ワーテルゾーイ

第33話 トースト

 夜会の次の日はアデルもセドリックも昼近くに起き上がり、案の定筋肉痛になったので無理はせずにルームサービスを頼んだ。


 食後に宿泊支配人のセルヴェが来て来客対応をどうするか聞かれたので、今日明日は断ってほしいとお願いした。


 目立ってしまったので、来客は土用波のように押し寄せてくるだろうが、さすがに応対する余裕はないので申し訳ないと思いつつもそういう措置をお願いした。


「五年も社交界に顔を出してなかったお兄様が出席したのですから、色々憶測が飛び交っているのでしょう」

「いや、俺だけじゃねえだろう。侯爵令嬢で男装の麗人のせいじゃねえのか」


 お互いに事態のなすり付けをするが、要因は一つだけではなく、それぞれ当てはまるのでそれ以上の言及することは避けた。


 結局、次の日も同じようなサイクルで過ごしてしまい、さすがにこれではいかんと三日目の朝はきちんと起きてトーストとサラダを作った。


「近いうちにチェックアウトした方がよさそうですね」

 その日も昼頃から起きてきたセドリックにブランチを作り、アデルもランチを共にした時に切り出した。


「え? 帰んの?」

「そろそろ懐も心許なくなってきましたし、もう充分余暇を満喫できました」


 本来ならもうとっくにそうしているはずだったのだが、夜会に出席することになったので延長していたのだ。


 しかも、延長分はホテル側の負担で。

 ホテルの要請があったからでもあるが、だからとてそれにいつまでもぶら下がっている訳にはいかない。


「父ちゃんの小切手があるから、まだ大丈夫だぞ」

「それは、お父様がお兄様に充てたものです。私は自分のお金で過ごすと最初から決めておりましたので」


 自分で稼いだお金で余暇を過ごすのが目的だったのだ。

 資金がなくなれば、否応なくそこで終了になる。


 兄がここへ来た目的とはまた違うので、ゴールを同じにする必要はない。


「帰ってどうすんだ? 花嫁修行でもやり直すのか?」


 もう充分嫁き遅れだ。貰い手も限られてくる。


 再就職先か嫁ぎ先が見つからなければ、しばらくは父の手伝いをするつもりだ。


「まあ、官庁でそこそこ勤め上げたお前が手伝うなら、父ちゃんも助かるだろうよ」

「結婚できなかったら、お兄様の子供の付添人シャペロンにでもなります。小姑として屋敷に居着きますからよろしく」

「早く結婚しろ。そして、屋敷から出て行け」

「今のところ対象がいないので」

「まったくないのか?」

 その問いには頷いて答えた。


 言い訳かもしれないが、今まで仕事が辛いながらもやり甲斐があったので、よそ見をする暇がなかった。


 気づいたらこの歳になってしまっていたのだ。


 同年代の友人や同僚はすでに子育てをしているのに、自分はその何段階も手前で止まっている。


「うちは政略結婚なしだからな」

 セドリックがぼそりとこぼした。


 通常の有爵家庭なら、本人の意思はなく、家と家との結びつきのために幼い頃から親に決められた結婚相手がいるものだ。


 だが、ギレム家は母がそれに異議を呈し、子供達は自分で決めた相手と結婚するようにと言い聞かせている。


 結婚して一緒にいればいずれ反りが合わなくなったり、ずれや溝ができる時がくる。


 初めのうちは相手に合わせたりもするが、それも限度がある。


 そうなった時に、押しつけられた婚姻関係ならば離婚はできず夫婦関係は破綻したまま空しい月日を消費するだけになってしまうが、自分で決めたことならば選んだ責任と覚悟があるので妥協も恭順も自らの意思でする。


 受動であるか能動であるか、それだけで心根と行く道も変わってくるのだ。


「母ちゃんは自分が恋愛結婚だったからな。愛があれば何があっても乗り越えられると疑ってねえんだよな」


 平民が貴族に嫁いだとなれば、様々な波風がある。


 それを愛情という名のど根性で乗り越えてきた母の信条は、慣習などよりも生々しくその重要性を今もなお顕示し続けているのだ。


 政略結婚などという既得権益に甘えるなという母の教訓を、兄弟はしっかり踏襲しているせいで未だに全員独身だ。


「そういうお兄様こそ、向こうでいい方はいなかったのですか?」

「いたら連れて帰ってるよ」


 恋愛至上主義の母の薫陶を受けているので、どんな事情があれ愛しい人を置いて帰国するようなことはしない男になっているはずだ。

 ないといったらないのだろう。


「やれやれ。あと数年は大手を振るって実家に居着けそうですね」


 兄、または弟がパートナーを連れてくるまではアデルも実家で呑気にしていられそうだと目論見が立つ。


「失礼します、アデル様、セドリック様」

 話の途中で出入口に立っているソフィーが声を掛けてきた。


 宿泊支配人のセルヴェが来て玄関先で待っていると言う。


 アデルとセドリックはコテージの玄関まで足を向けた。


「お疲れのところお呼びたてして恐縮でございます。実は、お客様がラウンジにいらしておりまして……」


 来客はしばらく断るように言っていたので丘の麓に係を置いて断っているそうなのだが、それを通過してラウンジまで来たようだった。


 名前を聞き、相貌を見て、そうせざるを得ないと判断したとのことだった。


「誰が来てんの?」


 セドリックが尋ねると、セルヴェは弟の名を出した。


 アデルとセドリックは顔を見合わせてから、すぐ行くと告げ、セルヴェの後についてラウンジへと向かった。

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