第2話 悪名も時には役に立つ

「ほっ、報告いたし、ますっ――皇太子殿下、御出陣! てっ、帝都を出立しゅったつし、東下とうかの最中、とのよしっ」


 苦しげな伝令の言葉に、会議室は大きくどよめく。

 反応はポジティブとネガティブが1:9、といったところか。

 皇族、それも皇太子が戦陣にれば、前線の兵士の士気は間違いなく高まる。

 その一方で、無能なフェルディナントが戦闘指揮に口を挟んだり、自ら兵を率いて戦闘に参加したりの行動に出れば、現場は大混乱に陥るだろう。

 余計なことをしてくれる、との愚痴を飲み込んで下問かもんする。


「して、連れている兵力は」

「殿下の他は、供回ともまわりりのみ、かと。道中で義勇兵を募りながら、ここハインベルグに向かう、との御触おふれが」

「ふむ……御苦労であったな、休むがよい」


 伝令を下がらせると、室内では再び喧々囂々けんけんごうごうの議論が始まる。

 既に兵力となる市民は徴兵し尽くしている――老人や子供を引き連れたフェルディナントバカ息子の得意顔を想像すると、胸焼けに似た不快感が湧き上がった。

 ともあれ、これ以上の予想外が起こる前に、計画を実行に移すべきだろう。

 そう判断した私は、かたわらの従士じゅうしに合図して近くに寄らせ、指示を耳打ちした。

 一瞬だけ表情をゆがめた従士だが、無言でうなづくと足早に会議室を出て行った。


 しかしながら、これは計画と呼べる程のものだろうか。

 そんな自嘲じちょう脳裏のうりよぎってしまう。

 まずは和平交渉の席に、革命軍と連盟軍の指導者たちを引っ張り出せるかどうか。

 以前に行われた停戦交渉と異なり、帝国の体制維持すら危うくなる条件を提示している。

 帝国を完全に滅亡させ、皇族や貴族を片端から処刑したい革命軍が拒絶しても、連盟軍には魅力的に映る内容に仕上がっているはず。


 敗北が明らかな状況では、和平を申し出ても意味がないように思われるが、話はそう単純ではない。

 戦争というものは、勝ち負けよりも「勝ち方」「負け方」が重要になるのだ。

 華々しい大勝利を収めたところで、得られるのが焼け野原と空の倉庫と飢えた民では、勝者にとって何の益もない。


 だからこそ、戦後の帝国からの収奪に興味が移っている連盟の国々にしてみれば、徹底抗戦で国土を荒らされ帝都を炎上させるのは避けたいだろう。

 それに、大陸を戦乱に巻き込んだ元凶ともくされる暴虐皇妃ぼうぎゃくこうひが、慈悲じひうてこうべれる姿を見てみたい、といった下世話な期待もあるに違いない。


「フッ――」


 悪名も時には役に立つ、という思いが乾いた笑いを生じさせる。

 メービウス侯爵家の長女、ベレンガリアとして生をけたのが四十六年前。

 父の命で王弟エンラント大公ハインリヒの嫡子、ガスパールと婚約したのが六歳の時。

 王族の一員たるべく文武の教育を十二年受け、ガスパールの妻となったのが十八の夏。

 至尊しそんを望むガスパールのため、父リヒャルトと共に権謀術数けんぼうじゅつすうを駆使し、三年でブラウトリアの王位を簒奪さんだつしてみせた。

 

