第36話 翌日

 翌日は案の定二日酔いになり、セドリック特製の「二日酔い汁」を飲まされた。


 確かによく効くのだが、臭くて美味しいとはいえないものを強制的に飲まされるので、心にも良くない影響を及ぼす。


 こういう時にアルコールに強い兄弟は平然としているのが面憎い。


 午後にはなんとか持ち直して事務棟のフロントに顔を出し、明日チェックアウトすることを申し出た。


 兄弟が継続して宿泊する予定なので、アデルの分だけ料金を計算して請求してほしいとお願いをした。


 忙しい時にややこしいことをお願いしているので、今すぐにとは言えないので、作成できたら呼び出してほしいと一旦コテージに戻ってきた。


 コテージは掃除をしているソフィーのみで、セドリックとティエリはルヴロワへ行っている。


 セドリックは農業試験場の野菜の即売会に、ティエリはゼーファールトにいた時にお世話になった先輩がいるので挨拶に行ってくると言っていた。


 昨夜は泣き通しで、今日は瞼が見事に腫れて一重になっていたが、訪問先でもちゃんと認識してもらえるだろうかと疑問が湧く。


 ソフィーが掃除の手を止めて紅茶を淹れてくれた。


 お辞儀をしてティールームから下がったメイドは、それから数十分後にまた現れた。


 スターレンスと宿泊支配人のセルヴェが来ているとのことだったので、ここへ通すように言った。


 チェックアウトの手続きと、諸経費を出してほしいと言ったので諸々の書類を持って出向いてくれたのだ。


 お忙しいところありがとうございますとお礼を言うと、スターレンスとセルヴェは揃って頭を下げた。


 席に着いたら、書類に目を通して疑問点や不備がないかを確認したが、諸経費まできっちりと割り出して算出してある。


 曖昧にしないところは好感が持てた。


 アデルは了承し、書類にサインをして、小切手を切った。


「今まで色々とありがとうございました。ここでの滞在はとても快適でした」


「光栄でございます。アデル様にはひとかたならぬご愛顧をいただき、こちらこそお礼を申し上げます」


 双方の挨拶を終えた時、フロント係が呼んでいるのでとページボーイがセルヴェを迎えに来た。


 セルヴェはお詫びをしてから席を立ち、アデルとスターレンスが残された。


「昨日はすみませんでした。うちの弟が迷惑をかけまして」

 彼にはまず、昨夜のことを詫びなくてはならなかった。


 仕事終わりに立ち寄ったばかりに、泥酔したティエリの愚痴を二時間近く聞かされる羽目になってしまったのだ。


「いいえ、美味しい料理をご馳走になりましたし」

 スターレンスはにっこりと笑って言い切った。


 社交辞令なのかもしれないが、調理に関しては英才教育を受けてきた兄弟が作る品々は確かに美味しかった。


 たとえ酔っ払っていてもあの品質を出せるのだから、あながちスターレンスの言うことは世辞ばかりではないのだろう。


「それに、ティエリ様はお相手の方を本当に好きだったんだと思います。その方の幸せを今はちゃんとお祝いして差し上げているのですから立派です」


 彼女が幸せになるなら、と泣きながら何度も言っていた。

 

 好きになった人だから、幸せに笑っていてほしい。


 それが一番できるのは自分でなく他の男だっただけ、と。


 アデルにしても、弟の変わらない優しさと、その女性に対する愛情の深さを知ることができた。


 そしてその分、傷が深いことも。


「ここの温泉が失恋にも効くといいのにと思います」

 アデルは吐息と共にこぼした。


 恋をなくした心の傷は、効能高いルヴロワの湯でも治せない。


 そんな有効成分がこの世に存在するかもわからないので、二人は顔を見合わせてから苦笑いして肩を竦めた。


「……昨日のワーテルゾーイ、あれはアデル様がお作りになったのでしょうか」

 スターレンスは話の隙を見て問いかけてきた。


「はい。よくわかりましたね」


 ワーテルゾーイはどちらかというと家庭料理なので、兄弟の手の込んだ料理と並ぶと一目瞭然だったのかもしれない。


「母方の祖母が北西部の出身なので、遊びに行くと鶏肉入りのものをよく作ってくれました。懐かしい味です」


 ワーテルゾーイは煮込み料理で、地方によって具材は様々変わる。

 海沿いの地域では魚介を使うし、内陸では川魚を使ったりする。


 中でも、北西部では鶏肉を使うのが一般的で『ゲント風ワーテルゾーイワーテルゾーイ・ア・ラ・ゲント』として知れ渡っている。


「私も一応料理人をしていましたので、その料理をどんな人が作ったのか、何となくですがわかります」


 セドリックは正確に計算しながらも新しい香辛料を使って斬新な一品を作り、ティエリは大胆でありながら味付けは細部にまで行き届いている。


「アデル様のお料理は、心が安らかになります。優しいお人柄が出ているのですね」


 アデルは徐々に顔に血が上っていくのがわかったが、どうすることもできない。


 褒められて嬉し恥ずかしいのもあり、目の前のスターレンスが微笑んでいるのを見てどきどきするのもあり、熱を帯びた血が駆け巡るのを止める手立てはなかった。


 だが、それも廊下を走って来る足音で中断された。


「失礼します。今、丘の麓番から知らせが来たのですが、セドリック様とティエリ様がお客様を連れてお戻りになります」


 麓番はロープウェイで馬番に伝え、馬番からフロントへ、そしてソフィーに伝言してきたのだ。


「それは大変。スターレンスさん、ここを出た方がいいです」


 話しを聞いてくれるスターレンスがいると、また昨夜のようにティエリにうざ絡みされるのは目に見えている。


 照れを大袈裟に騒ぐことで上書きして、アデルは急かすように追い立てた。

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