トマト煮
第14話 乗合馬車
ティユーの公園前に隣町のルヴロワへ向かう乗合馬車が停留している。
双方の宿泊者が気軽に町を行き来できるように、定時連絡馬車が運行されているのだ。
元々は、まだティユーに温泉が引かれる前にティユーの宿泊客がルヴロワへ行くために運行されていたのだが、ティユーにも新しい店が次々と出店しはじめ、王都ブリュールで売れ残った商品やサンプル品などを割引価格で販売する店(アウトレット)ができてからは、それを目当てにルヴロワから来るも客も増えている。
馬車を使えば十分くらいの距離にあり、運動がてら歩いても三十分とかからず行くことができる。
ホテル宿泊者はフロントにルヴロワへ行くと言うと、乗合馬車の割引のパスをもらえる。
アデルは歩きでもよかったのだが、セドリックが面倒くさがったので乗ることになったのだ。
乗合馬車の御者が出発を告げるハンドベルを鳴らし、駆け込みで中年の男性が乗った後に動き出した。
馬車に乗り合わせている客は比較的若い女性が多い。
そして時折、こちらをちらちら見てくる。
また勘違いされているのはアデルも肌で感じ取れるので、できるだけ目を合わさないようにしている。
こうなるのが嫌だから歩きで行きたかったのに、隣に座るセドリックはそれを知ってか知らずか寝てるふりをしている。
無防備だし、苛立ちまぎれに蹴飛ばしてやりたいが、人目があるのでそうもできないのが忌々しい。
緩やかな勾配を繰り返して道は続き、程なくして町が見えてくる。
「もう少しで着きます」
「んあ? あっという間に着くんだな」
大きな口を開けて欠伸をしながらぼやく兄。
「まったく、どこに品位を落としてきたのですか」
「海の向こうに落としてきたのかもなあ」
「もう一度行って取り戻してきてください」
「何てことを言うんだ。悪魔か、お前」
こんなのが次期サンゼイユ侯爵になって、果たしてうまくやっていけるのだろうか。
一抹の不安と共に、本当に自分が婿をとって継いだ方がいいのではないかという思いが芽生え始める。
それからすぐに、馬車はルヴロワのスパ前の広場に停車した。
御者がすかさずステップを用意して、女性客が降りる時には手を添えて介助する。
だが案の定、アデルにはなかった。
無理もないことだし、必要もないので気にも留めず、降りた途端に両腕を伸ばして背中を反らした。
その様子をセドリックがじっと見つめていた。
「何ですか」
「お前こそ、一応令嬢なんだからそれらしく……まあ、無理か」
兄も兄で思うところがあるようだ。
言いたいことは何となく察しがつく。聞きただせば無傷ではいられないとわかるのでアデルは追求するのをやめた。
女性客は降りた途端に足早に同じ方向へと進んでいく。
「なんだ、有名人でも来てるのか?」
「多分、『第二の水』です」
「何だ、そりゃ」
「化粧水です。ここの温泉を使って作られていて、よく効くので人気ですよ」
かつて残業が続いて肌荒れが酷くなった時に、同僚の女性事務員から聞いてアデルも買ったことがある。
肌馴染みがよく、一週間もしたら荒れていた肌が大分改善して、あの時は本当に助かった。
ブリュールの販売店の発売日にはいつも行列ができているし、ルヴロワは開店してもすぐに売り切れてしまうと噂されている。
効果の程を知っているのでアデルもそちらへ足を向けたいが、セドリックもいるし、町外れの農業試験場トマトを買うために来たのでその用事の方が優先だ。
広場の隅にある町の案内板を見て道のりを確認している時だった。
甲高い悲鳴がしたと思ったら、ばたばたと足音がアデル達の横を過ぎて行った。
「ひったくりよ!」
「だ、誰か、捕まえてっ」
足音を目で追うと、男の背中がみるみる小さくなっていく。
片手には彼の持ち物には見えないピンク色のバッグを携えて。
アデルは咄嗟に上着の内ポケットに入れている防犯グッズを取り出した。
だが押す前に、目の前には男を追う背中が現れ、あっという間に追いついて男の襟首を掴んで引き倒した。
アデルも駆け出し加勢しようとするが、暴れるスリの男を殴り、足を掛けて倒してから上着の襟首を引っ張って腕を動かせないようにしているセドリックとの間に入ることができない。
「官憲を呼べ!」
呼ぶにしてもどこに駐在があるかわからない。
見回していると、スパから黒い服を着たむくつけき男達がわらわらと出てきた。
「大丈夫かい、にいちゃん」
「代わるよ」
「おーい、誰か交通整理しろ」
男達はセドリックに代わってスリの男を捕らえ、集まる野次馬に危険が及ばないように整理をして、警察を呼びに行った。
程なくして人垣の隙間を通って警察が到着し、スリの身柄は引き渡され、女性の元にバッグが戻された。
中身も無事だったということで、女性二人連れはセドリックに何度も感謝の言葉を述べた。
逮捕劇は終幕したが、事情聴取のためにアデル達は広場の片隅で警察の質問に答えなくてはならなかった。
公的機関の尋問なので「名乗る程の者ではない」というのも通用せず、正直に答えると、兄でまず驚かれ、続柄で妹と答えると二度と驚かれた。
それっぽくない侯爵令息と侯爵令嬢は、悪いことをした訳でもないのに何だか申し訳ない気分になってしまった。
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