第15話 パイロット版

 聴取が終わったところで、女性達はセドリックに再度感謝を述べてから足早に離れていった。


 まだ『第二の水』を諦められないようだ。


 黒い服の人々はスパの顧客対応をする部門の職員だという。


 ちょっと困ったお客様の対応をする仕事で、だから緊急事態に妙に熟れていたのだと納得した。


 揃って体格がいいのも頷ける。


 その黒い服の隙間から紺色のローブの中年の男性が現れ、怪我人がいないないか尋ねてきた。


 男性はスパの専属の魔術師であり、専門は違うが少しなら治癒魔術も使えるので来たようだ。


 紺色のローブは魔術師の制服でもあり、縁が銀色の刺繍で縁取られているので、この男性は上級の魔術師だ。


 ブリュールの官庁勤めをしている時に魔術庁もあったので、アデルもそれくらいのことは知っている。


 幸いにも怪我人はおらず、セドリックも服が汚れたくらいで傷一つない。


「それは幸いでした……あれ、そのストラップ」


 出したはいいが、結局使うことなく事態が収束したので、何となくずっと手にしたままだったストラップを魔術師の男が見止めた。


 手を差し出してきたので、熊のストラップを載せた。


「『C』か。F&Aホテルのお客様ですか?」


 熊の足裏の番号を見て尋ねてきたので、アデルは首肯した。


 これを渡された時に、ルヴロワの魔術師の開発品だとスターレンスが言っていたのを思い出した。


「もしかして、あなたがこれを……?」

「いいえ、私も開発にはほんの少し関わりましたが、これは泉質管理事務所に勤務している魔術師のものです」


 男性はスパ勤務の魔術師でクラネと名乗った。


「『C』から始まる製造番号ロットナンバーは魔術庁が製造しているパイロット版です。何か不具合がありましたらすぐにホテルに申し付けてください」


 開発企画は泉質管理事務所の魔術師だが、製造ラインは魔術庁が管轄しているとのことだった。


 F&Aホテルの社長が、結界の範囲外の別館用にパイロット版でもいいので使用したいと嘆願して、試験も兼ねて民間で利用し始めたのだ。


「ホテルから魔術庁に連絡するようになっていますし、喫緊の場合には私達も出動するようになっています」


 それでも使わないでいるのが一番なんでしょうけどね、と言って笑った。


 確かに、防犯グッズを使うような危険な目には遭わないに越したことはない。


「よいご滞在を」

 クラネは熊のストラップをアデルに返した。



 農業試験場はグラン・フリブールの森から湧き出る温泉の熱を使って温室栽培をしていて、冬でもトマトやきゅうり、茄子などの夏の野菜が採れる。


 ルヴロワの町では収穫された野菜が普通に売られているが、週に一度試験場での直売がある。


 商店で買うよりはわずかに安いとソフィーから聞いたので、アデルは兄と相談して観光がてらトマトを買いに来たのだ。


「それにしても、随分と勇ましくなりましたね。まさかお兄様が捕物をするとは思いませんでした」


 セドリックは文武両道で体術なども修めていたが、身の危険に対応する護身術が主だった。


「体が動いちまったんだからしょうがねえよ。怪我も被害もなくて良かったよなあ」

「そうですね。無事なのが何よりですが、お兄様は次期侯爵なのですから、もう少し人や道具を使うとかして、最後に動かなくては。自身の立場を……」

「ああ、わかった、わかった。お前、父ちゃんと同じこと言うなあ」

「ついでにいうなら、その言葉遣いもどうにかなりませんか」

「人前じゃちゃんとやるよ」


 疑わしいがそれ以上言うと臍を曲げてしまいそうなので、アデルは湧き上がる小言を飲み込んだ。


「そういえば、アリダ先生は?」


 兄の数人いた家庭教師のうちの一人で、教師であり護衛でもあった。


 いつも影のように兄の後ろで控えて、危ない事態になれば音もなく前に出てセドリックの身体の安全を守っていた。


 西国旅行にも同行し、イスパール国でセドリックと共に消息を絶っていた。


「こっちに戻ってから休暇を与えたよ。一緒に来るかって誘おうかと思ったんだけど、やっぱり俺達がいると気ぃ違うだろうからなあ」


 始終一緒にいれば気を抜く暇もない。

 主従関係から離して休ませてあげたかったのだろうと、兄の心中を察した。


「お前こそ、メイドを帰したそうだな」

「これは私の給金での旅行です。自由にして何がいけませんか」

「お前が稼いだ金だ。どう使おうと勝手だがな。でも、一応貴族の令嬢だぞ。さっきみたいなことがお前の身に起こった時どうすんだよ。怪我でもしたら、父ちゃん母ちゃん泣くぞ」

「防犯グッズがあります」


 内ポケットから出してセドリックの目の前に突き出した。


「……可愛いな。俺も欲しい」

「ホテルに言ったら貸してくれるかもしれませんよ」

「でも、これで充分ではないだろう。危険はほんの一瞬の差で生死を分ける時もあんだぞ」

「気をつけます。私だって、兵役を経験してますし、多少の護身術は心得ておりますから」

「馬鹿につける薬はねえな。まあ、幸運を祈るよ。お、ここだな」


 言い返そうとした時、農業試験場に着いた。


 アデルは見た目の可愛らしさとは真逆の、『狂戦士ベルセルク』という猛々しい名前を付けたストラップを内ポケットにしまった。

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