第3話 壊れたのは唯一の可能性

 事前の打診だしんで会談場所にヴィスギア要塞を提案したが、先方は古都シュメイン郊外リヒテルの丘にある『立志りっしの神殿』を指定してきた。

 かつてこの地にあったローフィス王国の元将軍であり、ブラウトリア王家の祖となった聖王マンフレートが、狂った王の暴政によって荒廃した国を救済するちかいを立てた――との伝説が残る、この国にとっての聖地である神殿の遺跡。


 そして、連盟の中核をしているウィンデン共和国が、王国時代のブラウトリアに大敗した後、国土の三割を割譲かつじょうし莫大な賠償金ばいしょうきんを支払う屈辱的な講和条約を締結ていけつさせられた、因縁の地でもある。

 聖地であるがゆえに下手な工作は仕掛けられそうもなく、過去の意趣返いしゅがえしも出来るので目の付け所はいい。

 しむらくは、最悪の未来を回避するためなら聖地の破壊も躊躇ちゅうちょしない人間がここにいる、という不運だ。


 会談の場に立志の神殿を指定される確率は、相当に高いと予測していた。

 ならば、そこに罠を仕掛けてやるのが道理どうりというもの。

 以前の調査で、神殿の地下には巨大な空洞があると確認してある。

 正確な広さは不明だが、高さだけで十数メートルはあるとの報告だ。

 既に、合図と同時に巨大な落とし穴を発動させる準備は終わっている。

 いくら警戒していても、神殿が丸ごと落下するカラクリは見抜けまい。


 数日もすれば会談の日時が決定し、一時的な停戦も行われるだろう。

 そして私は、革命軍と連盟軍の中枢と共に瓦礫がれきの中に消える。

 となればかさず、ジギーの率いる親衛軍――貴族の子弟ばかりの帝都の役立たず第一、第二とは違う、歴戦の親衛第三師団を中心とした帝国の残存兵力が、混乱している敵軍を壊滅させるはず。

 

 事後の我が悪名は空前絶後となるだろうが、それも最早もはやどうでもいい。

 唯一の心残りは、ジークムントジギーに別れの挨拶をする余裕がないこと、だな。

 ここは遺言がてら、簡単な手紙でもしたためておくべきだろうか――



          ※※※※※



 ジギーと秘密裏ひみつりに連絡を交わし、計画を最終段階に進めてから五日。

 革命軍と連盟軍の首脳部を道連れに自爆する準備は、着々と完成に近付いていた。

 立志りっしの神殿での会談は明後日の開催と決まり、昨日から両軍は積極的な戦闘行為を停止している。

 全ては順調に推移し、このまま何も起こらないのを祈るばかりだったが――


「ほっ、報告、致しますっ! ヴィスギア要塞の親衛第三師団が出撃、第十二軍と合流した後、敵主力が集結するクンドゥナ平原にて決戦をいどむ、との連絡がっ!」


 顔面蒼白そうはくの将校が駆け込んできて、怒鳴るように告げる。

 久方ぶりに落ち着きを取り戻していた会議室が、一瞬にして凍りついた。


「……はぁ!?」


 無意識に立ち上がり、間抜けな声を漏らしてしまう。

 信じ難い言葉を咀嚼そしゃくしきれず、頭の芯にしびれが拡がった。

 相手が圧倒的優勢だというのに、正面から敵軍主力に突撃する?

 というか、あんなにも慎重に進めていたニセ会談はどうなった?

 エンラント大公ジギーは当初、私の死を前提とした計画に難色を示していたが、何度も説得して「これしか道はない」と納得させたのに、どうしてこんな――


「馬鹿な! 現在の兵力差では正面からの攻撃など自殺行為だ!」

「大公は気でも触れたのか! 作戦の即時中止を伝えよ!」


 参謀たちの怒声で、危うく飛びかけた意識を引き戻す。

 そうだ、独断で作戦を変更するにしても、あまりにも無謀すぎる。

 第十二軍は宣伝のため「祖国防衛の切札きりふだ」のような扱いをしてあるが、その内実は第四、第九師団の敗残兵を中心に再編成した急造部隊。

 兵の質はともかく、士気は最低に近いし兵力も通常の一個軍の半数に満たない。

 そんな状態の兵を攻勢にもちいる危険は、ジギーであれば百も承知のはず。

 何が起きたかを考えている内に、最悪な事態の予想に辿り着いてしまった。


「……もしや、フェルディナントが要塞に向かったのか」

「ハッ! 伝令よりの報告では、皇太子殿下がヴィスギア要塞へと入城し、元帥との会談の後に麾下きか全軍の指揮権を移譲いじょうされ、御自おんみずから出陣し賊軍を掃滅そうめつすると――」

