夜会

第26話 ダンス

 その晩、ティユーの大通りには街灯が灯り、F&Aホテルの前は更に明度を上げた光の魔鉱石のランプが煌々とホテル全体を闇に浮かび上がらせている。


 ホールには招待客がすでに集まっているとスターレンスが教えてくれたので、後は貴賓であるセドリックとアデルが向かうだけになった。


 ホールの横にある休憩救護室を兼ねていると思われる小さな部屋で、出番を待つだけになっているアデルとセドリックも、漏れ聞こえてくる音でじんわりと緊張し始めた。


「おい、何か言われてもブチ切れんなよ。上から見下すのもな」


「お兄様こそ、その言葉遣いと猫背とがに股を気をつけてください」


 緊張を紛らわすために普段のようにしてみるが、それでもどこか空滑りしているのを否定はできなかった。


 アデルはドレスでの出席は久し振りだし、セドリックに至っては五年は社交と遠ざかっている。


 かつての感覚を取り戻すまでには時間も場数も足りないのだ。


 ノックがあった。

「スターレンスです。そろそろホールへお願いします」


 呼びにきたのは見慣れたホテルの制服ではなく、礼服に身を包んだスターレンスだった。


 彼はアデルがソファから立ち上がる時に手を貸してくれた。


 だが、立ち上がってもしばしその手を離さない。


「とてもよく似合っています、アデル様。やっぱり、ダンスしたかったです」


 残念を素直に滲ませるスターレンスに、アデルもセドリックも苦笑いが浮かんだ。


 落ち込んでいる大型犬のようで、よしよしと撫でて慰めてあげたくなる。


 そのお陰で少しだけ緊張解れたような気になって、アデルは兄にエスコートされ部屋を出た。


 ホール入口の前まで行くと、先導のスターレンスが立ち止まった。


 内部では主役の挨拶が始まっている。


 紹介があるまでここで待機するのだが、アデルはなぜか落ち着きを取り戻した。


 ハイヒールを履いた自分が一番大きかったらどうしようという懸念が、目の前のスターレンスによってなくなったからだ。


 大柄な彼は今のアデルと並んでも上背が勝る。


 他にも懸念は色々あるが、一つ取り除かれただけでも安定度が上がる。


 挨拶が終わり、来賓の紹介が始まった。


 最後に呼ばれて、セドリックと共にホールに入ると、会場の人々は貴族に対するお辞儀で出迎えた。


 主役のフェルトゲンと婚約者のフーケに挨拶をする。


「この度はお招きいただきありがとう」


 セドリックが声を掛けると、フェルトゲンはお辞儀を解いて顔を上げる。


「とんでもないことでございます。この度はご参列いただきありがとうございます、ギレム様」


 フェルトゲン達は再びお辞儀をした。


「この度はご婚約おめでとうございます。この場でお祝いできることを嬉しく思います」


 その後、アデルも二人に声を掛ける。


 フェルトゲンとフーケは再度お辞儀をした。


「皆様お揃いでございますので、今宵の夜会をどうぞお楽しみください」


 進行をするクルーガーが堂々と告げると、管弦楽の調べが響き出した。


 フェルトゲンはフーケの手を取り、ホールの中央へ誘う。

 最初のダンスは婚約している二人で踊り出す。


 少しぎこちない笑みを浮かべているフーケにフェルトゲンが微笑みかけ、フーケの頬にほんのり色が差す。


 いつしか自然に踊る二人を見て、アデルの心の中の緊張が緩んでいく。


 共に仕事をして実績を重ねてから婚約した年嵩の二人なので若さ溢れる勢いはないが、互いを思いやる優しさと余裕がある。


 落ち着きというものでもあるが、それが周囲に与える影響は少なくない。


 囲んでいる誰もが、穏やかな気持ちになっていることだろう。


 曲が終わり、二人も止まると拍手が沸き起こった。


 そして、アデルとセドリックの所に来てお辞儀をする。


 セドリックはフーケを、フェルトゲンはアデルを誘い再び中央へ向かうと、先程見ていた人々もパートナーと参加する。


 出揃ったのを見計らって管弦楽が鳴り始める。


 アデルは楽曲に合わせてステップを踏み、フェルトゲンのさりげないリードに任せる。


 すぐ側にいるセドリックも、今のところは過不足なく進行しているようなので安心する。


 昨日の昼は楽団との音合わせをしたので正直疲れていたが、兄がどうしてもというので夜までダンスの練習を寝る直前まで付き合った。


 滞りなく足が動いてくれるのは、その成果だ。


「噂には聞いていたが、随分大きな令嬢だな」


「あれじゃ、誰からも誘われないだろう」


 追従と嘲笑が後に続いて聞こえた。

 明らかに聞こえるように言っているのは、今までの経験からもわかっている。


 声のした方を見ると、顔を逸らす男性二人とその肘を叩く女性がいた。


「この度はこのような私的な会にご参加いただきありがとうございます、ギレム様。私はお嬢様と踊ることができてとても光栄に思います」


 フェルトゲンにも聞こえていたのだろう。彼らの心ない言葉を上からかき消すように感謝を述べた。


「お祝い事に呼んでいただき、お礼を申し上げるのは私の方です。ここにいるのは皆さん貴顕淑女の方々ばかりのようですので、とてもよい夜会になりそうですね」


 心の内はおくびにも出さず微笑むと、フェルトゲンはわずかに口元をわずかに引き攣らせ、近くで踊っているセドリックは顔色が失せた。


 だが、その後すぐに曲が終わり、フェルトゲンは申し訳なさそうに深々とお辞儀をした。


 新たな楽曲が流れ始め、クルーガーの誘いに手を差し伸べた。


 さすがに聞こえよがしの嫌味はなかったが、物見高い目線はそこかしこに感じた。

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