第34話 ティエリ
小さい時から体があまり丈夫ではなく、季節の変わり目や無理をしたりすると何日も寝込んでしまうような子だった。
遠出をすることもほとんどなかったので肌は
兄や姉が外出するとお土産に何が欲しいか尋ねると、必ず本を買ってきて欲しいとねだる程の読書家だった。
心根の優しい弟を兄姉は可愛がり、兄弟仲は良好だった。
事務棟に入ってフロントカウンターに来れば、ラウンジはすぐ目の前にある。
ソファに座っていた男性は足音に気づいて振り返り、席を立った。
「兄上! 姉上!」
呼び掛けられたが、セドリックの足は止まり、それどころか数歩後ずさりした。
「……え? ティ、ティエリ?」
兄と同じミルクチョコレート色の髪に、姉と同じサファイアのような青い瞳で顔の造作もよく似ている。
どう見ても弟のティエリなのだが、セドリックは俄には受け入れ難かった。
「そうだよ、兄上。久し振り!」
そう言って抱きついてきた腕は柱のように頑丈で、セドリックでも簡単には振り解けそうにはなかった。
背が伸びたようで上から覆うように被さり、シャツの背面はもう少し力を入れたら生地が裂けるのではないかというくらいに張り、ボタンを外して広げている襟元からは胸筋の割れ目が見える。
「また日に焼けたようね。海上勤務だったの?」
アデルが問いかけると腕を解き、今度は姉を抱き締めた。
「うん、三ヶ月程だけど。姉上も年末振りだよね」
二人を見比べると、肩は倍くらい厚みがあり、官庁勤めだったなまっ白いアデルと海焼けしているティエリの差は面白いくらい歴然としている。
五年前別れた時は、ハンガーに上着が掛けられているような鶏ガラだったのに、今は新大陸の南の海の海賊を取り締まるゴリゴリの海兵のようになっている。
実際に第二騎士団の立派な海兵なのだが。
「妹といい弟といい……感動の再会なんて現実にはねえんだな……」
再会のラウンジはいつも驚愕と混乱と共にある。
自分のことは棚に上げて、セドリックは半ば呆けたように呟いた。
◇
本館での会議を終えて別館へ戻る途中、丘の麓にある送迎馬車を呼び出す小屋から係員が出てきたので馬車はゆっくりと停まった。
「お疲れ様です、総支配人」
ページボーイの制服を着た青年が声を掛けてきた。
ギレム兄妹への面会を求める人々をここで謝絶するために順繰りに配置しているのだ。
「お疲れ様です。今日は何人くらいですか?」
「三組です」
この時間で三組なら前日より半減した。面会謝絶が浸透してきているお陰だろうか。
「ですが、一人だけお通ししました」
アデルとセドリックの弟と名乗る人物だったので、と係員は続けた。
スターレンスが片方の眉を上げると、係員は侯爵家の書状を持っていたと慌てて付け加える。
書状というなら侯爵家の紋章入りの用紙のはずだし、別館の職員には念のために紋章を周知してあるので見間違えようはない。
「それに、髪の色はセドリック様と同じで、お顔はアデル様によく似ている、ゴリ……とても体格のよい方でした」
言い止めた言葉が気になるが、彼がそう判断して上に通したとしても、もし相違があればラウンジで支配人が阻止しているはずだ。
とにかく戻れば状況は見えてくるので、係員には労いの言葉を掛けて丘を登った。
事務棟に入ると総支配人室に向かい、鞄の中身を机に出していると宿泊支配人のセルヴェが早速来た。
「お疲れのところ申し訳ありません、スターレンスさん。早急に報告があります」
「ギレム様の件ですか?」
「はい。ティエリ・ド・ギレム様が今夜から『五番』に宿泊なさいます」
セルヴェは数時間前の顛末を話して聞かせてくれた。
もちろん書状も精査してから、ギレム兄妹を呼びに行ったと、所定の確認作業をしたと報告した。
そして、携えている書類袋の中から侯爵家の書状と、見たことのある封筒を渡して寄越した。
最終決裁として、総支配人であるスターレンスも確認しなくてはならないので、一通り目を通した。
紋章は間違いなくサンゼイユ侯爵のものであり、封筒を閉じている封蝋も前回と同じもので、中身もサイン済みの金額の書いていない小切手だった。
「間違いはないようですね」
「今回はセドリック様の時と違い、お顔がはっきりと見えましたので、私もご血縁であると当初から確信しておりました」
麓の係員といいセルヴェといい、随分と言い切る。
「『五番』はまだベッドの余裕もありますし、ギレム様は食事もほとんどご自身で用意しているので人数追加でも問題はないでしょう」
「セドリック様が先程フロントにお見えになりまして同じことを仰っていました。自分達のことは自分達でやるので、いつも通り掃除とリネンの交換だけでいい、と」
手が掛かるのか掛からないのかよくわからなくなってきたが、しっかりとした収益になっていることは間違いないので無碍にはできない。
それから各部門の支配人を臨時で集めて打ち合わせを行い、対応の確認をした。
それが終わる頃には、もう終業の時間に近かった。
会議に出ている間に溜まった書類にサインをして総務に預けに行くと、セルヴェが声を掛けてきた。
その傍らには客室メイドのソフィーがいる。
「ああ、スターレンスさん。ちょうどよかった」
ギレム兄妹の件で報告があるという。
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