 王族との結婚など望んでいないし、王妃の地位を欲してもいなかった。

 しかし、責任ある立場となったからには相応ふさわしい振る舞いをしなければ、との想いだけで自身の能力が及ぶ限りの貢献こうけんを続けた。

 内政と軍事の両面で改革を主導し、反対派や抵抗勢力を排除しながら、国力を高めるべく邁進まいしんすること五年。

 その結果が、隣国であったゼーン共和国への侵攻と占領後の併合、そして大陸統一をかかげる覇権国家『ブラウトリア帝国』と皇帝ガスパール一世の誕生だ。


「であるから、このアルモの丘陵きゅうりょう地帯へと賊軍主力を誘導し、我が軍の精兵による短期決戦を挑むべきで――」

「馬鹿馬鹿しい」

「ぅはっ?」


 中身のない軍議を聞き流していたら、つい夫への愚痴が漏れ出てしまった。

 とは言え、この参謀の主張も馬鹿げているので、一応は釘を刺しておくか。


「誘導すると簡単に言ってくれるが、その方策は如何いかに」

「それは……欺瞞ぎまん情報を用いるなどで、賊軍の司令部を混乱せしめ……」

「具体的な案がなければ口を閉じておれ、阿呆が。そもそも、精兵などもう帝国にはらぬわ。装備だけは上等な親衛軍が帝都と要塞に籠もっとるがの」


 冷笑交じりに言い放てば、会議室に重たい沈黙が下りる。

 高級参謀たちが顔色を悪くしてうつむくのを他所よそに、若手将校たちは各地で孤立している部隊の救援計画の検討を始めた。

 思いがけない流れに、ついつい冷笑ではない笑みが浮かぶ。

 どんな状況だろうと、全てを諦めるのでなければ足掻あがかねばならない。

 私もそうやって、深まる絶望の中でも最善を選び取ろうと、血を吐くような苦労を重ねてきた。


 非現実的な出兵計画の修正と代替案の作成、度重たびかさなる増税と徴兵対象の拡大が招いた暴動やデモの鎮圧、占領地における統治システムの構築と不穏ふおん分子の監視、反逆が疑われた貴族や豪商の粛清しゅくせい、暗殺やテロを繰り返す反政府組織の摘発と関係者の処分――


 無能が大集合した国政を破綻はたんさせないよう、ガスパールの命令や高官たちの依頼に応じるまま、あらゆる分野に手出し口出しをする役回りとなってしまった。

 その結果が、皇帝を傀儡かいらいにして独裁体制をき、軍を私物化して際限なく侵略戦争を繰り広げ、民衆をしいたげて過酷な収奪を重ね贅沢三昧ぜいたくざんまいに暮らし、疑心暗鬼ぎしんあんきに駆られて無辜むこの人々を捕えては処刑する『暴虐皇妃ベレンガリア』の悪評だ。


 為政者であるからには、当然ながら清廉潔白せいれんけっぱくではいられない。

 少なからず手を汚してきたし、それを悪と言われればその通りではある。

 だが、皇帝と側妃の放蕩ほうとうや、軍部の暴走までも私のせいにされるのは、流石に得心とくしんが行かぬというもの。

 抗議の声を上げようと誰も聞かぬだろうし、聞いても「笑うべき自己正当化」程度の扱いで終わるのは想像にかたくないが。


「皇妃陛下、ヴィスギア要塞のエンラント大公より、捕虜ほりょ処遇しょぐうに関する問い合わせが」

「それについては、命令書を預けた従士を送っておる」


 初老の参謀からの報告に応じながら、また一つ段階が進んだのを知る。

 計画は既に動き出している――捕虜交換を口実にして敵陣に特使を何度か送り、降伏に近い条件での和平を求めているのは通告済みだ。

 従士にたくした命令書には、交渉の場に自分がおもむむね符牒ふちょうしるしてある。

 

 現エンラント大公ジークムントは、兄のガスパールと違って内政にも外交にも理解があり、元帥の地位に相応ふさわしい軍事的才能にも恵まれている。

 開戦後に次々と発生した反乱や暴動の鎮圧と、その後の治安回復に各地を奔走ほんそうしていたのだが、いよいよ侵攻が危機的状況だと判断したガスパールが、本土防衛最後の砦と言うべきヴィスギア要塞の守備を命じたのが二月ふたつき前のこと。


 反攻作戦の指揮をジークムントに任せろと、私は開戦直後から進言してきた。

 なのにあの阿呆は、将兵や市民に人気の高い弟が華々しい武勲ぶくんを立てることで、己の地位が脅かされるのではと警戒して首肯しゅこうしない。

 そして、肩書と家門かもんばかり立派な無能を司令官に任じ、大敗をきっしたら更迭こうてつしてまた別の無能にげ替える、悪ふざけのような采配さいはいを繰り返し戦況を悪化させ続けた。


 こうなればもう親征しんせいしかない、というところでガスパールは皇妃である私を皇帝の全権代理に指名し、ジークムントを補佐に任ずる勅命ちょくめいを発した。

 せめて一年前にそうしてくれたなら、いくらでも挽回する手段はあった。

 実際、複数の計画を提出していたのだが、途中で握り潰されたのか届いても無視されたのか、一顧いっこだにされず無視され続けた。

 もはや公式行事でしか顔を合わせぬ関係だったとは言え、誰が自分を玉座にけたのかすら忘れているのか。


「まぁ、彼奴あやつなら何とかするであろう」

「えぇと……申し訳ありませんが、今一度いまいちどよろしいですか」


 半ば無意識の呟きを通常の発言と思われ、問い返されてしまう。

 それを扇を振って無言で制し「何でもない」と伝える。

 ジークムント……ジギーとも四十年の付き合いになるか。

 実弟よりも付き合いが長く、名実共に最も近しい家族と言える相手。

 そんな存在だからこそ、かろうじて頼むことができた。


 直接会談による講和――暴虐皇妃に降伏宣言命乞いを述べさせる完全勝利。

 これが、革命軍と連盟軍の首脳部を釣り出すエサ。

 我が義弟ジギーは、このエサを利用した計画の重要人物だ。

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