「そういう寝言はどうでもよい。出撃は何時いつのことだ」

「昨日の日没後、であります!」

「つまり要塞の兵力と十二軍は、もう既に……」


 指揮能力が皆無なフェルディナントでも、彼我ひがの距離からして戦闘を開始しているだろう。

 そしてフェルディナントの無能ぶりでは、惨敗をきっしたのは勿論、討ち死にの可能性も高い。

 帝国を救う最後の機会は失われた――父子揃って、どこまでも私の邪魔をする!

 国を守ろうと、民を救おうと、命を捨てる覚悟すら踏みにじるとは!


「ふっ、ふふふふふっ……ふはっ、ははははははははははははっ!」


 片手で顔をおおって高笑いをする私に、参謀たちが狂人を見る目を向けてくる。

 衝撃のあまり心が壊れた、とでも思っているのだろうか。

 残念ながら、私の心などうの昔についえてくずれ、跡形もなく消え失せている。

 存在せぬものは、壊れもしない――壊れたのは唯一の可能性。


 絶望的な惨敗を回避し、僅かなりとも希望が残る講和にぎ付ける。

 そのために苦心惨憺くしんさんたんの末に組み立てた計画が、のこした国を受け継ぐはずの皇太子によって粉砕されるとは、何とも笑えぬ冗談だ。

 フェルディナントの狷介けんかい傲慢ごうまんな性格は、どうやら最後まで矯正きょうせいできなかったらしい。


 私が産んだ嫡子――に偽装しろとガスパールに命じられた、血の繋がらない息子。

 それでも愛情をもって育てようとしたが、私は何もさせてもらえなかった。

 教育係は胡乱うろんな帝王学を叩き込み、実母である側妃マルガレーテはベタベタに甘やかし、側近にはイエスマンと巧言令色こうげんれいしょくの徒が勢揃い。

 あやまりをただす者はなく、癇癪かんしゃくを止める者もない。

 学業的にも知能的にも問題なかったが、成長後の人間性には大いに問題があった。


「して、大公は如何いかがしたのだ。よもや、フェルディナントあのバカの愚行には付き合うまい」

「それが、情報が錯綜さくそうしておりまして……殿下と共に出陣したとの証言もあれば、要塞の地下牢に収監されたとの説や、出撃要請を拒否して処刑されたという話も」

「……然様さようか」


 何があったにせよ、変事を伝える連絡がないので、ジギーは無事ではあるまい。

 投げりに椅子に腰を下ろし、天井をあおいで深く長い溜息を吐く。

 魂なんてものが本当にあるなら、きっとこの数十秒間に放出されているだろう。

 重量感たっぷりの沈黙が続く中、汗だくの伝令が扉を蹴破けやぶるようにして会議室に入ってくる。


「報告っ! フェルディナント殿下率いる我が軍は、クンドゥナ平原にて賊軍へと強襲をかけるも敗退! 激甚げきじんたる損害をこうむり敵の包囲下に!」

「いっ、いまだに抵抗を続けておる、のか?」

「組織的な抵抗は既になく、包囲された兵の大半は降伏した模様! 脱出に成功した残存兵力は、西方のシュメインへと退避しております!」

「それで、殿下は……フェルディナント殿下は、無事であろうな?」

「小官が出立しゅったつする時点では、安否不明であります!」


 馬を走らせ続けたのであろう伝令は、細かく震える手で敬礼したまま、片眼鏡モノクルの将軍の質問に答える。

 既に動かしようがない状況だったが、それでも軍の壊滅が完全に確定した事実は、私にも深刻な精神的打撃をもたらした。

 決めるべきこと命じるべきことは無数にあるが、まともな思考が不可能に近い――少しばかり、落ち着くための時間を貰うとしよう。

 私は席を立ち、狼狽ろうばいを悟られないよう演技しながら告げる。


「戦況の急変への対応を考えねばならぬ……しばひとりになり、西の塔にて策を練る」

「わっ、我々はどのように……」

「そなたらは、シュメインからの撤退命令と帝都への増援要請を出した後は……クンドゥナの敵軍の動静を中心に情報収集を急ぐがよい」

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