうがな」


 せめて愛する者でもいれば、こんな終わりは避けられただろうに。 

 夢や目的があったなら、多少は愉快に日々を送れたのではないか。

 誰かのためでなく自分のために、どうして生きられなかったのか。

 やんでも仕方がないが、反省点は次から次に湧いて止まらない。

 血を吐くような想いをワインで流し込んでいると、空腹に杯を重ねすぎたせいか強い眠気が訪れてきた。


「大帝国の皇妃こうひなど……居眠りの自由すらない、つまらぬ地位であることよ」


 グラスをテーブルの上に戻し、背もたれに体を預けた途端とたんに全身の力が抜ける。

 どうやら、自分で思っているより疲弊ひへいしていたらしい。

 眠気と脱力にあらがうのを諦め、両目を閉じてつかの休息を選ぶことにした。

 意識を手放す直前、懐かしい声を聞いたような気が――


 ――ドンッ! ドンドン、ゴッ! ドッ! ガンゴンッ!


 尋常ではない勢いで扉を叩かれ、意識を無理矢理に引き戻される。

 ノックというより、叩きやぶって侵入をこころみているようだ。

 もしや革命軍のシンパが城内に潜入し、私の拘束こうそくを企んだのか。

 酔いが回っているのか、眠りを中断されたせいか、頭も体も上手く動かない。

 しつこい打撃音を聞きながら身を起こし、視界のぼやけている目をこする。


「何事だ! 誰も通すなともうし付けたであろう!」


 軽く咳払いしてから、不快感をあらわにした声で問う。

 すると扉の打擲ちょうちゃくみ、二人の護衛のどちらでもない野太のぶとい声が答えてくる。


「ネルディンク軍務卿ぐんむきょうより、火急かきゅうの報せであります!」

「会議室へと向かい、幕僚共に伝えよ……後ほど確認する」

「軍務卿は、皇妃陛下にのみ伝えるべき最重要案件である、とっ!」


 クリスティアン・ネルディンク公爵――クリスとも長い付き合いだ。

 かつては子爵家の次男だったが、ガスパールの幼友達だった縁で護衛役に。

 ちょうじてからは皇帝の寵臣ちょうしんとして出世と陞爵しょうしゃくを重ね、今では軍事の最高責任者に任じられている。

 立場に相応の能力があれば、私の代わりに防衛戦の指揮を執っていたのだろうが、ガスパールの側近共の例に漏れない無能だ。

 

 何故だかわからないが、クリスは自分を古今無双ここんむそうの勇将にして才気煥発さいきかんぱつの智将だと信じ込んでおり、己の行動や発案への他者からの反対や否定の意見はまったく聞こうとしない。

 そして、国の命運がかった防衛戦だろうと、癇癪かんしゃくを起せば援軍の派遣を差し止める程度の妨害は平然とやらかす、そういう悪質な馬鹿だ。

 用件を聞くだけ聞いて早々に終わらせるか――二度、三度と頭を振ってから手櫛てぐしで髪を整え、扉を開けに行く。


「あぁ……しばらくぶりだな、ベル」


 扉の先には盛装せいそうまとったクリス本人と、先程やりとりした声の主と思しき巨漢の佐官が立っていた。

 口ばかり達者な臆病おくびょう者が安全圏の帝都から出てくるとは、どういう風の吹き回しだろうか。

 そんな不審感を更に刺激する要素として、なまぐさい臭いと複数の気配が二人の背後から漂ってくる。


「……皇妃陛下と呼べ、軍務卿。不敬な態度は許さぬ」

「ヘッ、名ばかりの皇妃が――いや、訂正しよう。悪名あくみょうばかりの皇妃だった」


 下らない雑言ぞうごんに、巨漢は追従ついしょう空笑からわらいを響かせる。

 身分やら何やらがどれだけ変わっても、クリスの下世話で不快な性格に変化がない。

 逆に感心するな、と思いながら鍛錬たんれんをサボった肥満気味の長身を見遣みやると、右の袖口に細かく血痕が散っているのに気付いた。

 私についている護衛を斬ったとなると、つまりはそういうことか――


「このに及んで謀叛むほんを起こすか、クリスティアン。前々からがたい阿呆だと思っていたが、まさかここまで潮目しおめが読めないとは」

「謀叛とは心外だ。国威をそこない、国政をまどわせたあんたらには御退位を願い、新帝によるブラウトリア復興をこころざしただけのこと」

「それを謀叛と呼ぶのだ、慮外者りょがいものめが。お前のような馬の骨が皇帝となって、臣民が従うわけがなかろう……思い上がりも大概にせよ!」


 ありったけの軽蔑けいべつを込めてなじるが、クリスはまるでこたえた様子もなく、薄ら笑いを浮かべて見据えてくる。

 この不気味なまでの余裕は、一体どこから来ているのか。

 私とガスパールを幽閉するなり処刑するなりして実権を奪おうと、それで革命軍と連盟軍の攻勢は止められないだろう。


「新帝として至尊しそんの座にくのは、第三皇子のゲオルク殿下……オレは摂政せっしょうとして、その統治を補佐する」

「阿呆が……統治しようにも、ヴィスギア要塞が落ちれば帝国は終わりだ。そして、要塞を守るべき兵は失われておる。我が軍にはもう敵を押し返せるすべはないのだと、何故わからぬ……お前の野望は既に、画餅がべいですらない妄想だ」


