第24話 ホール

 F&Aホテル・リゾート・ティユーは、元々はこの街を開発していくにあたり土木建築の職人達を停泊させるための宿だった。


 温泉宿のある隣のルヴロワから通ってくることも可能だったが、予算の関係で輸送の費用や移動時間の削減をし作業時間に充当した。


「二階以上は部屋の間取りなどもゆとりを持っておりますが、一階部分は当時の面影を残して寝台とリビングを兼ねたダイニングだけの簡素な部屋になっております」


 その分、宿泊費用も格安で、ハイキングなどで立ち寄る若者や南部や近隣諸国へ向かう商人などに重宝されていると、クルーガー夫人は歩きながら説明した。


 階層の差はあるが、一流のホテルに泊まることは旅の安全上を鑑みればメリットは大いにある。


 下層階でもオプションをつければそれなりのサービスも受けられるというので、宿泊客が事情に合わせて選べるのは有難いのではないだろうか。


 と、彼女の歩幅に合わせて隣を進むセドリックはなかなかいい経営体系をしていると感心した。


 一階に降りてフロントの前を通り過ぎ、ラウンジ横の廊下を渡る。

 中庭に面している廊下の窓からは手入れの行き届いたバラの垣根が見えた。


「この奥が会場でございます」


 通路の先では様々な音や声が混ざって廊下まで届く。


 中へ入ると、三日後の本番を前に着々と準備が進められている最中だった。


 広々としたホールは簡素でありながらもそこかしこで贅を凝らした内装で、見栄を張る貴族や財産をひけらかしたい成金のそれとは違い品良くまとまっている。


 華美であればいいというものではない。憧憬を集めれば同じ分だけ嫉妬も集まるからだ。

 角が立たない上手な引き算ができていると、セドリックは会場を見回してそんな感想を抱いた。


 特権階級に配慮しつつ、一般庶民が来たら特別感を味わえる絶妙な塩梅だ。


「セドリック様、姉さん」


 会場の隅の集団から走り寄ってきたのはスターレンスだった。


「打ち合わせはお済みですか」

「いやあ、衣装合わせだけなのに肩が凝ったよ。本番大丈夫かな、ははは」


 スターレンスの頬が緩み、クルーガー夫人も口元に笑みが浮かぶ。二人並ぶと姉弟だけあって笑顔がよく似ていた。


「申し訳ありません!」


 その時、ホールに響き渡るくらいの謝罪があって、作業をしている従業員は動きを止め、セドリック達も話を中断して声がした方に目を向けた。


 先程、スターレンスがいた片隅の集団からだった。


 背の低い男ともじゃもじゃ髪の男が、クルーガーに頭を下げている。


「ピアニストなしでも……」


 何事かと騒めきだしたので、スターレンスはセドリック達をホールから連れ出した。


「何かあったのですか、エリック」


 姉に尋ねられて答えそうになったが、貴賓の手前でトラブルを明かすのは主催者側として躊躇っている様子だった。


「聞いちゃったら気になるよ、俺も」


 貴族なら気を利かせてこの場を後にするのが粋なのかもしれないが、セドリックはそういったものから隔たってから久しいので好奇心丸出しで詮索をする。


「申し訳ありません、セドリック様。当方の事情ですので……」

「ピアニストがどうかしたの?」


 被せ気味で尋ねると、スターレンスは隠し果せないと諦めたのか、溜息をついた。


 ここでごり押しに屈せずにいられるならまだホテルマンとしての見込みがあるのだが、とセドリックは尋ねておきながら意地悪くも思っていた。


「実は、夜会の楽団を依頼していたのですが、ピアニストが急病になってしまいまして」


 元々あまり調子が良くなかった中で、長旅の疲労も重なり、昨夜から寝込んでしまったのだという。


「それは大変だ」

「ルヴロワの湯治療養所に運んだのですが、当日までは回復は難しいようです」

「じゃあ、四重奏でいいんじゃないの?」

「それでもいいとは提案したのですが、そうなると演奏できる曲目が限られてしまうということで……」


 五重奏の曲目のピアノだけを抜いて演奏すればいいというものでもなく、できる曲目を何度か繰り返して演奏するかどうかを打診しているという。


「じゃあ、ピアニストがいればいいんだな」

「え? ええ、まあそれなら問題は減りますが、今から新しい人を探すにも、楽団と練習するのにも時間が足りないと思います」

「ああ、それなら大丈夫」


 セドリックは傍らのクルーガー夫人に、アデルを呼んでくるように頼み、再度ホールに入ってクルーガーの元へ向かう。


「楽譜、ありますか?」


 挨拶も自己紹介もしていないのに、楽団員の男性に尋ねた。


 男性の後ろにはグランドピアノがあり、閉じている蓋の上に楽譜が置いてあったので、それを手渡してきた。


「ギレム様」


 クルーガーはいきなり来て何だと思っているだろうが顔には微塵も浮かべず、楽団員とセドリックの間に割って入った。


 このトラブルはホテル側のことであり、招待客であるセドリックに知られることを阻もうとしている。


「お兄様」


 クルーガーが何か言おうとする前にアデルが先に来た。


「おう、早かったな。お前、これ弾けるか?」

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