 鈍すぎる頭にも理解できるよう説明してやるが、クリスは腹の立つ笑顔を崩さない。

 隣でハデに目を泳がせているデカブツの方が、まだ現状を把握はあくできている気配がある。

 芝居がかったポーズで溜息を吐いたクリスは、私を指差しながら語り始めた。

 

「そんな問題を丸ごと解決してくれるのが、ベルの存在じゃないか」

「フン……私を生贄いけにえに差し出して、それで国とお前らの命数めいすうながらえようとの腹積はらづもりか」

「暴虐皇妃の首一つで、国と民が揃って救えるんなら安いモンだろ?」

「救えるなら、な。考えてもみるがよい、クリス。お前が革命軍を壊滅寸前まで追い詰めたとする。その状況で、先方が『軍師のテオドール・ユンカーは投降する。だが、他の幹部と将兵は無罪放免を約束しろ。それと占領地は絶対に手放さないし自治権を要求する』などと言ってきたなら、どう応じる?」


 やっと想像力が追い付いたのか、クリスの鬱陶うっとうしい笑顔にヒビが入る。

 どうせだから、都合のいい妄想も粉々に砕いておくとしよう。


「ここに至っては、現段階で無条件降伏しようが、徹底抗戦の末に征服されようが、我らの末路は変わらぬ。侵略を主導したと見做みなされる者は、一人残らず処刑されるであろう。恐らくは皇子や皇女、外戚連中もまぬがれん。当然ながら前参謀総長、現軍務卿たるお前も刑場行きだ……いや、処刑前の拷問に耐えられるかどうか」

「馬鹿なっ……そんな馬鹿なことが、許されるとでも……っ!」

「許されるさ、それが勝者の権利だからな。帝国が占領地で何をしてきたのか、お前もよく知っているであろう」

「そっ、それは何もかも、ベルが……」


 半笑いで言い放てば、クリスは蒼白な顔で返してくる。

 自分の嘘を信じ切れてないのか、途中からはろくに聞き取れない小声で。

 いい加減ウンザリなので、闖入者ちんにゅうしゃコンビは放置することに。

 どうするつもりか知らないが、今はもうどうにもならない状況なのだ。


 別のワインを開けようと、棚から古そうな白を選ぶ。

 ラベルを見れば、私が学園に通っていた頃の、三十年前の数字が記されていた。

 あそこで自分の感情に従い、別の生き方を選んでおけば、こんな結末おしまいには――と、感傷的な気分が湧き上がったのを、唐突な背中の痛みにさえぎられる。

 咄嗟とっさに一歩、二歩と前方に踏み出し、ボトルを逆さに持って振り返れば、腰のサーベルを抜いたクリスが、焦点の合わない血走った眼を向けながらわめく。


「帝国は滅びぬぅううっ! オレとぉ、オレの子がっ! 永遠に! 永遠のっ!」


 なるほど、ゲオルクは側妃ペトロネラとクリスの不義の子か。

 最後の最後に、カスのような醜聞スキャンダルを知らされるとは。


「総員! 皇妃陛下を拘束!」


 デカブツの指示に応じ、扉の外で待機していた兵士たちが雪崩れ込んでくる。

 頭に血が上り、計画の内容が飛んでいる様子のクリスは、殺意満点で体ごとサーベルを突き出してきた。

 どうにもゆる刺突しとつかわし、手にしたボトルをクリスの横面に叩き付ける――が、過度の興奮で痛覚その他が麻痺まひしているのか、構わずに突進を続けて刃先で腹を深々とえぐられる。


「ぐっ――ふうぁ、あぅ……」


 呪いの言葉の一つでも残そうとしたが、声は形にならずうめきになってこぼれた。

 虜囚りょしゅうとして利用されるのも、死屍ししを晒されるのも、どちらも避けたい。

 となれば、選べる先は一箇所いっかしょしかない。


 白ワインをかぶったクリスを蹴って突き放し。

 押し寄せる兵士たちの伸ばす手をくぐり。

 激痛にさいなまれながら窓枠へ飛び乗って。

 息を詰め、背中から虚空こくうに身をおどらせた。


 そして、永遠にも感じられる何秒かが過ぎていく。

 様々なことを考えたように思えるが、空の青さを眺めていただけな気もする。

 ふと、鼓膜こまくが風を切る音ではない何かをとらえた瞬間。

 意識が薄れて視界が暗転し、頭部にただならぬ衝撃が――

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